2007年07月

「何かがあったわけではないけれど
なんにも手につかなくなるほど悲しい気分になること」
が最近なくなった
薬を焦がして飲んでいたせい、
漢方科の先生のお陰。
そしておそらくそれとひきかえに、
たくさんの感覚がなくなっていった。
それを話す相手がいないせいか、
書くことに対して興味がなくなったのか、
それともそういう年齢になったのか。
暑くてすこし、疲れている。
ほんとうは気持ちを、過去に積み重ねてきた感情を整理してぜんぶ出して、
箱にしまってクローゼットの中の右奥の隅にでも置いておきたいんだけど、
残念ながらそんなに器用には出来ていない。

ほんとうはこれを読んだから泣いたんじゃなくて、
昨日お墓参り行ったときに既に泣きたかったかもしれないんだけど、
友達と一緒だったから。
だから昨日の分を、今日マンガ読んだときに、一緒に吐き出した
のかもしれない
でもそれはやっぱり気のせいにすぎなくて、
単に漫画の中のツトム君がよかっただけかもしれない。
でも私が泣いた理由についてはどっちでもよくて、
お墓参りにいって過去を思い出したという事実が大事なんだと思う。
そういうのが、もう少し進歩した考え方なのかしら。

ご近所物語 (6)

6巻だよ6巻!

Black Jack―The best 14stories by Osamu Tezuka (5)

多言語における愛情は Discommunicationも当然として内包する
(それが起こることを避けるべく発言するから、むしろ回避され発生しないのか?)
(2006/12/31)

I heard he sang a good song
I heard he had a style,
and so I came to see him to listen for a while,
(Roberta Flack;Killing me softly with his song)


複数言語における愛情は Discommunicationも当然として内包する、としたら

けれどもたとえば私と誰かが日本語で喋っていても、
二人とも日本語のネイティヴだとしても、
方言が違っていたり、
もっと細かいレヴェルで、
生まれてからこれまで一緒に過ごしてきた人たちが違えば、あるいは周囲のざわめきとか好んできた音楽とか好きな映画とかテレビとか毎日何をみてきたかとか、
そういうのの集積で、人の言葉は人それぞれに違うのだと思う。
ふだん使う言葉がのってる辞書の、背表紙が一緒だとしても。
まぁ、でも、
頭ではそういうことを感じるんだけれど、
応用に移せないんです。
実際会って喋ると喋ることにいっぱいいっぱいだから、そういうことを感じる余裕が、まだ、ない。
気がして。だからいつも会った後は、あああ。って思う。


-----再記------
離れてまたいつもの生活に戻ったら、「なんか変わったね」みたいなことを少しだけ言われるようになった。
変化の原因はおそらくそのひとではないのだが。

香港出身の男の子にdo you wanna go out 〜?
と訊かれたことがある。ずいぶん前の話だ。
当時の私は彼との唯一の共通語も話すことが出来なかったし、
彼の母語が何語なのかも聞かなかった。
そもそも当時の私の中に、そういう「ことばに対しての発想」
は二次元でしかなくて、つまり分かるか分からないか、あるいは日本語か英語か。
複雑怪奇な色をしたシリアルの朝食を食べる彼を眺めたり(全寮制だった)、
図書館で本を読んでもらったり、ホールのソファで腕枕で映画を見たり。
当時は『A.I.』が流行っていて、その日もその映画が流れていた。
そういう感じで一週間ぐらい傍にいて、空白の日々のあと、飛行機にのって帰ってきた。
今は住む国も違うのでさっぱり会わないしもうその国に行くつもりもない。
ただ、もう少し当時の私に
かれと、かれのあまりにも大きすぎるその国でひとりで立っていることの痛み、
みたいなものを感じる度量
があったらよかったのになぁ、と思う。
噴出する行動は違法だったし、時々あまりにも悲しそうな顔をしていたから。
言語上のディスコミュニケーション、ではなくて
袖触れ合った多少の縁そのときとそのひとを感じるちから、というか。
まぁその当時の私も一生懸命考えていたんだけどね、それなりに。
感じてると考えるって違うかな。
うん、まぁ、いっか。
-----

そう、ものすごく、後悔するのです
昔も今も、かわらずに。
もっと感じられたらよかったのに。って。
このあたりはちっとも成長しない。
そしてたぶん、これに関してはこの先も。


