2005年04月


上手くいえないのだけど、この一ヶ月で、特にこの2週間でいろんなものを放棄した。ぐちゃぐちゃとしたものをたくさん目にして、そういうものから上手に自分の気持ちを護る術みたいなのがまたすこし、うまくなったきがする。でも今日は一気に本を読んで、変な奴から変なことを言われたのを朝イチで思い出して、相変わらず退屈な授業で、バスをどうしようかとかこんなこと失礼なんじゃないかとか、カフカはこの先どうなるとかナカタ老人が死んじゃったとか、そういうのでいっぱいいっぱいだった。実は自分をまもること、全然上手くなってなかった。バスの先生に電話をしたら、最近は元気にしてる?色々悩んでたのはどうなった?とか、あたしの質問に答える前にそういうことを先におっしゃった。あたしはあと5000年くらいしてもそういう人間になれる気がしない。いいやつとかいいおとこというのはいるんだけど、いい人間というのに久しく会ってない気がする。それとも前の二種類に会えるというのだけでも恵まれているのだろうか。 上手くいえません。脱線事故が起こる日の前日通学に使っているJRのダイヤが乱れている、その理由は早朝に起きた人身事故だっていうので私は既に悲しかったしもうこれ以上何もない、知らなくてもいい真綿でくるまれたような生活がしたくてたまらなかった。でもそういうことは生きている限りやっぱり無理で、相変わらず一部の人間は飛び蹴りしたくなるほどむかつくし授業は相変わらず退屈だし新聞を開けばどこかに必ず誰かが亡くなったという記述がある。 なぜだかよくわからないけれど新聞というものは「どなたかが亡くなった」報道はたっぷりするけれど、「誰かが生まれた」ことには驚くほど興味を示さない。最近いちばんのヒットだったのは愛子様誕生くらいではなかろうか。あとは中国で13億人目の赤ちゃんが生まれたとか、あるいは動物園でパンダに赤ちゃん産まれた、とか。赤ん坊とは生まれ落ちた時に大衆的価値は見出されず、生んだ父母そしてその親戚とか、にとってのみ絶大な喜びとなる。どこでどの夫婦に赤ん坊が生まれたかなんて、名前の届けの際に市役所の人にとって分別しなきゃいけない書類が一枚増えることくらい、あかの他人にとってそんなものである。あたしどうだったんだろう。 亡くなったという事実を以って、三途の川のこちら側はまたひとつ偉大な命をうしなった。いかなる天才であってもすべての人間が避けては通れない道である。社会がある日ひとつの天才の生を失っても、その瞬間どこかで必ず新しい命は生まれている。自分はどこから来て、そして誰の身代わりとなってその命を天に葬るのか、そんなことを知る由もなくただただ私たちは毎朝満員電車につめこまれて、コンビニのまずいお弁当たべて、ぼんやりと時にぐっちゃりとして与えられた時間を生きる。 流水不腐、万物流転輪廻転生。無常というのは虚しいんじゃなくて同じことは続かないってこと。強くなるというのは転がり続ける石をじっと見つめて角がとれていつかすべすべと痛みが取れるようになるまでじっと耐え続けるということなのかもしれない。

>今日会いたいのだけど、バイト前に時間取れないかな。
>明日とか明後日じゃぁあんまり意味がない。

というわけでムリヤリ15分ほど捻り出してもらった。(「捻出」ってこういう意味なのか!)ほんとに感謝。なんでか自分でもよくわかんないんだけどね。なんかいろんなことがいっぺんに私のところにぞろぞろとやってきて、混乱していた。あたし捻くれ者なのでちゃんとお礼言ったか気がかりです。ありがとう。

ブログというのは去年の夏から某プロバイダーのページを借りて個人的に続けていたのだけど、(既に投稿件数500近い)ここ2週間くらい、「何も書けない症候群」に襲われている。書けないのだ。今まで書いていたようなこと、日常のふとした気付き、日常に会う人の微妙な表情の変化。そんなことがなんだかこの2週間でどうでも良くなってしまった。あるいは自分が変化する時期なのかもしれない。(あんま関係ないけどもうすぐ誕生日だし。) というわけで個人的に開設していたブログは最近放置気味で、こうして私と「書くこと」は遠く離別していくのかと思いきや、今度は授業でぜひ作りましょうという話になってしまった。 中学高校のころから「自分を誰かに表現し、知ってもらう」為の手段を探してきた。おしゃべりが苦手な子だった。今も昔も。話す事で自分を分かってもらうことは無理、歌は音痴、楽器もやってみたがそろそろ限界、絵は虚数的才能というかつまるところさっぱりで、写真もそんなセンスなし。最後の砦が「書くこと」で、これは唯一ひょっとしたら、の希望があったものだ。書くことが自分を表現するための最初で最後の手段かもしれない。(それを確かめるために昨年夏にブログを始めたのだが。。。)はてさて。やめても授業で作らなきゃならないということは、私と「書いて表現する」ということは切っても切れない縁なのか。さてどうなんでしょう。

no title  サグラダファミリア。
日常に帰って家族たちに大事にされ、ぬくぬくと過ごしている今。振り返るとなんであんな遠くまで一人で行けたのかと自分に驚いてしまう。イベリア半島から横浜まで、電話代五分間で5ユーロくらい(\700↑)。数万キロを隔てて、それでもなお鮮明に聞こえた声。

