2007年04月

記憶力がなくなって、ぞっとする。
前は読んだらすぐ覚えられたのに
昨日も、今日も、たぶん明日も、
おんなじことの繰り返し
を、ぶつぶつ唱えて、かりかり書いて、
ふぁあー
とおもって悲しくなるんだけど、
でも、
今日がこの先の私のうち一番若いから。
そういいきかせて、ぶつぶつ、今日も、唱える。
ふぁあー。

と言ったことがあります。
ネットで知り合いました。
波長が合ったのか、
初めてあったのに、ちゃんと話が通じました。
おそらく後にも先にも、
あらひさしぶり、はじめまして
が通じるのはこのひとだけでしょう。
同い年だけど、先輩になりました。
時々なきがら電話をしたら、やさしいです。
正面から向き合ったら敏感なところに触れてしまいそうなので、
斜め前からしか向き合っていません。
いまはそれでいいや、とおもいます。
時々ちゃんとはなすと、私の知らない話をしてくれて、
だからじゃないけど、このひとすきだなぁ、っておもいます。
だからあったらお荷物にならない程度に、にこにこしてようと思います。
でも女の子であることはあんまり強調しないようにしようとおもいます。
それでいいや、と思うから。

つみかさねてきたものを振り返って、
時々悲しくなります。
息がくるしくなったときに、その人は私の背中を叩いてくれたけど
口を塞がれて、あたしの呼吸と外れたリズムを無理やり身体に刻み込まれて、
それはその人なりのあいじょうひょうげんだったのだろうけれど、
でも悲しいことに、それで私はもっともっと苦しくなったから、息が出来なくなったから、だからやめました。ひとりのほうが息がしやすいから。
ほんとうはつみかさねてきたものではなくて、
壊し続けてきた跡なのかもしれません。
そう思うと、なんだかすごくかなしくなります。
かなしい、と伝えても今更かなしいのがわかってくれるひとはどこにもいないのですが。

自分より上手いくせに楽器辞めようなんて…(云々)

正しい言い回しは忘れたけどそういうコトをたしか言われたかと思います。

好きでした、この楽器。中学高校のときは。
第九も一応弾けてました。
私の低音好きは、もともとなのかこの楽器を始めたせいなのか不明ですが。

存在感のある身体、底から響く音、そして持ち運びの不便さ。
あるいみバス弾きは楽器に対するふしぎな情熱(?プライド?)
を小さな楽器の人以上にもっていなきゃならない気がします。
そういう意味でコントラバスを「偏愛」する偏屈は多い。笑

ところで、毎回曲出しの時に、「コントラバス弾かないの?」っていうようなことを聞かれます。
でも実際やりたい、って言うと演奏会係はたぶん困ります。
例会だったら弾いてもいいんだよ、とか言われたし。
前回の演奏会の曲決めのときは「同じ学年にバスが三人になっちゃう」みたいなことをいわれ。
私もそういうのをねじまげてまでやるのは面倒なのでありがたくお断りしました。
ほかにバス弾きさんが3人もいるからね。来年は知らないけど。
私じゃなくてもコントラバスラヴな子がサークルにいるし。
私がやりたいといったら誰かが遠慮しなきゃいけなくなるし。
時々むかつくスモーカーでも、やりたがってるならやらしてあげよう、と
私はいつも身を引いてしまいます。
傍から見たら献身的ともいえますがこんな中途半端すぎる欲求はかえって人を混乱させます。
まぁ楽器を練習場まで運ぶのも面倒だし。(持って走れるとは言うもののやっぱり重いんです)
そしてわたしは「こいつボーイングいつ治るのかな〜」と現役バス弾きたちを横目で見るのでした。やな女(!)

ひょっとしたら「コントラバスを好きだった自分」が好きなのかもしれません。ああまで打ち込めること今はないからね。
けれど、
なにはともあれ私はこの楽器、やっぱり好きです。
面倒な人間関係に煩わされて弾くくらいなら過去の思い出としてとっておきたとおもいつつ、でも未練がましく部誌にコントラバスの絵を描いてきたのでした。だってすきだったんだもん。
(2005/2/20)

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過去の文章、
自分で読んでて過去の文章のほうが
今の10倍くらい、面白い気がします。
そういうふうに、できている。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実


そうそう、こんな文章が書ける大人になりたいと思っていた
でもこういう経験を私したわけではないから、
面白いとかそういう単語を超えて、
今まで読まなかったことを、とても、後悔しました
もうすぐ一周忌になります
彼女たちはマリの死を知っているのかしら。

