2006年09月

 ジムに行ってから練習に来たから疲れているんだよ、といいながらでもにこにこしていました。甘いもので元気出そうかなとミルクティーを買っていました。彼も紅茶を飲むのね、と私はちょっと安心しました。
バナナ酢なんかで効くわけねぇじゃん、と言いつつ、噂の腕をさわらしてくれました。すごかったです。あっちは見れば分かるから、と触りませんでした。
 この人も思想の体現だなぁとちょっぴり思いました。
 帰りがけに寂しいといいつつ、今夜は出口までおくってくれました。
前代未聞のやさしさです。

記憶がいたいのです
わかるひと出てきてください

去年の八月から十二月くらいまで、
自分で読み返してもなんでこんな文章を書いていたのか謎ばかり
でも記憶が飛んでいるということはもういっかい体験したくはないしんどさだったのかも
精神のぎりぎりで書く、タイプらしい。

ねむれない夜にはインベーダーゲーム

さっきサークルの同期ふたりと話していて気づいたのだけれど
わたしの中から去年の冬の始まりから今年の春までの記憶が飛んでいる。
思い出す最近の秋冬はすべて2004年の出来事ばかり
なんでもない些細な出来事の記憶に自信のある方なのでそんなこと驚いてみたけれど
そういえば妙に寒い冬だった
夜の八時過ぎに大学からふらふら歩いたり
電話越しに泣いていた記憶ばかりだ。
あるいはそれでいいのだろうか、思い出すのはやめよう
なんだかかさぶたみたい

友達に宛てて書いたメール↓
帰ってきたら現実が襲ってきたので書いておく。
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秋から就職活動しなければならないのは頭では分かっているんだけど、
なんだかどうも資本主義社会に身を投じる覚悟が出来ません。
だからといって今すぐこれをやりたい!ということがあるわけでもなく。

以前から、
なにかアーユルヴェーダ的に、世界をよくする方法、
世界のいいところを引き出してもっとよくしたい、
というアプローチが出来る仕事はないか?
とぼんやりと考えています。
勃発した紛争とか勃発した流行り病とか飢えとか、
そういうのを次々とボランティアやNGOでつぶしていくのではなく。
世界中の貧困とか飢えとか悲しみとかが勃発してから一つ一つつぶしていくのではそれがなくなるわけでもなく、
その原因である植民地支配の名残りとか、戦争とか、
そういう原因を整理してどうにかしたい、
とぼんやり考えているのですが
先日報道の(私の日記参照)ブラックホール云々然り、
私という人間はもぅほんとに宇宙から見たらゴミみたいにちっぽけで。そんなあたしは世界とどう関わればよいのか、わかりません。

言葉に関わる世界に関わりたい云々と、矛盾するようですが。
こんな子が企業に入ってテレビ売ったり、旅行を紹介したり、
できるはずがないよね(笑
どうしよう。。。

ベトナム出国の折に「ピー」っと機械に反応されたのですが
係りのおじさんは私の顔を見てあごをしゃくり、何もせずに「いっていいよ」といいました。
うしろのバックパッカーっぽい日本人のお兄さんは入念に武器携帯していないかチェックされてましたが。顔パス?
ちなみに私も成田空港では毎回靴まで脱いでチェックされます。
こんな適当でいいのでしょうかベトナム。
あとかっこいい人が多かったです。
かっこよさにかまけてタクシーぼったくられたのも気付きませんでした。連れによると私は東南アジア系ダイスキだそうです。連れの美女が、フォー屋のマネージャーにくどかれました。外野としては今後の展開がとても楽しみです。
あと「かえってきました」と電話したら、祖母曰く
家にあるカミサン(神棚)に向かって
道中おなかを壊さないように、と祈っていたそう。
ちなみに三人中私だけこわしていましたが大事には至らず。
どうして祖母はわかったのかしら。

ホーチミン市のベトナム戦争博物館みたいなの(名前忘れた)
体のくっついたホルマリン漬けの双子とか、目と口のくっついたコドモのホルマリン漬けとか、
こうやって拷問したとか、ギロチンとか、
いっぱいありました。人の思考は崩壊するとおわりがないみたい。
平和ボケしている自分がばかみたいだ。
あと平均月収が100ドル前後、らしいので
やっぱり意識しなくても日本人って金持ちのカテゴリーに入るらしい。分不相応にぜいたくをしました。いろんな国の(中国、韓国、フランスが多かったかな)観光客とすれ違いましたが2〜4人のグループで観光している日本人の目がとろんとしている人がすごく多いのが気になる。

きんぎょがきえた
きんぎょがきえた
きんぎょがきえた

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