「アオイ、何をしてる?」
「電話よ」
「わかってるよ。誰と話してたか訊いてるんだ」
「眠れなくて、東京のお友だちに電話をしていたの。むこうはほら、ちょうどお昼くらいだから」
「東京の誰?友だちにしちゃあ一言で切っちゃったじゃないか」
「いつからそこにいたの?立ちぎきしてたの?」
「心配することはないさ。僕はどっちみち日本語がわからないんだから。」

(江国香織『冷静と情熱のあいだ』(pp.205-206))

マーヴは英語のネイティヴで、アオイは日本語のネイティブと「訛りのない」英語。二人は英語で喋る。
たとえばこの二人、英語で喋って英語でご飯を食べて、英語で抱き合って、
でもそのあとに、
自分の恋人が、自分にはわからない言葉で電話をかけていたら。

そうしたら、きっとものすごく深い溝のようなものを、
感じてしまうのではないかしら。
「この人は日本語を勉強しようとしないのだから当然のこと」
という問題ではなくて。
ほんとは言葉におけるディスコミュニケーションなんか、飛び越えたつもりだったのに、とっくに解決してたはずなのに、だって二人は英語で気持ちが伝え合えるから。
でも実は、なんにも越えていない。
そういうシチュエーション。

あのときの記憶から派生して、べつに香港人の元カレのせいじゃないけれど、
この「言葉に対しての成長しなさ具合」、
そのうちマーヴみたいな悲しさを、私も感じることがあるかもしれない。


書きます。
今日は嬉しいメールをいただきました。
これ読んでいるかわからないけれど、どうもありがとう。

----------

レンコンとニンジンのハンバーグ(マクロビオティックのレシピらしい)
を作ったあと、
地元の駅を散歩しました。
いつもの休日のように、赤いレンガ造りの文房具屋を覗いてノートを探して、
ミルクを飲みます。

この駅前を100メートルほど歩いたところに、私の生まれた産婦人科があります。
昨年22歳を越えてやっと、検診ではじめて行ってみました。
私が生まれた当時六十だった先生は今も現役で、お産は見ないものの簡単な症状ならば診察してくれます。
私はここで取り上げてもらったんです、と言ったら
よくきたよくきた、
と奥さんの看護婦さんと喜んでくれました。
生まれてはじめて会った人たちは、母と、このひとたちだったのだと、
とても安心した記憶があります。

駅前はいつもの休日と変わらずの喧騒
小学生のころ、ブラックジャックや火の鳥を買い揃えた、
二階建ての小さな書店が潰れて出来たスタバはいつも満席、
マックもミスドもKFCもある
生まれたころは田舎町だったろうのに、もうすぐ地下鉄が通ります
世界のほかの都市と、同一化してゆく悲しみ。
銀杏並木は毎年変わらず美しいです
ここが私の生まれたところで、今も家族の住むこの街が、
私の帰る場所で、
ほかの都市とどんなに同一化していっているとはいえ、
ほかに選択肢はありません

(2007/1/28)

ここ一ヶ月の話。
駅の改札前で、
宙を見詰めた幼女が突進してきて、
歩いている私に衝突して、
ぼよん、
と跳ね返されて、
ごろん、
と転がっていくことがよくある。
大概自分の膝丈の高さなんて見て歩いてないから、
なんじゃこりゃ、
とおもって下を見たら幼女が転がってて困る。
しゃがんで引き起こして、「あー!!ごめん!」という。
たぶん怪我なしで、
近くにいるお母さんらしきひとが
「あらあらすみません」
といいながら彼女の首根っこをつかまえて引きずっていくから、
今のところ泣かれてはいない。
いつも幼女。少年ではない。

そういえば、7年位前に、
「子供とかにボン、ってぶつかったときに、
ちゃんとしゃがんで謝れるような大人になろうね」
っていう話をしていたことがある。

○とりあえず、大滝レイジ編なり宮川テルユキ編を全部暗唱できるようになってから、
『英語ができないんですー(;_;)!』
と言っても遅くないと思う。


○やっていることが傍目には支離滅裂だろうし、
自分でも一体何をやっているのかさっぱりわからない。
他人になぜそれをやっているのかうまく説明できない。
(説明したいと思わないが)
でもいつか絶対リンクするはず。だって私から派生した意識だから。

↑このページのトップヘ