2006年05月

モナコグランプリを見逃しちゃった
ちょっと残念

深呼吸

だいじょうぶ


私はダンゴムシをつぶしてしまったことがある
ダンゴ虫だったかしら
たしか丸まらないほう

今日はお出かけするのしんどかったけど
いっぱいいい音を浴びようと思って演奏会に行ってきた
じっさいきもちよくてよかった
天皇皇后両陛下も見た
私の席の真上に座ったのでお顔を見れなかったけれど
演奏のあとにお顔を見に行こうよと誘われて、
おばあちゃんの前をとおって、二階席をのぞきあげた。
とおるときに、私はおばあちゃんにぶつかってしまった。
おばあちゃんは、天皇皇后御退席に目もくれず、
そそくさとロビーのほうにいってしまわれた
紙袋を忘れて。
だから私は、自分がおばあちゃんにぶつかって謝らなかったことよりも
あたしたちの拍手がなにかおばあちゃんの気を悪くしなかったか、
そっちの方が心配だったりします

「気分はどしゃぶり」と言っていた先輩と、その彼女さんらしいという噂の後輩が一緒に居た。
どうなったんだろう、とチョット思った。

出かけ際になんとなく、今日は大きな地震が来るんじゃないかと思った
ほんとうに、きた。

花屋で、青い花を買った。
誕生日はちゃんと祝ってもらったかい、ときかれた。
花屋のおにいちゃんはかっこいい。

変な夢を見た。
腕に抱えられていたら子供が生まれた。
首から分裂して。
手のひらに載る大きさだった。
食べさせるものがなくて、探しに行こうと母に子供を預けたら
鶏肉の入ったすりつぶしたものを探してきなさい、といわれた。
そこらへんに立っているたべもの屋を探した。
うどん屋をのぞいたけれど鶏肉がなくて月見ならあった。
どうしようどうしようとおろおろして、
仕方なく車に戻ったら
母はすでにうどん屋で頼んだ素麺みたいなのに、鶏肉をのせたものをスリコギでぶにぶにつぶしてその子に食べさせていた。
私の首から分裂したその子は手のひらサイズで、名前を付けていない。
父は愛人を作って家を出た。
とりあえずあんまり可愛かったものだから、私は左手にその子を乗せて、最近つかっているカメラで写真をとることにした。
ぱしゃり。
利き手でシャッターを押す。デジカメではない。
白かクリーム色の産着を着て、私の手のひらからはみ出してすやすや眠る。
その子の父親には自分の首から手のひらサイズの子供が生まれたことを、私はまだ話していない。どうしよう。
夜の車。外では雨が降る。


けれど私はたぶん、
これが事実になったとしても、
相手には言わないと思う。
『冷静と情熱のあいだ』のあおいみたいに。

変な夢を見た
金魚の延長のノリで飼ってるうちの鯉が
池からばしゃっと跳ね上がって
池の上に張ってあるロープかワイヤーに引っかかって
からだがぶにぶにっと糸で切られるの
肌色の鯉で、
鯉の生肉と血と骨がシャケの切り身みたいに
えらの下のところでぶにゅって
なんだか腐った人間の脂肪みたい
切られた胴体の角度まで覚えている
そうして焚き火をするレンガの前にぼとりと落ちる
でも生魚を触ることのできるはずの私はそれを触ることができない
あたしよりもずっと長く生き過ぎてたそれを
あの死体をあたしはどこにやったんだろう
庭に埋めようと地面に向かったら
そこには前死んだ何かの骨が出てくるから
もっと奥にせよ、と言う
拾い上げなきゃ庭にも埋められない
でもあたしはそれを触れない
どうしよう
私の頭にUSBケーブルをつなげたら私今ここで再現できるよ


そう思っているうちにまた夜が来た。
眠らなければならないけれど、
夢の続きであたしは名前のないあの鯉を拾い上げることができない
助けて

学:韓国北朝鮮の統合の可能性を東西ドイツ併合の事例からさぐる
修:韓国北朝鮮の政府・経済レヴェルの交渉に加え、文化・社会的相互中小集団に   よるアプローチを波及させる
博:東南アジア諸国と日本、政府間交渉と社会文化面のはざま。橋渡し。
  ケースの研究
 むずかしかった 脳みそに血がかよった。
 
いいものに働きかけてさらに良くするアプローチ方法
アーユルヴェーダみたいな。
派生した問題をひとつひとつつぶしていく方法ではなくて。
<文化・宗教・スピリチュアルなもの・言語・民俗信仰>と<政治経済>との隙間を埋めること。
<資本主義の行き詰まり>を文化的側面から見る。資本主義の中に居て、文化を眺める。
資本主義に入り込まない。文化的手法にどっぷりつからない。
その狭間に生きる。企業にはいらない。音楽に、文学に、感覚だけの世界に逃げない。
逃げない。どちらかに入り込まない。たたかう。両方の狭間で。つなげる。渡すための橋の設計をする。その思考はあたしだったらできる。はず。そういう仕事を探す。
そうだだから楽器もやめたし教職も中断したんだ。思い出した。

月凪

ただ上手く生きてくために
わたしはいくつも嘘をつく(早川大地)

あたしは覚醒して喋り続けた。『ノルウェイの森』の20歳の誕生日の夕方の直子みたいに。
けれどほんとうは溺れていてうまく泳げなかったのかもしれない。
立っている振りをしていたけれどもちろんあのとき手を離されていたら私は戻っていなかった。立っているふり。大丈夫なふり。
ふりかもしれないしほんとうに大丈夫なのかもしれないし。

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