2005年06月

今日は珍しく二限に遅刻しないで学校に行って、
でも
授業中ずっと手紙を書いていた
ルーズリーフに4枚、
とりとめもなく
でもぎっしりと
おそらくあのときあの状態じゃなきゃかけない文章で
おそらく同じものは私にも二度とかけない
書きながら涙が出てきて
ただの思い出ばなしなのに
べつのはなしをかこうとおもう
ひょっとしてなにもかも先生はおみとおしだったか
ハンカチをあてたあたしはこれからどうしようか

パソコンでうちこむ文字と
下手でも書き続けた文字と
あああたしはやっぱり自分で書くほうがいい
つたわらなくてもいい
あたしが伝えたいと思っているということをうけとめてもらえるならば

渡すとしても便箋にもう一度おこすだろうから
これは私の手元に残るだろう

ルーズリーフに綴られた手紙は
さすがに女子高生っぽいので
渡せない
でもなんか
これをきれいな紙に書き写すことで
失われる何か、
がある気がする

消えて行ったなにかの存在と消えて行ったという事実に
気づいたのは私と、手紙を受け取るだろうあのひとと、
ひょっとして誰も気づかないかもしれないけれど

何かがふうっ、と姿を消して、
それでもちゃんと世界はまわる。

母国語じゃなきゃ、だめだった
母国語でも、だめだった
言語化したことで失われた何かがある
それを取り戻したいならば
沈黙を選ぶべきか
なにも言わないで
じっとそこにいる、
そんなあたしは
なにをつたえる?

おんがくも
絵も
劇も
ことばにも

完全はない
あたしはどうやって
つたえればいい?



むかし
まだ携帯もパソコンもなかったころ
あたしはなにをして時間を過ごしていたんだろうかと思う
部屋の隅にちぢこまって本を読んでたり
おりがみしたり
なんか縫ったり
なんか作ったり
手紙書いたり
ぼんやりしたり
おんがくきいたり
くうっ、って寝たり
便利すぎる時代だな
高校生のころは
誰かへの電話はよる10時までだった

bus いまをいきること。
あしたをゆめみること。
みらいをのぞむこと。









いちにちじょうしゃけん
知らないまちを
バスでめぐる。
夜の八時が終バスで
とってもちいさなシャトルバス。
あたりはまっくら
乗客はあたしのほかに年上の女性がふたり
おうちにかえるところなのだろう
あたしは?
これからどこへゆく?
それでもさみしくなんかならない
ここは東京の真ん中で
はじめてのばしょだけど
ちゃんとバスは、あたしの知っている駅に着いてくれたし
あたしには
かえるばしょがあるから。

 


  < 潔いと言われれば、そうなのかもしれません。 
   けれど、私は自分の人生において
   その時何が一番大切なのか知っていたんですね。
   それを貫くためには、たとえ愛着があっても、
   古くて要らなくなった何かを手放さなければならない。>

                          武田久美子

今朝、
味噌を出して、
溶いてるときの姿勢、
背中のまるめ具合、
スプーンじゃなくて菜箸使って、
あたし
自分のおばあちゃんとそっくり。

冷房が当たらないように避けてもらって
夕日のまぶしさにサングラスをもらって
音楽落としてもらって
このまま眠りに落ちたらしあわせだろうな

向き合うことって今をいきることなのかもしれない、
消えいりそうな意識でそうおもう

アフリカ大陸からの大使がたくさん学校にいらした。
なんか勉強会みたいなの。
こういうのを「しんぽじうむ」というらしい。
飛び込み出席した。
英語はむつかしかったけれど
そこに生まれた空気というか、熱気というか。
これは好きだと思った。

驚くべきことに
生徒よりアフリカンアンバサダーの数のほうが多かった(30人近く)。
あたしも昨日キャンパスの事務室を駆けずり回って今日の情報集めてたくらいで、事前に開催キャンパス内での広告もアナウンスも一切なしに行うなんていい度胸だと思う。モッタイナイ。×30

そして私は夕方からサークルの話し合いとやらがあるので
最後までいられなかった。

アフリカとサークルどっちが大事?

いや今日に限ってはアフリカだと思います。

だったら最後までいればいいじゃん。

いやでもなんか行かないとあとが面倒だし
別に私が行かなくてもコトは解決するはずなんですけど、

んじゃあなんで行くの?

・・・。

なんか抗えない力ってゆーか。

なんでしょうね




自分によって生み出された空気じゃなくて
他者に介入し介入された結果生まれた空気。
向き合う以上
自分の深層は予想以上に響く。

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