2004年11月

煙草と香水の匂いが服についていた。

渋谷の夜の人ごみから逃れて、
やっと空気の音だけがする空間に来た。

静かになったら、
すこしは話せるかな?と思ったけれど。
口を開いたあとに、私は自分がしゃべるの苦手であったことに気付く。
あった出来事に対しての私の感覚、何か伝えたいのだけど。
やっぱり上手く伝えられない。

前々から自分で言っていたけれど、
無口な人らしい。
といってがんばって話題を探している風でもなく。
あちらからは他愛のないことしか話さない。


触れるまでには、時間がかかる。


Canon?のカメラを触って遊んでいたら、
取り上げられた。
私には触らせてもらえないらしい。

もう一度遊ぼうと手を伸ばす。
彼のほうに、引き寄せられる。





[いつかBIGな作家になって、

文藝春秋とかで対談するの!]


04.11.25 am2:00

ツーカの、
「説明書のない携帯」、
お年寄りの原宿!である
巣鴨でフィーバーしてるとかしてないとか。

実は私もあれ使ってみたい。

16時半からの授業でて、
メルロ・ポンティについての弾丸トークを意味不明のまま聞いて、
そうしてあたしは一体何を得るんだろう。

がっこう楽しい?ってきかれて
まーね、とか答えた昨夜。
嘘ついたことに、今気づいた。

追記。
夜にとあるお兄さんとその話をしたら、
高校の物理の授業って無駄じゃなかった?
と聞かれた。
大学に来てからそんなことを考えなくてもいいんだよ、と。
たしかに!

を、叶えてもらった!!涙。


劇団四季・ミュージカルCATS。


幼稚園のころに地元で公演があったけれど、そのときは連れて行って貰えなかったから。



浅利慶太の再演出。
CDで覚えた歌までいじられていたらどうしよう、
とちょっぴり不安だったけど、
ぜんぜんそんなことはなかった。
私が長い時間かけて創っていたイメージは
本物の猫の世界だったのだけど、
所詮?ミュージカル。ヒトが演じるのね、と再認識してしまった。
でもその認識、落胆にはつながらなかった。
これでもし生演奏だったら、
あたしはきっと泣いただろうな、と思う。
でも役者さんたちの猫のような身体の動き、
その場でうたう歌、
間近で見られてほんとにうれしかった。

昨夜は二人の人と、向き合う試みをした。


ひとりは彼と、もうひとりは中学からの友達。



お互いの認識の差がいくつか見えたと思う。
たとえば。
私は思ったことを口で表現することに対して、
かなり苦手意識を抱いている。
けれど彼女は、
私が思ってはいるが、単に口にしていないだけだと考えていたみたい。



7年以上も友達でいるという事実に、
今までの私はちょっと天狗になっていたかもしれない。
あたしこの子のこと、よく知ってるから、と。


顔を毎日見ていた6年間+離れて暮らす一年半。
この人最近はどんなことを考えているのかな、と一生懸命アンテナを張って聞いてみた。結果として、確かに私、自分の話はあまりできなかったかもしれない。

向き合った(?)いやとりあえず、毎日顔を見ていた六年間に積み重ねてきた
お互いへの認識はあるとおもう。
変わらない夢への想いには、私も妙に安心させてもらった。
けれど、私の知らないこの一年半で、彼女は随分変化(成長?)しているよう。
日々変貌を遂げるお互い。

他者と向き合うことに、終わりはないことを実感した。


このままじゃダメだ




生きているということ、
ただそれだけのことが
ものすごい幸福であることを感じた。




「最近彼とどう?」なんて聞かれて、
あたしは[一ヶ月まともに会っていない」とそのまま答える。
大抵の人はそこで、
(そういうことを聞く人は所謂おせっかいさんであることが多いので)
[そんなんでいいの!?]という反応を示す。
まーたしかによくないよ、と思う日もあるけれど。 
私だって弱くて寂しがりやの生き物ですから。


でも、そんなこと、
人が生きてく上で巡り合うことの数々に比べたら。



先日お兄さんを亡くされた先輩にも、
ギョーザを食べながら同じ質問をされた。
「会えなくても幸せなの?」って。


会えない寂しさを、
彼の前で口にすべきではないと
あたしはラーメンを食べながら思った。
選んだ言葉は、
「ほんのり幸せです」

遠慮してるね、って言われたけど。




子どもにとって最も不幸なことは、
戦争でも飢餓でもありません。
[おまえは必要ない]と言われることです。 (マザー・テレサ)



親や友達や恋人、周りの人全てに存在を認めてもらっていることの、
なんと幸せなことよ。


無条件に自分の存在意義を確認したいと思うとき、
私は祖父母の家に行く。
私の顔を見て、
よくしゃべるおばあちゃんと、
無口で控えめなおじいちゃんとに囲まれて
お茶を飲みながら出されたものを食べて、
話をする。
ただそれだけのことなのに。
私が行くだけで、すごく喜んでもらえるから。
若い人がくるとエネルギーがもらえる、って。
そしてひょっこり現れた数日後には、
必ず手紙が届く。

先日はヒョッコリ現れてくれてありがとう、と。
足のわるいおばあちゃんは、自ら出かけることもなくなった。
家の仕事をセコセコとして、
孫達におはぎを作って、
りんごの入った白いサラダをつくって、
おじいちゃんにお茶を入れて。




私にも、
一生懸命燃やさなきゃならない何か、
があるような気がしてならない。



高橋歩・著

〜愛する人と自由な人生を〜

大切なもの以外、すべて捨てられたらいいのに。

私にとって大切なものって、なんだろう。

うちの大学のミスコン結果をのぞいてみる。
きれいな娘達だわ〜 笑
彼女たちがミスコン用に書いてるブログをのぞいてみる。
いろんなこと考えてるんですねぇ。
文面だけじゃ何考えてるのか伝わってこない子もいたけど(毒)

それぞれに一生懸命生きてるんだろうね。


さて。
酸いも甘いも噛み分ける女になるには?

気づいちゃった。
ふてぶてしいうしろ姿。

会わなくなって久しいのに。
高校のときにすごく好きだったひと。
背中だけで、もしや?とおもって。
髪型も黒さも記憶と違うのに、
なんで分かったのだろう。
もしや?とおもって、
横顔を見た。
切れ長の目。
かつてのあたしはその存在を認めていなかったけど、
耳のちかくにほくろがある。
左耳にいつの間についたんだろう、
おっきなピアス。
もしや?とおもって、
うしろすがたを見送ってみた。
曲がる前に必ず反対方向をちらっと横から見上げる。
ふてぶてしい歩き方。
やっぱり。
忘れたはずなのに。

過去を思い今を想い、
千々に乱れるあたしの気持ち。

久しぶりだね、って言えればどんなにいいか。
でも今のあたしには、そんなことさえできない。

↑このページのトップヘ