『内向的性格か、外交的な性格か』という心理ゲームみたいなのをやった。「決断は早いほう?」「悩みがあったらすぐ人に相談できる?」「猫と犬とどっちがすき?」って相方の問う質問にYESかNOで答えていって、最終的に稼いだYESのポイント数で外交的かどうかを判断する。私の結果は、「ちょっぴり内向的です」。まぁ予想通り…かなぁ。でも華やかな帰国生の女の子が6割を占めるクラス、私のポイントは27人いるクラスでびみょうに最下位だったらしくて、授業が終わった後先生が心配してわざわざ私のポイントを数えに来た。でも他の人たちと殆ど点数離れてなかったし、ひょっとしたら相方が書き間違っているだけかもしれないし。んなことしなくても!

時計のない生活がしたい 午前二時にむっくり起きる。あるべき感覚だったら午前二時は「夜中」と表現するのだろうけれど私の体内時計は狂っているのでよくわからない。昨日と今日と明日という言葉の混じる時間。とにかくその夜中とやらに目が覚めて、ふっと感じた。家族でも親戚でもない、ある日突然あった誰かに大事にしてもらう不思議すぎる感覚。思えばそういう優しさと無縁に生きてきた。変ないちゃもんつけてないでもっと大事にしよう、と思った。

なんでいちばんいてほしいときに離されちゃうんだろう。責めているわけでもだからどうしてほしいというわけでもないのだけど、なぜ?もうちょっとつよくなりなさい、って神様が操作してるのかしら?いちばん居てほしいときに、私の隣にはその人ではない別の人がいる偶然の不可解さ。 いちばんいてほしいときにそこにいない。いつもいてくれるから、居なくなると枯渇状態になる、昨日の話はそれともそういうことだったのかしら。


nobodyknows+   チューバみたいな低い声にやられた。 一本頂戴、と言ってみる。あれほどタバコを嫌っていたわたしがいきなりそんなことを言い出したので、ちょっとびっくりしつつ、それでもマルボロ出して、ライター出して、オイル切れてたからマッチ出して(なんでマッチまで持ってるんだろう)わざわざ擦ってつけてくれる。何かあったん?と聞いてくるわけでもなく、タバコをふかしつつ、あたしが銀杏並木でぽろぽろとこぼした言葉を一つずつ拾ってああ、とか そうなん? とかそういう返事をひとつひとつ返してくれる。この人は何者なのか、優しいのやら冷たいのやら、やっぱりさっぱりわからない。でも迷子のわたしを駅まで拾いに来てくれて、歩きながら丈夫な赤ちゃん産めんよ、と軽くしかってくれた。仕方ないから同じ言葉を返しておく。 あのときの感情とか精神状態は上手く言い表せない。いやこれまでずっと、そしてこれからもずっとそういう状態の中を生きているのだろうけれど。突然泣きたくなることが、ときどきある。 江国香織の小説に「ねぎをきざむ」というのがある。帰りの電車を降りようとプラットホームに足をかけた瞬間、どうしようもない哀しみに襲われる。 その人のことをもっとすきだったらいいのに。用事が済んだら、ちょっとお茶しない?と呼び出して。優しい人だから、かなしいといえばきっと何かを聞いてぬくもりを分けてくれるんだと思う。でもせっかくそれをしてもらっても、どうしようもないかなしみは埋まらない。 早くお家にかえって、家族と顔を会わせ、ペットの犬を抱き上げれば、こんなわけのわからぬちっぽけなかなしみは紛れるかもしれない。でもそんなことをしても、やっぱりかなしみは消えない。仕方がないので一人台所に篭って、ねぎを刻み続ける。そういう話。 今日はねぎを刻むわけにもいかなかったので、たばこをもらった後ひとりでごはんを食べた。わたしが在りたいわたしにもどるまで、じっと時がすぎるのを待つ。

週に一回来る練習日。毎度のコトながらコントラバスを運ぶのがだるい(笑コンバスの相方は今日は寝坊してないといいなぁ。みんな今日は練習来るかなぁ。

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