2017年06月18日

デジャヴ

じぶんで見て、触って、感じたことがいちばんただしい。

だから「あれっ」、っておもうことが何度もあるなら、他人に意見を聞くまでもなく、やめたほうがいい。

おなじ過去のくりかえしになってしまう。未来は、かえることができる。

coloro at 14:05|Permalink日記 

2017年06月07日

その席は、ずっと続けてきたあなたのために、空けてある。



先月、ロシア語の恩師・多喜子先生に電話をした。

「(ロシア語の仕事の)チャンスをつかむためには、勉強をつづけることですよ!!」と多喜子先生はいつもの美しい声で、おっしゃった。

「あなたは大丈夫だとおもっていたんだけれど、時々変なことをいいだすから。」と多喜子先生はおつづけになった。

変なこと、というのは将来を悩みすぎるあまりロシア語の勉強をやめてしまおうかという趣旨の発言を、過去わたしが口走っていた、という意味だ。今もそう思うけれど休みつつサボりつつ、結局ロシア語との縁は辞めない方向になっている。というか、もう、旧ソ連圏の美しさをしってしまって、辞められない。





占いの先輩に会ってきた。この道30年の大ベテランである。

先輩の鑑定はオトメである。

オトメですね、と言ったら、「だって私、占いで旦那をいとめたんだもの」とおっしゃった。

「占いで人間を救うことはできない。」とわたしの占いの師匠が書いてあるのだけれど、占いを上手に利用すれば幸せを作れる人もいる。




現在私は松戸の対面鑑定の店舗に占い師として時々入っている。

そもそも私は、この店のボスがかかわっているチャット占いのアプリに、2015年から、細々と、時々消えそうになりながら、でもずうっと、やめずに、続けてきた。

ロシアで生活していたころも、ずっと、日本時間の未明に、ひとりひっそりとオンラインにしていたし、旅先の旧ソ連圏いろんなところをフラフラしながらも、ポーランドのクラコフのホステルとか、ラトビアの首都リガの深夜のバスの待合所でビルニュス行きのバスを待つ間とか、そこでもずっとパソコンやタブレットをひらいて、細々と、このチャットアプリで、鑑定をしていた。





チャットアプリのボスが、2年後、松戸で占いの対面鑑定所を開くことになった。対面鑑定所のお店がオープンして3ヵ月後のある日、私はボスにメールをした。

「対面鑑定って、短期とか、単発でもいいですか?」

松戸ってうちから決して近くはないし、ロシア語の仕事もしているので、続けられる自信がなかった。

そうしたらボスはあっさり返事をくれた。

「OKですよ」

そういうわけで5月から、時々対面鑑定のお店に、鑑定士として、お世話になることにした。店はたのしい。





今日、上述の、占いの大先輩に会いに行った。占い師歴30年の大先輩である。彼女はボスのK氏とも、この会社のチャットアプリとも、関係のない場所で活動されているのだけれども、彼女と話していて、わかったこと。

わたしのボスは、今まで彼とつながりをもって活躍してきた若い占い師たちが成長できる場、活動できる場をつくるために、(ときには占い業界の大先輩の面々のエントリーも断って)、対面鑑定所の店舗の席を、まだ経験年数の若い占い師のわたしたちのために空けてくれていた、ということだ。





coloro at 14:07|Permalinkミール | 日記

2017年06月06日

ウズベキスタンの記憶

サマルカンド・レギスタン広場



タシケント市内のカフェ

牛の舌

じゃがいも

兄弟

サマルカンド、Sherdar Madrasa

サマルカンドのティムール像

サマルカンド,シャーヒ・ズィンダ廟群

ブハラ

ブハラ・カラーンミナレット

ブハラ・カラーンミナレット

ブハラ・カラーンミナレット

ブハラ・カラーンモスク

ブハラ・カラーンモスク。世界で一番好きな場所。



ヴォルゴグラードの記憶

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夕暮れのヴォルゴグラードのバス停にて。モフモフの毛皮の帽子。


11月のヴォルゴグラード。雪は降っていないけれど、とにかく寒い。

南に行くほど、こういう正統的な毛皮の帽子をかぶっていらっしゃる。

この土地はマイナス20℃でも雪が降らないそうだ。

並木道の木々が霜で真っ白になって、そしてまた枯れ木にもどって、また真っ白になって、そして枯れ木に戻って。

そのあとやっと、冬がくるんだ。とタクシーのお兄さんが、いった。

coloro at 00:19|Permalink海外生活 

2017年06月03日

かみさん

祖母は食事とかおやつのたびに、台所にある神棚にお供えをしていた。神道の神棚だとおもう。
離れて暮らしていたわたしがおやつを持っていくと、
かみ(神)さんにあげよう、といってそれをきれいなお皿にいれて、背を伸ばして、神棚の上に乗せた。
祖母は今の私より背が低かったと思うから、よくあの神棚に届いたとおもう。