そういえばおきてからなんにもしていない。
なんてすばらしい生活

いろーんなことがあんましうまくいかなくて
郵便を出すだけに3時間ぐらいかかったり
喉が渇いてしょうがなかったり
だから○○経済の筆記試験を辞退して
病院に行ってみた。
お医者さんが男前発言な上に、ほんとに薬効くから頭が下がる
そういう感じの日々で
もうちょっとしたらまた浮上するでしょう。
うん。たぶん。

いや、ほんとうは、
一ヶ月くらい、
寝込みたい。
布団ともっと仲良くなりたい。
ほんとうはね、
うん。
天使みたいになりたい。
いや、でもそんなことより、寝たい。眠りたい。
無理ぽん。私こんなに社交的な性格じゃないんだって
。うん。
ほんとはすごい無理してるのよ
必要を感じてるからそうなんだけど
逃げちゃう?逃げちゃえ。そうかもしれない。
ぱたぱた。
知らない。ぐつぐつぐるぐる。
わー。

説明会に行った
なんだか、世界のあらゆるところを旅行商品として企画、開発

旅行業界トップの座を維持するためには、顧客開拓と競争、ツアー企画、開発、手配、


あんまりそんなことばっかりしていると、
人がはいっちゃいけないところにもその土地の空気を壊す観光客とツアーが侵入して、
いつかきっと神様からのばちがあたる、

そう思った

口には出さなかったけれど
あたしはどうすればいいでしょう

何かこうと思ったんだっけ
忘れちゃった
文章の書き方を忘れた

ああ、そうだ
その問題について
私なりに結論付けられたので
頭には
もう吸収しつくして細胞変化して卒業したのかな、って。
よくわからないけど
嫌なこといっぱいあるけれど
かなしいこと沢山あるけど。

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感受性が強くて頭の回転も速くて、「にんげんな」子だね、
と時折言われます。ほんの時折。
感受性が強くて何かに振り回されて(憑かれて?)よく泣いている私が、
一部の人にとってはちっちゃくて可愛いらしいです。
でもそうなんじゃなくて、
傍目に見たらそうなのかもしれないけれど、



私はそういう「感受性が強い」フィルターを通してしか世界が見られないから、
それが私にとっての、世界の全てだから。



だから安易に可愛いとか羨ましいとか、ナイーヴでいいねとか、いってほしくないんです。
こっちは必死なのに。感情のやり場のない都市の中で、
自分のからだを、感情を、健康でいさせるために、必死なのに。

俺は神も仏も信じない、
でも君は凄いから、

君は感受性がすごくつよいから、
(でも感受性がつよすぎて、俺には無理。)

こういうことを安易に私に言ってきて平気でいられるひとは、そういう世界で闘っているひとのことを、一緒に生きたとしてこの先ちっとも理解しようとしないのだろうと感じます。これじゃあ私はマスコットと同じです。
時間をかけて、今の私にはそういう情報が必要だという結論に達したから、仏教の入門書とか探しだしたのに。
だから安易にそういう口説きかたされると、むしろ怒りさえ覚えます。だったらはじめから一人でいるほうがいいです。結局「すごい」どまりで理解しようとする心意気が感じられません。正直すごくうざいです。
そういう娘です。こういうこと書くから男運下がるんだろうね。でも無理。

文章の書き方を、忘れました。

会いたい会いたい、
せめて手紙を書こう、元気かしら、
と思っていたら
ほんとに会えた、そのひと
家は近所だし、
その楽器の専門だから地元の演奏会にいらっしゃるのは何も不思議じゃないし、
そうなんだけど、
すごい。
金魚が死ぬ予感からはじまって苦しかったばっかりの勘が、やっといいほうに、はたらいた。あえる気がした。会いたかった。
だからそれも含めて、すごく嬉しい。

二時間も話し込んだのははじめて。
ゼミ以外の、大学以外の人で、はじめて、
私の言葉が伝わった。怖かった。

失われた二年半を埋める。
最後に会ったのは2005年の11月3日。
あの日、私はその人に「元気?」と聞かれて「元気です、すごく」、
と答えたけれど、
ほんとうは友人を亡くしたばっかりでちっとも元気じゃなかった。
せいしん安定剤漬けだった。一回六粒のやつ。
だからそこから話出して、ぼろぼろ泣いた。
そこから、今に至る時間を埋めるのに、たっぷり10分は、かかった。遠い時間だった。

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