泉鏡花の『鞄の怪』をひも解くと
袖を触れ合わせるという行為はとても艶かしいものだとか

キャンパスをあるいていると
同年代の人たちと沢山すれ違うわけですが
あたしの人生のうちで「としのちかいひと」とこんなに沢山袖を触れ合わせるのはひょっとしたらもうないかもしれません


姉たちは私の両隣の部屋にいるし
いままで20年間ホボ毎日一つ屋根の下にくらしてきたわけだけど
でも私には彼女たちが一体何を思い何を考えているのかわかりません
家族ですらそうなんだから
他人だったらなおさらのことと思う
あんなに仲がいい、って思い思われている人の作品とかブログとかみても
?っておもうのは少なくない
 
あたしはよく人に変っていわれるけれど
でも彼らだって周りの「いっぱんじん」が一体どういうコトを考えていて
どういう夢があって どういう悩みがあるのか
知らないハズなのに
比較対照したらあたしは周りの人より変という検証結果が出たわけじゃない(ひらきなおり)

バスで隣に座っていたおじさんが何を憂えていたのかあたしにはわからないし
電車で横に座っていたおにいちゃんが何を思って空港行きの列車に乗っていたのかなんてあたしに見えたら怖いです


服作りとか音楽とか文章とか写真とか、
自分に降ってきたものとか考えたものを結晶にした結果が
他者に対して開かれたものである人は幸せだと思う。
自己確認をする行為と同時に
他者に対して自分の内面を伝えることができるから。
自分はこんなに一生懸命生きてるの、みんな見て!って
無言で伝えることができるから。

芸術の定義なんてあたしは知らないけれど
人間が孤独から逃れる手段なのではなかろうか、とも思う
ひょっとしたら聴衆は一人のときもあるかもしれないけれど
それでも自分の何かを伝えようとする試みだから。

アジアン雑貨のお姉さんの話によると
バンコクは地震の影響受けていないとか
プーケットのほうが大変らしいとのこと
もう一回行ってこようかな