2007年01月

・気になることは直接本人に聞く
・はじめから疑ってかかってもいいことない(でもどっちにしろ勘はあたるので嘘をつかれている気がする)
・コーヒーと砂糖は控える
・30歳以降に嫁に行っても3人産めるくらいの若さでいるべく気をつける。
・からだは治す
それまではひとりでがんばる
・地に足の着いた仕事をする。
時代に流されないように気をつける
・あかるいうちにおうちに帰る
・気になるひとはもっとしゃべる
・誕生日カードを書く
・会いたい人に会いに行く
・メモはつづける
・大胆になる
・よくうたう
・そうじする

きもちよかった?
うーん、あんまり
聞くんじゃなくて、答えるんじゃなくて。
ことばのないじかん、
するんじゃなくて、
喋るんじゃなくて、
そうじゃなくて、
膝にのせて、体をぬくめて、髪を撫でて、
ことばのでないわたしを喋らせてほしい
言葉でじゃなくて、
一方通行じゃなくて、
伝えるばっかりじゃなくて、
受け入れるばっかりじゃなくて、
あたしも吐き出したいの
冬の朝の追憶
爪先、今もつめたいけれど
ごめん


「なかなか噛み応えのある子でしょ」

「噛んでない」

ちょっと舐めてもらっただけ。

あらひさしぶり、はじめまして、どうぞよろしく。

と、アンダーグラウンドじゃない大学傍のサンドイッチ屋で、思い出しました。

口の中で転がす感じ

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会いたい人はいますか?

紙飛行機を飛ばしたいです。

コリオリの力で。

西のほう。

飛ばそうか、どうしようか。

たぶん変な子、って思われるでしょう。

なにをいまさら。

うん、でもバーチャルで繋がるのは、もっと怖いのよ。

書きます。
今日は嬉しいメールをいただきました。
これ読んでいるかわからないけれど、どうもありがとう。

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レンコンとニンジンのハンバーグ(マクロビオティックのレシピらしい)
を作ったあと、
地元の駅を散歩しました。
いつもの休日のように、文房具屋を覗いてノートを探して、
ミルクを飲みます。

この駅前を100メートルほど歩いたところに、私の生まれた産婦人科があります。
昨年22歳を越えてやっと、検診ではじめて行ってみました。
私が生まれた当時六十だった先生は今も現役で、お産は見ないものの簡単な症状ならば診察してくれます。
私はここで取り上げてもらったんです、と言ったら
よくきたよくきた、
と奥さんの看護婦さんと喜んでくれました。
生まれてはじめて会った人たちは、母と、このひとたちだったのだと、
とても安心した記憶があります。

駅前はいつもの休日と変わらずの喧騒
小さな書店が潰れて出来たスタバはいつも満席、
マックもミスドもKFCもある
生まれたころは田舎町だったろうのに、もうすぐ地下鉄が通ります
世界のほかの都市と、同一化してゆく悲しみ。
銀杏並木は毎年変わらず美しいです
ここが私の生まれたところで、今も家族の住むこの街が、
私の帰る場所で、
どんなに同一化していっているとはいえ、
ほかに選択肢はありません




勇気を出して何か書きます

「どうして話してくれないんだ、
 責めているわけじゃない、
 話せないということはそれだけ心が離れているんじゃないのか?」

話すことが上手じゃないから、自分がそうであることをそれなりに知ってるから、だから書いてきた。手紙で、メールで。
でもあたしがそれまで書いてきたもの、
ちっぽけでも、その当時の私の存在を全て賭けて書いてきた(つもりだった)ものは、
ちっとも、これっぽっちも、
相手に伝わっていなかったみたいだ。
手紙の束は返せといったらあっさり返却された。
これだけ書いたのに、ちっとも伝わっていない。
そう思ったから、
だから燃やした。
それだけだ。けれど燃やしたこともまた、罵られた。
私は私が書いた文章を燃やしただけなのに。たしかに君に宛てて書いた手紙だけれど、君は返却したじゃないか。
それの一体何が悪いの?
きみは感じるチャンスがあったのに、ちっとも感じなかったじゃないか
あたしがかつてそうだったように
それほど私、文章力なかったのかしら。

「話せない」、というあたしを責めるばかりで、
「話さない私」をそれとして感じ取ろうという発想がないなら
心が離れていた云々じゃなくて
それだけ感覚が繋がっていない、
んじゃないかしら
ちがいわかる?

