2007年09月

脳ミソが麻痺するような感覚

を、求めつづけることを

さぼって生きていました。

はんせい。

生まれたからには求めていいんだと、今日は思います。




いい音楽を聴いたとか、いい本を読んだとか、
そういう話じゃない。



「打てば響く」ことばを時に発するひと。

初対面であたしをぼろぼろ泣かせたチャイナエアラインのボス。

「言わないことは何かを言うよりもときに大きな意味をもたらす」というメモ。




そういうのが煩雑な生活の中のどこかに存在して、
ふとした拍子で時々あたしに訪れてくれる限り、
この先二度と誰かにだきしめてもらうことがなくなったとしても、
あたしはたぶん大丈夫な気がする。
なにが大丈夫なのかうまくいえないけどさ。


ーーー

とりあえず、たのしみなんだ。こんしゅう。

ーーー


あと、引用はしませんが、彼の人の最後の言葉に、ぐっときた気がします。
個人的メモです。なんのはなしかわからなくていいです。
数週間後にはこれを自分で読み直して自分でも何の話かわからなくなっているとおもいます。それでいいんです。
「天国で素敵な生活が送れますように」


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「小学校のときより、今のほうがいいな。」
「来年も20年後も、『いまのほうがいい』って言ってられるかな」













玉置浩二 田園

明日から台北とインドネシアに行きます
身体を壊さないように気をつけます。
髪をばっさり切ってから執着するのはやめようと思うようにしています。
だから「万が一帰ってこなかったら花を植えて」とか「さくらんぼのなる木を植えて」とか「金魚をあげる」とかそういうことは書きません。
あと息をたくさんしようとおもう。






昨日母校にいきました。5年ぶりにじっくり喋った学年主任は白髪が目立ちました。
でも英語の恩師、Mrしゃもじだけは老けていなかった。
「そういうことがあったなら、きみはきっとやさしいひとになれる」
あたしはやさしいひとになりたい。





台北駅の八番出口で、スコールみたいな雨に降りこめられて、あたしはジーンズをまくりあげて、石の床の上にしゃがんで、駅の出口でかさ売りの小母ちゃんとにらめっこしていたときみたいに、
また明後日も台北について、バケツをひっくりかえしたような雨に降られたら、
あたしはまた、溜めていた何かを出して泣ける気がするけれど
たぶん友達と行くのでそういう時間はつくらないようにするとおもいます。
でも公園口でまくりあげたジーンズの折り目の幅まで、今はもう棄ててしまったサンダルの飾りまで、あのときの感情と一緒にしっかり覚えてしまっている自分を、いいとか嫌とか言う問題ではなく、上手につきあっていかなくちゃ、とおもいます。




あたしは性格上、あまりに気がつきすぎるので、
(民法で言うところの「悪意」が多すぎる)
じぶんについて たぶん




語ったり書いたりしてもなんにもなんないから、とおもって出してこなかった感情が沢山ある気がします。感情の垂れ流しをしてもなんにもならないから。
それは気のせいかもしれないし、封じたものの存在に気付いているのは私だけなんだけれど。



わきあがる感情をどこかに出しても出さなくても好きにしてバランスとっていられるようになりたいです。
そうやって何かをつぎつぎと殺ぎ落としていって、



まぁいいか。


とやがて思うでしょう。
それでいいんだとおもいます。
いまは。
とりあえずひとが恋しい。



なんであのとき私は一人で行けたのか、今でもふしぎに思います。












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