2004年10月

昨日はありがとう、
と言ったら頭を撫でてくれた。

家に帰るともう誰とも喋りたくなくなる。
甘えてるんだろうな。
言わなくても通じるだろう、と。

またやってしまった。
ぐらぐらなときに誰かに電話して、ワーワー泣くの。

迷惑なんだろうに
一時間以上も相手してくれた。
ごめんなさい。
ひとりで立てるようにならなきゃ。

なんかあたし、イノシシみたい。
イノシシのコドモはウリ坊。
猪突猛進。どどどどど。
てんぱっちゃうと、一つの角度からしかものごとを見られなくなる。
何かあったわけではないのに、
凹むのは何故?
じゃあ考えなきゃ。
考えても分からないんだもの。
きっと考えるのが浅いんだよ。

一ヶ月が経った。
でも、実はまだ全然相手のことを知らないと思う。
日々の生活でもみくちゃになってて、
二人だけで向き合える時間は皆無に等しい。
最近は触れる時間もつくっていない。

私が勝手に彼との時間に安堵して、
すとん、と伝えてしまった。
だからこれだけの短い時間で
彼は果たして私に居場所を感じられるようになったのか。

「つきあう」、って言葉をよく聞くけれど、
わたしはたぶんこの意味をわかっていない。
ただ、もっと知りたいと思うし、
もっと知ってもらいたいとも思う。

もしかしたら、
彼とまっすぐ向き合える時間なんて、
実際は作れないものなのかもしれない。
ひょっとしたら唯一の手がかりは、
日々もみくちゃになっている間に垣間見る、
彼の姿だけ、だったり。

カイロプラティックに行ったついでに、
昨夜から痛むおなかをみてもらった。
あたしのおなかにしばらくじーっと手を当てたあと、
妙なことをおっしゃった。

「おなかの脈が弱ってますねーストレスとか?」

べつに何かあったわけではないんだけど。
でもまだ痛い。

触れるとあたしのどこが調子が悪いか、お見通しらしい。
医学ってすごい。
カイロを勉強する大学の願書が積んであって、
思わずもらっていきそうになった。

なんとなーくあちらも調子悪いのでは?と思って、
「元気?」
と送ってみた。
やっぱり、「頭いたい」と返ってきた。

おなかが痛くて眠れない。
メッセンジャーをつないでもらって、すこし話した。
論文に追われているのに、邪魔しちゃった。
中身のある話はしなかったのに、
ぐっすり眠れた自分に驚いた。

週に90分のフランス語授業の予習をするのに、毎回5時間かかる。
前日に徹夜同然でやる。
週に一回なのだから、
さっさとやっとけばいいのに。
なんでこんなに時間かかるんだ。

はじめて間もない(といっても4月以降)ため、
ほとんどすべての単語を調べるから。
あと、復習を怠っているので
何度も同じ単語を引くから。

他学部の授業にお邪魔しているので、
単位も来ない。
でもこれまでなんとなく(その場しのぎなのに)
皆勤なのは、
やっぱり興味があるからなのかな。

私は私の興味が、わからない。
何かに没頭する自分を、怖がっているフシがある。

---没頭せずに、何しているの?
---ん?ぼーっとしてる。
---確かに今の時期しかぼーっとできないよね。

このままでいいのかな。
社会に出るまでの時間を逆算してみたら、
あんまりそうしていられる時間はなかったんだけど。

サークルの先輩に電話をした。
電話越しでぼろぼろ泣いた。
でも、なんで泣いたのかよくわからない。
いい人だから、かな。

先輩優しいね、あたしはそんなに優しくないよ、といったら、
「自分は優しくないと思うことが大事」とか言ってた。
メモメモ。

知力体力財力がほしいと友達が言っていたけれど。
知力も確かにほしいけれど、
今のあたしがほしいのは、
彼みたいな人間力。

相手に対しての期待や理想って、
持たない方が
裏切られる機会が減るのかな。
つまり幸せになる機会が増えるのか。

[相手のやさしさに期待しない]ことを、
ある人は「妥協だ」と言った。
なぜ?

期待してないから優しくしなくていいよ、
なんて言うときっと相手を傷つけれる。
でもあたしは、一人で立っているために、
相手に甘えちゃだめ、と実は自分に言い聞かせているんだと思う。

もしかしたら、
電話とかメッセはコミュニケーションの一部(=顔を見て喋ること)
が欠如した手段ではなくて、
それらもまた、自分を伝えるための十分な手段なのかもしれない。
もしかしたら、だけど。
顔を見ないことで生まれる可能性(あるのかなー?)。

ものをすぐ捨てるあの人。整理上手とも言えるけれど。

どうせ捨てられるのだから、と文章を書くことをホウキするときの私と、
[言っても不毛]と時々収束(?)してしまうときの彼は似てるかも。

相手に伝えたいことって、
その時その場所でないときっと伝わらないし、用をなさないと思う。
結局捨てられることになる手紙でも、
結局忘れ去られる話でも、
伝えた時に生まれる感情とか気持ちをつみかさねて
あ、このひとこういうこと考えてるんだ、なんて把握できるようになるわけで。
内容よりも伝えるという行為の方を重んじるべきなのかな、とちょっぴり考えた。

その日のインストラクターは、フランスで育った黒人の方。
2ヶ月前に一度レッスンをしていただいて以来、
どうしてももう一度会いたかった人。

ジャーナリストをしていたという彼との会話,
私はいつも「why?」と突っ込まれていた。
すごく目の優しい人で、
ちょっとかすれた甘めの声で、
一つ一つ丁寧に語りかけてくれた。

レッスンのチケットがなくなるので、しばらくこの会話学校には来れなくなる。
もしかしたら二度と会えないかもしれない、と思って、
彼の言葉一つ一つを逃すまい、と一生懸命だった。

なぜ英語を勉強しているの?目標は?と最後に聞かれて、
あたしは英語でうまく答えられなかった。

他の文化に生きる人としゃべる機会を得たいから。
自分を知ってもらいたいから。

日本語だったら言えるのに、
英語だと簡単な表現に甘んじてしまう。

彼はやっぱり見抜いていた。
考えていることの深さと、表現の深さが一致していない、と。

ひとつ質問をもらったら、みっつの答えを返してみよう。
話している相手はあなたのことを知らないのだから、
自分を伝える努力は怠るべからず。

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