2007年08月

 夜空に響く音に惹かれて結局、連れて行ってもらった。
夏に花火を眺めるのがここ数年の習慣になってきている。日常に一緒にいる友達も仲間も、ぜんぜん別なのに。真夏の夜の、花火の日だけ、まるでその全ての現実をすり抜けるドアが開くみたい。
 なぜ友達になったのだっけ?と話していたけれど結局お互い思い出せなかった。とても他愛のないところではじまるらしい。
 相変わらずの頭のよさが私をふうわりと安心させて、相変わらずの不思議ながんばりやのところがあたしを過去に引きずり込んだ。そうして私はあいかわらず「変な女」らしい。
 でもあたしが変な女であることが、友情とか愛情とか、なんだかそういう暑くて濃いもののなかをすり抜けた上でお互いつながっていられるワケなのかもしれない。
(2005/8/21)

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携帯:

「突然だけど、今日の夕方空いてる?」

「花火行く?」

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会話:

「なんで用件が花火ってわかったの?」

「昼間に花火の音がしたから。」

習慣になりつつあるから。

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帰り道:

「去年花火行ったっけ?記憶ないんだけど」

「一昨年かも」

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去年は行ってない。行っていない代わりに、去年一緒に行った人を
ぐちゃぐちゃになるまで壊した。そういう年だった。
だからこの人と去年行かなくて、よかった。
友情とか愛情とか、なんだかそういう暑くて濃くて簡単に変わっちゃうようなものは欲しくない。
感情の振れ幅が大きいこととか、こういうことにあたしは悲しいと思ったとか、
そういう話が通じるわけでもない。

帰りのバスを待つ間、ニッケイヘイキンの定義を教えてもらった。
花火を見る間下敷きにした新聞に載っていたやつ。
最後まで聞かないうちに、13分に一本のバスがやってきて、ドアが開いた。
乗りなよ、今なら座れるから。

銀行で働いて、夜にビールを飲んで、寝て、朝シャワーを浴びて、
仕事に行く。
体形がほんのすこし、変わった。

変な子だね、とは言われなくなった。
かわりに食べ過ぎて欠伸をしたら、頭をたたかれた。
ちょっと安心した。

なぜかこれを書いているうち、
上野動物園のライオンが檻の中で欠伸をしているのを、思い出した。
旧友だからじゃないけれど、大事にしようと思った。
次に会う予定もないけれど、
あたしにとってはだいじなんだとおもった。













Killing me softly with his song(Roberta Flack,1973)
多言語における愛情は Discommunicationも当然として内包する
(それが起こることを避けるべく発言するから、むしろ回避され発生しないのか?)
(2006/12/31)

I heard he sang a good song
I heard he had a style,
and so I came to see him to listen for a while,
(Roberta Flack;Killing me softly with his song)


複数言語における愛情は Discommunicationも当然として内包する、としたら

けれどもたとえば私と誰かが日本語で喋っていても、
二人とも日本語のネイティヴだとしても、
方言が違っていたり、
もっと細かいレヴェルで、
生まれてからこれまで一緒に過ごしてきた人たちが違えば、あるいは周囲のざわめきとか好んできた音楽とか好きな映画とかテレビとか毎日何をみてきたかとか、
そういうのの集積で、人の言葉は人それぞれに違うのだと思う。
ふだん使う言葉がのってる辞書の、背表紙が一緒だとしても。
まぁ、でも、
頭ではそういうことを感じるんだけれど、
応用に移せないんです。
実際会って喋ると喋ることにいっぱいいっぱいだから、そういうことを感じる余裕が、まだ、ない。
気がして。だからいつも会った後は、あああ。って思う。


-----再記------
離れてまたいつもの生活に戻ったら、「なんか変わったね」みたいなことを少しだけ言われるようになった。
変化の原因はおそらくそのひとではないのだが。

