2006年04月

自分で吐き気をもよおすほどに、
自己主張が苦手である
たぶん
どうでもいいところはかなり強引にできるんだけど。
まわりが幸せになっていなければこまる。
地中海から帰ってきて2週間しか経っていないのに
もうこのちっぽけな大都市で自分が潰れてしまいそうな錯覚に陥る
でもこれは錯覚ではない
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どうして?と問われることが多いのだけれど
私は上手に答えられないことが多いので
その大半は大抵ほったらかしにしている。

なぜ?とよく聞かれるけれど
私は上手く説明できないので
なんとなく、と答えてするりと問題から逃げることにしている。
曖昧は曖昧でまた、心地よいのだろうと思う。

なぜ書かないの?と問われるけれど
べつに書きたいと思わないから
山田詠美の言葉を借りるとまだ書きたいという「膿が溜まらない」から
反体制なのは、べつに私の近くに居る人がそうだからではないと思う
ただそういう部分の私がその人といることで上手に引っ張り出されてきただけだ。

晩秋の私は抜け殻だった
空蝉といえば聞こえは良いのかもしれないけれど
抜け殻となった私はその状態の自分が朽ちるのを待つだけだった
小さいころから、もっともそれを知ったのは小1のときだけど、
作文が上手な子供ではあった。
しかし私はやはり、ぐるぐると回転しつづける自分の内面から浮遊した言葉を綴ることができない。
「振り子の運動には終わりがなくて、
まわりつづける星は軌道から離れることを知らない。
時として絶望的とも思えるその軌道。」(江国香織)

まとわりつくものの数々にうちのめされて上手に整理できなくて、
そのころ行われた文化人類学の入ゼミ試験の折、
ふらふらと行って葬式とか死とかに興味がある、と先生に言った。
他の文化で人間の死とそれにまつわる儀式がどのように捉えられているのかを知りたい。
すこうし勉強すれば、あたしはこの絡み回り続けるどうしようもない思考を、もうちょっと上手に整理できるようになるかもしれない、と相変わらずの舌足らずで言った気がする。
日本のお葬式は暗くて湿ってるんですよね、と先生はいつもの笑みをたたえながらそうおっしゃる。
あたしの悲しみを知ってか知らずか、
先生は先週、前期のゼミのテーマは葬儀にしようと、仰った。

あたしのなかの時間が止まる。
今日は帰りのバスの中で即身仏の本を読んだ。
ゼミの本を借りている間に、図書館で見つけた。
永遠のいのちをもとめたから、と書かれていたし、
そこに載った写真は手塚治虫の火の鳥『鳳凰編』に出てきた上人様のひからび具合そのままだった。
昔を知ろうとするのはいいけれど、こじあけられるのは嫌だ。
即身仏をひっぱりだしてきて写真を撮った研究者たち、
なんだか死んだ虎に群がる蝿みたいだと思った。
科学なんていらない。

鈴の音がとまったら、どうか土から出してやってください。

するのはとても面倒だし窮屈かもしれないけれど
しないことでまたストレスをとんとんとためているのかもしれないから
またかなしくなるまえにすこしだけ
動いてみようとおもう

じぶんのやりたいことをやるのは、わがままではなくて…(省略)
(灰谷健次郎『風の耳たぶ』)

そうするのは、あんまりきもちよくない。
言葉が足りなければ傷つけるかもしれない。だいじなのに。
主張をするのは、とても大変だ。
自分が自分であることを知ってもらうのはなおのこと。

国家トハ幻想デアル、とアンダーソンという人はいったらしいけれど
家族も社会学的にいうと幻想であるらしいと聞いた
この母親と父親の娘で、
この人たちに囲まれて育ってきた
ということが今日はなんとなく納得できた
幼いころの先生やおまわりさんがそうであったように、
母親ももちろん、完全ではない

時間が経っても大して変わらないもんだなぁと思いました
だいじなものをだいじにすることのできる人、いそうであんまりいなかったのかもしれない。当時。

理不尽だなぁとおもいました
悲しかったです



つばめはもうすぐ巣立つのに

8年間で人間の細胞が一通り変わる、という米原万里の仮定を用いた場合
一ヶ月会わないと
自分の中の細胞は1/96、変わる。
相手の中の細胞も1/96、変わる。
そうなのだ。
1/96×96=1/9216
コノワズカナズレヲドノヨウニウメルベキカ.
数字の上ではとても些細で
でもお互いそう思っていた。
「なんか通じてないよね」
「なんか電波が悪いよね」
残念ながら私は携帯電話ではないのだが、
言いたいことはそういうことだった。
会話することで埋まるのか、
何時間か一緒に居ることで埋まるのか、
鯛焼きとワッフルとたこ焼とホットケーキを一緒にこしらえれば埋まるのか、
それともそれは仕方のないことなのか、
アラマホシキスガタカタチ.
もちろん必要なのは携帯電話の電波ではない。
 
(2006/4/13)

片手落ちの愛情。
体の表面はすこしたりない、へこみ具合。
彼の完全ではないところ、そして私の不完全なところが上手に一致しないのだ。

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