2018年07月04日

シュフラット

ウズベクの友人とのチャットがロシア語をアルファベットで書いてきてしかもなんとなくウズベク語も混じってるからカオスなんだけどなんとなく解読できる不思議

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2018年06月26日

お福分けの練習

梅干しをロシア語のお姉さんにいただいた。

はるばる石川県から梅干しはやってきた。

30個ぐらい入っていた。

ヨロコビでどうしようかとおもった。

これを管理人さんに少しお福分けする。

さてここで問題になるのが、「いくつわけるか」。

たぶん管理人さんは夫婦二人生活。

ひとつぶ?ふたつぶ?

袋に入れて、結局6つ入れた。

あとは日持ちするので自分の食料に。

昨日までなかったものなのに、突然手元にくると、手放すのが惜しくなる。

お福わけをする練習。福を感謝して手放す練習。

マイクロソフトの創業者ビルゲイツ氏は、貧しいころから寄付をしていたからお金持ちになったそうで、お金持ちだから寄付をしていたわけではないそうな。

(終)

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2018年06月24日

気がついたらライターになっていた

最近、原稿を書く仕事をしている。

毎週綱渡りの締め切りで、土曜になるとだいたい朝ロシア語の授業の予習をしていなくて、そのあと学校にいって、でも先生は同時通訳の方なのでたとえ出来が悪くとも予習をしていませんだなんて口が裂けても言えないので、なんとか予習して、

そのあとロシア語の授業に出て、ぐったりして家に帰ってきてヒイヒイ言いながら書いている。

このあいだは「カップルで泊まりたい超高級ホテル」特集で砂糖菓子みたいなテーマだなあと思って、そういうのいったことないし、あまり興味がないわけだけれども、石油王とかお若いひととかとお付き合いすればそういうこともあるのだろうか。

それで思い返してみたら、私、中学の卒業文集に椎名誠さんみたいになりたいと書いた。旅行エッセイ『パタゴニア』がすごく好きだった。

大学時代に同時通訳でエッセイストだった米原万里さんの本『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『ガセネッタ&シモネッタ』に衝撃を受けた。そういう(ロシア語力はともかくも)文章を書ける人になりたいからロシア語をはじめて今も続けている。

だから目の前のことは結構大変なのだけれども、よくよく思い返して考えてみたら前から望んでいた仕事が気が付いたら出来るようになっていた。

ロシアにいたころは原稿費ゼロでロシア語の翻訳記事を載せてもらっていて(編集の人に文章指導料と相殺と説明された)、いろんなことが不安で仕方なかった。けれども結局それも、今の仕事をいただく上で自分をプレゼンする際の貴重な実績資料となっている。

その頃と比べてもまさか文章を書いてお金がもらえるようになるだなんて思ってもいなかった。原稿料をいただけるようになったのでプロにいつの間にかなっていたわけである。

瞑想をしていると10時間かかる仕事が1時間でばっとできるようになる、と師匠が仰って、なんだかんだで毎回締め切りもなんとかなってしまうので、ちょっと驚く。何時に寝ても、朝6時半に絶対目が覚めるようになった。

今日は1本、特集を書いた。あと今日の夜と明日の昼間はとある食べ物の特集を書く。
週5日の満員電車もないし、打刻(タイムカード)もないし、そう思うと幸せな生活なんだとおもう。いろいろかいたけど、めざすところはミールのカトリ先生みたいな笑顔のオトナになりたい、多喜子先生みたいに凛とした美しい女性になりたい。というただそれだけなのだったりする。



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2018年06月23日

山手線のポーランド語

ブハラのカラーンモスクは世界で一番好きな場所だと思っていた。

灼熱の真夏に、なぜか夜行列車で行って、暑くて暑くて死ぬかと思った。8月のウズベキスタンが、わたしにとってのはじめての旧ソ連圏だった。

列車のおなじコンパートメントのおじさんたちは、私にチャイを沢山注いでくれた。



山手線でロシア語に近い言葉をしゃべっている老夫婦がいらした。

どこから来たの、とロシア語できいたら「僕たちはロシア語は話せない」と言われた。でもロシア語をしゃべったことは理解してもらえて、ロシア語と彼らのことばが近しく聞こえたから声をかけずにはいられなかったことは理解してもらえた。

ポーランドの夫婦だそうだ。

クラコフに行ったことがある、といったら、僕たちはワルシャワだよ、と英語で会話は続いた。

「why you speak russian?」

「i ,,, в инстытуте русского языка ..」突然英語は喋れないのである。

イケブクロで降りるそうだ。

日本の地図は、通りに名前がついていないがないからさっぱりわからない、そうだ。согласно.