香港出身の男の子にdo you wanna go out 〜?
と訊かれたことがある。ずいぶん前の話だ。
当時の私は彼との唯一の共通語も話すことが出来なかったし、
彼の母語が何語なのかも聞かなかった。
そもそも当時の私の中に、そういう「ことばに対しての発想」
は二次元でしかなくて、つまり分かるか分からないか、あるいは日本語か英語か。
複雑怪奇な色をしたシリアルの朝食を食べる彼を眺めたり(全寮制だった)、
図書館で本を読んでもらったり、ホールのソファで腕枕で映画を見たり。
当時は『A.I.』が流行っていて、その日もその映画が流れていた。
そういう感じで一週間ぐらい傍にいて、空白の日々のあと、飛行機にのって帰ってきた。
今は住む国も違うのでさっぱり会わないしもうその国に行くつもりもない。
ただ、もう少し当時の私に
かれと、かれのあまりにも大きすぎるその国でひとりで立っていることの痛み、
みたいなものを感じる度量
があったらよかったのになぁ、と思う。
噴出する行動は違法だったし、時々あまりにも悲しそうな顔をしていたから。
言語上のディスコミュニケーション、ではなくて
袖触れ合った多少の縁そのときとそのひとを感じるちから、というか。
まぁその当時の私も一生懸命考えていたんだけどね、それなりに。
感じてると考えるって違うかな。
うん、まぁ、いっか。
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そう、ものすごく、後悔するのです
昔も今も、かわらずに。
もっと感じられたらよかったのに。って。
このあたりはちっとも成長しない。
そしてたぶん、これに関してはこの先も。


「アオイ、何をしてる?」
「電話よ」
「わかってるよ。誰と話してたか訊いてるんだ」
「眠れなくて、東京のお友だちに電話をしていたの。むこうはほら、ちょうどお昼くらいだから」
「東京の誰?友だちにしちゃあ一言で切っちゃったじゃないか」
「いつからそこにいたの?立ちぎきしてたの?」
「心配することはないさ。僕はどっちみち日本語がわからないんだから。」

(江国香織『冷静と情熱のあいだ』(pp.205-206))

マーヴは英語のネイティヴで、アオイは日本語のネイティブと「訛りのない」英語。二人は英語で喋る。
たとえばこの二人、英語で喋って英語でご飯を食べて、英語で抱き合って、
でもそのあとに、
自分の恋人が、自分にはわからない言葉で電話をかけていたら。

そうしたら、きっとものすごく深い溝のようなものを、
感じてしまうのではないかしら。
「この人は日本語を勉強しようとしないのだから当然のこと」
という問題ではなくて。
ほんとは言葉におけるディスコミュニケーションなんか、飛び越えたつもりだったのに、とっくに解決してたはずなのに、だって二人は英語で気持ちが伝え合えるから。
でも実は、なんにも越えていない。
そういうシチュエーション。

あのときの記憶から派生して、べつに香港人の元カレのせいじゃないけれど、
この「言葉に対しての成長しなさ具合」、
そのうちマーヴみたいな悲しさを、私も感じることがあるかもしれない。

(2007/7/20)


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こういう話をしてもおこらないでさいごまできいてくれるひとがほしい





おこるってことは「きみのいっていることはいみがわからない」
ということなんだとおもう。
おこるひとはいらない
わからないひとはほしくない


『こうばしい日々』のせいじゃないけど、(結局まだ読んでいない)
こういう感情をそぎ落として生活できたら、それはあたしじゃなくなるとおもうから。
街で生活、出版社で仕事。
そんな生活にそんなものはいらないはずなのだけど。



髪を切ったら不安定になった。

どうしてもどうしてもこの本が読みたくなって
車での帰り道に遠回りして古本屋に行った
きっと一冊あるはず
と思って
こうばしい日々

家にあった気もするけれど
家に帰ってなかったらかなしいから。

今日これを250円で買って帰って、もし家に同じのがあったらそれを10円で売ればいい。誰かに譲ればいい。あるいは二冊家においとけばいい。
そういう一見「むだ」な行動を、あらゆるそういう「必要ない」感情を、
最近ずっと削ぎ落としていた。
けれどそういう「むだ」な行動で、あたしの不安定はみたされる。
この本の一番最後の章を読んだら、
きっとあたしは泣いてしまう。
だから買ったけれどまだ読んでいない。
家に帰ったけれど泣く場所がない。
早く泣いて出さなきゃと思う。
早く読まなきゃ。






























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