今週は色んな不安が過った。
一緒に居た連れは、
毎日、小さな不安の山をこえるたびに、
ああよかった、と言うけれども次の瞬間に〇〇になったら嫌だねえ、と口にした。彼らが一番の当事者なので、次なる不安が次々と襲ってくるのだ。

神様、どうかお願いします。と特別なことを唱える前に、
かみ(神)さん、いつもありがとう。
と言っていたっけ。と思って

昨日の帰りに買って来たスコーンをお皿にいれて、神棚にあげてみる。

coloro at 14:08|Permalink祖父母 

スラヴ叙事詩

日記

今月5日までやっているミュシャ展にどうしても行かなければならないような気が突然して(今まで3ヶ月放置していたのに)、走って電車に乗って、行ってきた。

昨年プラハ(チェコの首都)とブラチスラバ(スロバキアの首都)に行って、ロシア語に近い言語にとってもとっても萌えたのだ。

国立新美術館についたのは17時20分。
千代田線の乃木坂駅6番出口から直結。
チケット売り場のお姉さんは70分待ちです、といった。ちなみに今日土曜日の10時開館時も70分まちだったんですって。

つまり明日出直してもあまりかわらないようだ。
だからまつことにした。
建物の外にも長蛇の列。
自分が美術館でこんなに並ぶのは
『民衆を率いる自由の女神』(ドラクロワ)と、『楼蘭の美女』(新疆ウイグル自治区のミイラ)を上野に見に行ったとき以来じゃなかろうか。

みんな上品に並ぶのねえ。
割り込みとかないのねえ。



coloro at 08:36|Permalink日記 | ロシア語

2017年05月31日

大丈夫だと思う。

親が入院している。

予防のための入院と手術というか。
自分でそういう選択をして、入院して、そういう手術をした。その選択は本人のためだけではなくおそらくわたしと家族のためでもある。5時間近くの手術。その後の集中治療室。 愛のなせる技である。

家族ではない人には一人だけ、そのことを言った。
そういうことになって、不安。と。

『手術が終わった(^^)v』

と経過も1行書いた。
その人は特に私に何か気の利いたコメントをする人ではない。読んでいるかもあやしい。

格闘家の世界チャンピオンが、いっていた。
怪我の痛みを和らげるには意識をそこにもっていかないこと。
不安にフォーカスしすぎて握りしめないこと。

つまり私の細々した近況報告をメッセージで読んでくれていたとして、
覚えているかどうか怪しいぐらいのほうがわたしもラクで。

多分普通の友達にこれを話したら、
大丈夫? と言ってくれると思うけれど、
何か美味しいものを食べさせてくれるわけでもなく代わりに病院に行くわけでもないなら、なにも言ってくれないでいつも通り接してくれるほうがいい。

上の人、この間会ったとき わたしの好きなお菓子を一つ、
わざわざつけてくれた。Клюква, в сахарной пудре.
ツルコケモモの砂糖がけ。


きのう、手術だった。
最先端の心臓外科専門病院。手術の映像を5分ほど家族は見学できる。


手術は成功した。
経過も大丈夫だとおもう。

でも手術後、集中治療室にいって、
管だらけのむくんだ親を見て、なんとも言えない感情になった。
そこまでできるのは愛のなせる技である。
昨日は不安から長女と三女(わたし)で姉妹喧嘩をした。

わたしは主に母と姉に、大丈夫、って言う役である。
歳をとると 起きてもないことを思い巡らせて不安になりがちなものである。


恐れから逃げるにはまいにち電車を乗り継いで、父の顔を見に行くしかない。
ああ、疲れた。

帰ったらツルコケモモの箱、あけちゃおうっと。
集中治療室から出てきたら、ひまわりをもって行こう。

coloro at 00:21|Permalink日記 

2017年05月29日

恩師と


ロシア語の恩師とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。
『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』
カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私たちがあの幻の学校の、最後の証人だそう。
先生の連載はこちら
http://www.gendaishokan.co.jp


話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、
と外国語学校のほうで毎週聞かれるのだけれども、
これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。

(2017/05/29)

coloro at 22:49|Permalinkミール | ロシア語

新緑のベンチ


『(つきあっていた彼のこと、)全然好きじゃなかったことに気づいてしまった。だから別れた。』

友人Aとあった時に、彼女はそんな事を言っていた。


私の好きな人(わたしはこの人を「風の人」、と呼んでいる)はものすごく忙しい人である。
ロシア関係の仕事で知り合ったのだけれども、
仕事でホボ日本にいない。彼はフリーランスなので自分でそういう選択をしていてそういうふうに生きている。