それが土曜に上野に急いで向かっていたときの話で、その日は早朝から予習が終わらなくて朝からヨガに行ってその後授業にいって寒くてくたくたで、急がないと博物館はしまっちゃうし、その話を巨大なカニの標本を見ながら空の人にしたら「電車で声をかけるんですか」、と言われた。

そういうチームとか和を大事にしている人たちからみたら、変な女なんだと思う。でもけっこう前に、それはOLをやめようと思った年の夏休みに、人様はともかく、わたし自身はそういう生き方はしないことにきめていた。

空の先輩とまた喋りたいのだけれども、ちょっと静岡は遠いいなあ、と思っている次第で、やっぱりキエフにふらりと飛べばよかった。

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2018年06月22日

老い


毎週所用で会う方に80歳ぐらいの男性がいる。私は最近知り合ったのだけども、仲間たちの話によると奥様をなくされて、その後すっかり物忘れがひどくなったそうだ。

その毎週の用事の朝に幹事さんが電話をかけると、きてくださる。でもかけないと、忘れちゃうらしくて、現れない。
女同士で帰る道すがら、ぽつりと、おとこのひとってたいへんね。
という話になった。

「目の前で主人がなくなり、ひとりで生きていくのには力がいることで、神様に力を分けていただく生き方は楽になる」ととある年配のご婦人が言っていた。

в тяжёлом состоянии.
老いてゆくその男性の状態をどうにかならないか、いや家族でもない私たちにはどうしようもできない、という話を仲間がしていたので、
どうにかなるようにご献本をした。
ダライラマ14世が帯を寄せている本である。



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2018年06月21日

金沢から

一年分の梅干しと一年分のお酒とフリカケをいただいた。幹事をしていてほんとうによかった。

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2018年06月14日

ピアノとキエフと雑記

若きピアニストの演奏を聞きに行く。

ご招待枠があったのでミールの大先輩を誘ったら、「ほんとうに、嬉しく存じます。」という見事に純粋でかわいらしい連絡をいただいた。かわいすぎてボスに報告した。

ふらりといらして、譜面をみずにラフマニノフをひく。

壁にある巨大都市モスクワの絵がどんどんと浮き出るように見えた。

久しぶりに食べたロシア料理も、オリビエも、おいしかった。

空の人とそういうことがあったんですが私はどうすればいいでしょう、と言ったらその少女のような大先輩は「とりあえず何度か会いなさい」と仰った。

この勢いは誰かに似ている、と思っていたら、タキコ先生にそっくりなことに気付いた。

むかし格闘技の世界チャンピオンのひととおつきあいしていた。

僕といても道場の女将にしかなれないよ、といわれた。お別れして、かなしすぎてかなしすぎて授業にいけなかったときも(代々木までいったのに悲しすぎて涙がとまらなくて喫茶店で泣いて授業にいけなかった)、

翌週タキコ先生には「どんなひとだったの」と聞かれた。そしていわれた。いのちみじかし恋せよ乙女。



最近は先週あったこと、数日前、会った人、いやほんとうは昨日あったことや、話をした内容も殆ど覚えていない。

メールやLINEもメッセージもすぐ消してしまうので、人様が私に何を連絡してきてくださって、じぶんがそのときどきで何をもとめてなにをいったのかもあまり覚えていなかったりする。

職場のなかではわたしが一番若いので、私の記憶力が頼りらしいのだけれども、いまは自分と人様との約束も手帳に書かないと頭からすっぽり抜けてたりする。



おもえばほんとうにたくさんの「自分ではない」ものを抱えていたなあ、とおもう。

ただいちにちいちにちに心がそこにあって、

いまそこにあるワードの仕事とか、エクセルの仕事とか、目の前のことをこなしていると、夜になって、スープを作って、私の祖母がそうしていたように、神棚に食事をあげて、かみさまに祈って、眠る。

なんだか修道女みたい。

東京にもキエフのような美しい教会があればいいのに。



お勤め時代の同僚と、突然連絡がつながった。

わたしは人事だったのでその人のことを一方的になんとなく知っていたのだけれど、

彼がどういう人か、自分と家族を背負って、人生についてどういう哲学をもっていてどのように前向きに生きているかなんて話したことがなかった。

隣の隣の部署で、私の部署も、彼の部署も、金魚鉢みたいなガラスに密閉されていて、息が苦しくて、個人的な話をできるような雰囲気というのは会社に一切なかった。だから天気の話すらもできなかった。