敢えて求めるなら、
「話せない」という私の表現手法上の選択も、
私の存在の仕方の一形態であって、
私が誰かに対して何かを伝える手段のうちの一種類であるということを
感じてほしかった。
「音がないのも、音のうちだよ」
って言ったみたいに。

感情に任せて罵ることばと、
その文章の中に潜められた、それでもこの人は私に対して伝えたいことがあるのだろう、ということば
それくらいは拾い分けて読むことはできる
それくらいの冷静さは、ある。おそらく。
ただし正直もう、へろへろ、
である。

もうちょっと敏感な人に、麻痺していないひとに、
あたしは会いたい。
金魚が消えたら、悲しめるひとがいい。

今日のお昼、太陽が出ているときに、
母親に「あかるいうちに帰ってらっしゃい」といわれた。
そのときは私ウン、と言ったけれど、
夜が今日もまた来ることなんて、そのときは想像もしていなかった。
だから今日もこれをノートに書いているうちに、
気がついたら夜になっていた。
だから今日も、明るいうちに、
家に帰るのを忘れた。


なんで書くってこんなに消耗するんだろう


大事にしたいからこそ言えないことは沢山あると思います。
壊したくないから相手に対して言いたくないことがあって、それの何がいけないのでしょうか。
コミュニケーションを怠けていたわけじゃありません。相手の力量不足を責めているわけでもありません。
現代文読解講義でもすればよかったのでしょうか。私の文章力がなかったのでしょうか。

ここに書いてあることがそれなりにわかったひと、
こえかけてください。
あたしもう自分の書くという表現方法に自信ありません。もう書きたくないです。
でもわたしはじょうずに喋れません。書けません。
噴出する手段を失ったとして、あたしの身体に果たして膿でもできて、くれるのでしょうか。あたしにそんな中味、あったっけ。





シベリア追跡


書くのは恥ずかしいのですが書いたら近づける気がするので書いておきます。
HをなんでNと読むんでしょうか。
YをどうしてUと読むのでしょう。
きっとこの先も謎だらけです。
イルクーツク行きたいです。ヤクーツクを歩いてみたいです。零下59度の旅に耐えうる身体でいようと思いました。
どうにかしてそういう仕事に近づけないものか。地図の上のほうの、巨大な緑色の大地を見てみたいのです。地図の真ん中のほうの、黄色い点々の地でいつか眠ってみたい。それがあたしの価値観なのかもしれません。

砂の海―楼蘭・タクラマカン砂漠探検記

なんだか頭がおかしい気がする。
おつりのよんせんえんを受け取るのをわすれたり、階段登るのを忘れたり、本を返すのを忘れたり。エレベーター降りるのを忘れたり、私地下3階に行きたいのに後から乗ってきた知らない男子学生を四階まで送り届けてしまったり、買ったばかりのピアスを全部無くしたり、3分前の記憶が思い出せなかったり、なんでパソコン立ち上げたのか忘れたり、電話で自分が何を話しているのかわからなかったり、
大学の図書館に向かうとちゅう、民俗学辞典を求めて途中下車して区立図書館に行ったけれど、午後六時に行っても閉館しているの知ってるはずなのに、
そんなの大学の図書館にあるの以前から知ってたのに。20円のコピーをするのに50円かかりました。地下三階の図書館でめまいがして倒れるかと思った。地下書庫閉める3分前。ガスコンロの火をつけたまま外出しました。2時間後に気がつきました。
薬の飲みすぎかしら。こんなこと今までなかったのに。思考がジャンピングしてる。ほっぴんぐみたいに。ふーむ。なんでだろう。
あっでも今日素敵なお知り合いにあった。夜までがんばってよかった。

The Ones

なつかしいマライア
あたし昔からこれが好きだったんだ、ドライブ中に聞くやつじゃなくて。
だんだんと、思考を、あたしの好きだったものと、環境と、音楽と、記憶と、
他者が私の中に入ってくることでぶれていたそれらを、一致させることにとても、苦心している

服を脱いで、湯船につかって、
膝を抱えて、丸まります
夜のお風呂は

とりわけ持ち込む本が見つからないとき
そうしてこわばったものが溶けるまで
じっと待ちます

お風呂に持ち込むほど、とりたてて好きな本が見つからない夜は
なんだかちょっと嫌な予感がします
そういう日の次に友人を亡くしたからでしょうか

浴室用おもちゃのアヒルもカエルも、うちにはいません
だからお風呂の電気を消して、
セールで商品券で買ってきた入浴剤をいれて、
やっぱり膝を抱えて、丸まります
私の身長だったら脚をのばせるはずなのですが
どうもそうする気になりません
特に冬の夜には
他に上手な入り方があったら教えてください

ぬくまったつもりだけれど、なんかすっきりしません
また入ってこようかな。
ちょっとかなしいです。




みゅーじかる きゃっつ

が好きで好きでたまらない人、
声かけてください。

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