2006年08月

ただでさえ自分の中の女の芯が渇きゆく日々、冗談じゃない。
泣きそうになりながら話すあたしに、昨日とむ君はいつもとかわらぬ不思議な平静さで、コドモを産むならちゃんと治さなきゃね、と言った。
昨日おそらく初めて自分の年齢を忘れた。
そういえば消えゆく本屋を訪ねた帰り、
大学近くの地下鉄でインドのおじさんとプチ友達になった。
緑色のターバンをこぎれいに巻いていて、あたしはそれをまいている人を実際に見るのは初めてだった。シク教の方で、小さな旅行会社を経営しているらしい。さっきメールが来た。ふとしたきっかけでメアド交換をすることは少なくない。雨の台北駅前で傘に入れてあげたおじさん。大学ですれ違った短期留学生。マルタで知り合った学生たち。でも本当にメッセージが来たのははじめてだ。そういうことをするために、普段使いでないメアドをひとつ作っている。ちなみに彼曰くホットメールはインド人が作ってマイクロソフトに売ったらしい。
毎日やってくる就活情報。メルマガ。
自分で登録しておきながらそれを書いて送ってくれる人には悪いけれど、
何かがますます枯渇しゆくつまらなさである。
そのなかにひょっこり紛れ込んできたたより。
ふしぎなかんがい。

日記。

一昨日;ばあちゃん家に行く
ばあちゃんの9本の指の爪を切る。
嬉しかった。
最後の一本の親指はナントカ病で変形しているので私ではなく娘の母が切った。
9本ばらばらな仕上がり具合。切るにはもうすこし修行が要るらしい。

昨日:消えゆくロシア書籍の本屋にゆく。
本屋は好きだ。空間が。
薬膳の本を買って夜中にことこと煮出す。あたしは魔女になりたい。

今日:声が聞きたいという前代未聞の電話が掛かってきたので
電話をする代わりにばあちゃん家まで楽器をかついで行く。一昨日あんたがしゅんとしてたから。あたまがちんちくりんだったし。半額セールの大福を二つかって行く。
90の祖父の散歩につきあう。途中でふたりでぜえぜえ言いだす。
おばあは脚が悪いので散歩には出ない。
連れて行きたかったけれど行かない。車椅子があったらいいのに。
疲れて歩けなくなったら負ぶうよ、と言ったら出かけた後に泣いていたそうだ。
ちなみにあたしはそのとき負ぶさるよ。といい間違えた。
溜まっていたものが流れてまたぽろぽろと泣く。三回おばあにごめんといわれた。三回以上だったかも。
帰り際にあたしはおばあちゃんみたいなおばあちゃんみたいになる。と言った。
そんなこといわれたらまた泣いてしまうけんはよ帰りなさい。
白状すると今朝電話があったと聞いた時点であまり長くないのではという予感があたしを襲ったので携帯で写真を撮っておいた。でもあまりかわいく撮れていないからまた行こうとおもう。だから時間が流れるのがとても恐い。
帰りに旧友に会う。会ってくれてありがとうと言い合った。あたしはどっかの女王様みたいだ。あこがれののどぼとけに触り損ねる。かわりに私が死んだら葬式に来てね、と約束をしておいた。
最近予感がよくあたる。うちのおばあちゃんみたいに。叔母によると澄んでいるとか感受性がつよいとそうなるそうだ。
あたしは魔女になりたい。

でもほんとうは橋はいらないのではないかと思う。妥協というかわざわざ労を費やして変換し提示すべきものではない。だって読めるんだもん。
思考も感情も自分の得意な言葉で話すからこそそこに吐き出した人の世界が広がると思うから。
知りたければ学べばよいのだ。
詩や物語ならなおさら、かおりのある世界は母語でしか表現し得ないと私は考える。
でもすべての人が触媒を学びつくす機会や体力に恵まれているわけではない。
それでもなおすべての人は世界中に吐き出された他者の噴出物に触れる機会は均等にある。その理不尽さを埋めるひとたち、なのだろうか。

くくりたいものが沢山ある。
古い紙の山。使い古した鉛筆。新聞紙の山。ハラ。観念。
腹をくくる。
先日偶然遭遇した先生に案内をいただいた。興味は広いがどれも知識があいまい。曖昧なままもがもがふらふらと生きている中で起きた偶然。これは時の流れが私にそろそろ腹をくくれと言う暗示にも思えたり、する。
はてさて。技術がほしい。ことばの。

涼しいところに行って来た。四日ほど家をあけて行方不明になってみた。
バカンスって大事らしい。運転ができた。カーブを曲がれた。高速に乗れた。車を洗った。森で息を吸った気がした。

帰ってきたらタイ語の通知が返ってきてて、95点で合格だった。ただそれだけで嬉しかった。はい、きみはテストができたからごうかくね。なんてわかりやすいせかい。
一生もそんなのだったらいいのに、とふと思うけれどそれもやっぱりさみしいからいいや。

地味めしダイエット

人間の住む世界はカミサマや動物とかは違うところであって
アリ塚みたいに、
産出物とか排出物とか、とめどもなく生まれてくる思考によって成立しているのかもしれない。ぼこぼこぼこと泥臭いものが積み重ねられて沢山の塔がたっているの。砂浜でつくったお城と名づけた山みたいに。
きれいだったら産出物、きたなかったら排出物。それを分けるのは人の勝手。
思考のどれも、絶対的に正しいわけではないし生産されるもののどれもが美しいわけではない。
そうだだからひとは選べというのだ。


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昨日は本屋でコクフロンとかマルクスとかのぶあつい洋書が並んでいるのに
わさわさよろこんでいた。なんだ似たもの同士じゃん。

「疫病とは世界が均衡を取ろうとしていること」だって。
「死ぬのが恐いとは生きることが恐いということ」
ああそうか、と思った。
だからあたしはこれが好きだ。
構成とか稚拙さはどうであれ。

「あのー、じぶん今のままじゃどうもいけない気がするんですよね、なんにも動きたくないし遊ぶ気も起きないし食べる気も働く気も掃除する気もおきないし」
「宇宙一汚い都市○○でも人間は生きている」
「サハラのらくだも生きている」
「資本主義にこの体を投じずに生きていく方法ないすかね」
「むり」

とてもあたたかかった
覚悟はしていたのに
だからあたしは不覚にも、また泣いてしまった
ティッシュを二枚ばさばさっともらった
最近泣いたことの記録ばかりだ
浄化するのが上手いんだね、といってそのひとはちょっとわらって
ちょっとたばこのすきなホタル族だと白状した
だからあたしも、それのほかにバランスのとり方がわからなかった頃のことを話して
自分も一瞬吸って、でもめんどくさくなったから辞めた、と言った。

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