話をしたい、と言われたので本をリュックサックに詰め込んで、翌々日にすぐに飛んで行った。

在職当時は杖をついていて、私が退職してすぐに、車椅子の生活になったそうだ。
結構なスピードが出る、電動車椅子でいらした。

ここにはかけないけれど、彼がどういう病気なのかも、それがどういうふうになりうるのかも、人事という立場でずっと知っていた。ただし彼から友人として病状の内容を聞かされたわけではないから、それは伏せて話をする。
転職したそうで、顔色は当時よりずっとよかった。

そういうわけでロシアの生活の話と、私のこの一年を話して、私の瞑想のヨガの先生の話をしたところ、沢山の本のなかから、彼はやっぱりその「緑の本」を選んで、僕も行きたい、と言った。

バスやタクシーにこいつ(車いす)は乗らないと言った。最寄駅からその場所までは結構遠くて、どうやって行こうか、と言っていたら、他の路線で直通で到着する駅から車いすで1〜2キロあるければ、そこにつくことがひらめいた。

エレベーターはないけれど、階段は1階分ぐらいなら登れる、といった。

美しい人生になると思う。 蓮の花のような人生が送れる。 1年通わせてもらって、そして古い仲間として、わたしはそれだけは確実に約束できる。



その場所のことは8年ぐらい前に教えられた。

古い友人に鎌倉の美しいスターバックスに連れて行ってもらって、同じように、献本をもらって、教えてもらった。

彼は仕事を辞めて、数年インドを放浪して、アメリカを放浪して、人生の師を求めた果てに、

インドの聖者から、ほかでもない日本にそういう大聖者がいる、ということを教えてもらったという。

そうして彼がインドを放浪して苦労して得た貴重な情報を、いまおもえばその人も迷いながら、変な人におもわれたらいやだなと恐れながら、わたしの幸せを祈ってそういう情報を惜しみなくくださったんだと思う。

もちろん彼は自分がインドを放浪した果てに得た情報云々なんて私には一言もいわなくて、それはつい先月くらいに、共通の知人からきかされた。

彼にいただいた、おそらく人生最高の情報にたいしてわたしは相変わらず無知で無関心で傲慢で、同じように同じような失敗を繰り返しつづけるわたしに、彼は7年もの間ときどきわたしの日常に現れたり消えたりしながら、ぐりぐりと正義と真理を押し付けることなく、いつも穏やかに話をきいてくれた。

そういう彼の、友人としての愛の深さに、やっと今朝電車のなかで気づいた。

自分がどれだけ、こうした友人や知人、先輩たちからの愛情について無知蒙昧でおそろしく傲慢だったかと思う。

空の先輩も思えばずっとそんな感じでキエフにいらしたころ、いやもっと前の静岡のころから時々美しい連絡をくださり、人生の先輩として見守っていただいていた。
そのことに瞑想していてやっとわたしは先週気づいたぐらいだから、
若いかたもおそらく気付いていないと思う。そしてわたしがそうであったように、おそらく必要なプロセスなんだとおもう。



東京にキエフのような教会はないけれど、通うようになって、わたしは東京で息ができるようになった。



一見だめなような状況でも絶対大丈夫なんです、と言われた。

死んだらもっていけないことがら・いずれ死んだら会えない人たちに心をくっつける生き方をするのは、もうじゅうぶんだとおもう。






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2018年05月21日

電車で変なものをはこぶ

新幹線で熱帯魚を運んだことがある。
御中元のハムの発泡スチロール箱(ひもつき)に水槽の熱帯魚を入れて、博多から東京まで運んだ。

当時、新幹線は6時間以上かかった。

今朝は盆栽を買い物カゴに入れてはこんでいるご婦人を見かけた。

その後、洗濯物の物干しざおを持って電車に乗りこむ青年を見かけた。朝で、まだホームセンターが空いている時間ではなかったのだけれども、なぜか青年は物干し竿を持って電車に乗りこんできた。タテに持ってくれれば迷惑ではない。青年はヨーロッパふうの顔立ちだった。

ロシアでは大量の荷物を二輪車にくくりつけて、電車に乗ってくるひとはいっぱいいる。青い四角いアミアミのビニール袋とか、そういうのが、二輪車に乗せられて、紐で縛ってあって、二輪車はドアの前に立てかけられている。