一昨日、彼と共通の友達2人に会った時に、口を揃えて言われた。

(人としてはすごくいいひとだし魅力的な人だけれども、パートナーとするのは)『つかれるよ』と。

共通の友人2 人ともその人のことが大好きだとおもっていたから(もちろん人としてて大好きなんだと思う)その発言はわたしにとってとても意外で、ちょっと面白かった。

『ちいさな子どもがハルカにいたとして、一生懸命育てている所で、旦那さんはほぼ海外にいる。とてもつらいと思う。』

カーチャは言った。
ちなみに日露通訳のカーチャには子供が2人いて、旦那さんは年の半分以上仕事で海外にいらっしゃる。カーチャのご実家が近くにあって、カーチャが通訳の仕事で家をあける場合はお母様かお父様が小さな子供の世話にやってくるそうだ。


先日、私は、
とある大企業に勤めている、30代の男性を紹介してもらった。
週5日働いて、残りの1,2日は必ず休みがあって,9時から5時の仕事で、お給料もそこそこあるだろうひとで、タバコもギャンブルもしなさそうで、感情的にも安定しているだろう人。

笑顔の爽やかな、すごくいい人だった。こういう人とご縁があれば子供を3人ぐらいうみそだてて、穏やかな家庭を作れるんだろうと思う。

わたしは3人兄弟だ。自分もそうなりたいと思っている。子供をいつか3人うむつもりでいる。
わたしのおばあちゃんには孫が10人いた。自分もそうなるつもりでいる。
でもそのいつか、はそろそろそういう事を考えないと子供3人って自動的に出来る訳ではないっていうことがだんだんと現実味を帯びてきた。


そのお見合い(?)の方はもう一度会ってみたいと思っているのだけれども、
実家がゴタゴタしていて今そういう新しいご縁を作るエネルギーが今じぶんにあんまりない。

『ロシア語喋れるんですね、ていうことは英語もしゃべれるんですか?一体何か国語喋れるんですか?』

この彼に罪はない。
ただし、わたしは一人でウズベキスタンとか、しかも首都ではなく夜行でいかないといけないブハラとか、行っちゃうような女である。


それを土曜日にお目にかかった、空の仕事をしている男性の先輩に話したら、
『価値観の問題ですよね』、といつも冷静で優しいその方は仰った。
価値観がおんなじぐらいの人と一緒になった方が楽だし楽しい。変な人なら同じぐらい変な人と一緒になった方がうまくいく。と最近ニュースに出ている、とあるカップルの事例を出して仰った。


昨日、『辛いとか、くるしいのほうが多くになればやめればいい。』と言われた。


昨日、NHKスペシャルを見ていた。
普段全くテレビをみないのだけれども、なんとなくつけたら、普通のニュースでは報道されない、PKOの南スーダン派遣の話をやっていた。民族紛争のなかで死を覚悟し家族に遺書をかく隊員たち。
仕事で離れ離れになる家族っていっぱいいる。



その風の人とは10日間の日程の日本滞在中、
結果として5分、二人で会う時間ができた。

頼んでいた事とは別に、わたしの好きなロシアでしか買えないお菓子も、わざわざとっておいて、おまけでつけてくれていた。わたしにあげるのではなく彼が自分で店でうってしまった方が高く売れるのに。
多分、この人なりのキモチの表現なんだと思う。

いつものようにタリーズで待ってて、
自分用にアイスコーヒーを買って、待っていた。
自転車でひゅうっとやって来て、わたしたちは駅まえの大きな垂れ桜のわかばの下の石のベンチに座った。ほっ。と垂れ桜の緑をふたりで見上げる。
そうしてざわざわばばっ。と近況を話して、聞かれて、又自転車で去って行った。12時半までの間に3件用事があるんですって。

私自身の感覚には、わかばのまぶしさが、残った。
ちょっと冷房が効きすぎていて薄暗いコーヒー屋の店内で会うよりも、それは美しい記憶になる。
一瞬しか会えなかったざわざわと、5月のわかばのまぶしさ。価値観の合うこの人と会うのがいつも楽しいかどうかは置いておいて(だって一ヶ月に5分しか会えない)、
すくなくともいつも美しい記憶がのこる。

coloro at 14:01|Permalink日記 

恩師と


ロシア語の恩師、黒田龍之助先生とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。

『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』

カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私があの幻の学校の、最後の証人だそう。

先生の連載はこちら

http://www.gendaishokan.co.jp



話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、と毎週聞かれるのだけれども、これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。



coloro at 00:22|Permalink