2006年02月

長野五輪でテレビを見ていた小学生がトリノで選手になった
八年という月日が人を変える
八年あれば、体中の細胞はすべて入れ替わるらしい(米原万理)
かつてその存在だけで私を揺さぶる人がいた
たしか。
その掌から消えてしまったけれど
あたしはそれを確かに記憶している
すべての細胞がもうすぐ入れ替わるのに。

最近生きている感じがしない。
友達の弟に数学を教えてきた。
もんのすごい疲れた。
二次関数の認識がバラバラ
なんだ私数学できる子だったんじゃん、と思った
化学が分からないとか物理が分からないとか言ってたけど意外に慣性力とか得意だったし
人と比べて(しかもあのレベルの高いヘンテコ母集団の中で)できないから、
テストの点が低いから、
親も先生も褒めてくれなかっただけで
それで私は理科が嫌いで出来なくて
数学の能力がないと思った、
ただそれだけのことだったのかもしれない。
他人本位なこの言い方。
けなされる環境で自分を信じ続けるなんてたぶんできなかった。

いつもそういわれる。
社会とか国語の成績ずっとくらすでいちばんだったり
国語の学力テストで学年一位を取ったりしたけど
そういう子だったけどいつも「ひきつづきがんばりましょう」と言われてきた。
大学が決まっても「ひきつづき〜」だった気がする。
一体何を尺度に生きていたのか
どこまで何を頑張ればいいのかなんて誰も教えてくれなかったし、
そういう尺度にあてはめられたそのときの私は、
ただ無性に悲しいだけでどうすればいいのかなんて全く分からなかった。
無責任にも「ゴールはない」と母親は言った。
褒められてもけなされても、
結局自分次第ってなんでもっと早く気づかなかったんだろう。
あたしなにしてたんだっけ。
なんだか疲れた。
もっとわがままになろう。
なんか凄い依存状態。
なんて甘えた子。
でも中学生だった女の子の、
甘えることの何が悪い、とも今は思う。
だったらそのときちゃんと生きていたことを、ただそれだけを
褒めてくれてもよかったようなものなのに。

f2745a00.jpg 花屋に行ったらバラを3本もらった
日本で一軒の農家しかつくっていない、このバラの色を
私は上手に伝えることができません
花屋に行った私には絶対に選び出して買うことができないような
肌色、茶色黄色と紫にピンクが上手に混ぜ合わさったような
中世の絵の中の花みたいで
そして買ったばかりの小さくて真っ白の、牛乳瓶みたいな花瓶に挿したとき
私はその色の価値を知ったのでした。
生身の女の子の身体に血管が透けているみたいな
眠り姫の100年目の城の塔に挿されていたような

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