ウチで大量に生まれたグッピーを誰か友達に譲るために、バケツに入れて電車で運ぶ、ぐらいの人がいてもいいと思うのだけれども、そういう人は全く見たことがない。

なんでだろう。



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2018年05月05日

パン床をつくる

「パン床」の存在というのはたしか、あつみさんと、その当時アストラハンに住んでいたサトコさんに教えていただいた。「糠床」のかわりに「パンどこ」をつくり、「ぬか漬け」ならぬ「パン漬け」をつくる。

当時ロシアに住んでいて、漬物は塩漬けぐらいしか手に入らず、野菜を生で食べられる漬物に飢えていた。

今は日本にいるのでもちろん「ぬか漬け」の材料も手に入るし、ぬか漬け用の壺も琺瑯容器も簡単に手に入るし、ぬか床を育てようと思えば作れるのだけれど、そして鰹節とか昆布とか、釘の代わりに入れる「茄子の色をよくする鉄で出てきたナスビみたいなの」とか、「ぬか床から水を吸い取る穴のあいた陶器」とかももちろんすぐ手に入るのだけれども、「ぬか漬け」をめぐる言説にはぬか漬けを愛するその道のプロの方たちが積み重ねてきたノウハウが色々ありすぎて、なんだか色々調べていると重い腰が上がらなくなってしまった。

コメを食べる民族のサガというのだろうか、ぬか床(つまり米からできている)を腐らせたら申し訳ないというような妙な信仰というか恐怖心がある。要は敷居が高くてめんどい(もちろんパンや小麦が腐ってもいいというわけではない)。



***

ちょうど幹事長に缶ビールをただいたので(ちょっといいやつ)

パンを買ってきて、ビールをチビチビ飲みつつつくることにした。

あまり飲みすぎるとパン床につかうぶんのビールがなくなってしまう。

食パン 6−8枚  

タッパー

ビール 1缶 昨日の残りでもいい 200〜350mlぐらい

塩 大匙3

***

パンをちぎってビール・塩と混ぜる

→屑野菜を入れて冷蔵庫で一晩

→キュウリとか茄子とかまるっと入れて、半日〜一晩つける。

一日1回まぜて、3〜4か月もつらしい。パン床が減ってきたらパンを足したり塩を足したりする。

高級パンである必要はないけど日本のパンは添加物多めなのでパン屋で8枚切り200円台のを買ってきた。麦とか黒パンぽいもののほうがなんとなく好きなので茶色っぽいのを買った。

余談だけれども日本で売っている、ビニール袋で密閉されたパンの多くが「かんたんには」くさらなくて、それはとてもおかしなことだとおもう。


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coloro at 00:06|Permalink料理 

誤って買ったドライイーストの使い道

間違ってドライイーストを買った。

なんで間違ったかというと、

雑誌『オレンジページ』を買って、そこに「フライパンで焼くピザ」というのがあって(その特集に惹かれて買ったわけだが)、これを作ってみようと思ってスーパーにチーズとかオリーブオイルとかの材料を買いに行ったところ

レシピ上はベーキングパウダーでよかったのに、私はなぜかドライイーストと勝手に信じて疑わなくて(大抵買い物にいくときにメモをとらない)、ドライイースト大容量50グラム入りを買ってきてしまった。

返品するわけにもいかないのでしばらく眺めていた。

なぜ困っているのかというと、うちにはオーブンも温度計もバターもないから、パンが作れないとおもっていた。

椎名誠さんの著書『極北の狩人』にバノックというパンの作り方が出てくる。

イーストをつかわないパンで、小麦粉、粉ミルク、ベーキングパウダーをよく練って、焚火で焼く。

ロシアにいたときはそれに倣ってバノックをフライパンで焼き、学校に持っていくおやつをつくっていた。そもそもロシアのスーパーでふつうに手に入る小麦粉に、日本であるような強力粉とか中力粉とか薄力粉の区別はなかった。

パンってそれぐらいシンプルでいいのだ。

小さいころにウチで作ったパンは、大きいレシピに美しい写真とともに乗っているパンで、温度計が必要で、しっかり発酵させて、バターを使って、そういうパンだった。バターロールをつくるのもひと騒ぎで、クロワッサンをつくった日なんてバターを練りこむときにべたべたになってすごい騒ぎだった。

強力粉と塩と砂糖とお水はある。ごま油かいため油はある。それとベーキングパウダーじゃなくてドライイーストで、というわけでちょっと調べてたら、結局チャパッタをつくってみようという結論になった。

そういうわけで生地をこねた。ご丁寧にゴマまで入れてしまった。オーブンはないので明日フライパンで焼いてみることにする。

coloro at 00:05|Permalink日記