2009年04月

にほんごの翻訳もできるようになりますように、

と以前翻訳学校に行っていた数年間から思っていて、

すこうしばかり、人と会話してるときも(前よりは)動じなくなったかなと思うけど、

私が私の中で動じなくなったというだけで、
一方通行の話を聞くときに動じなくなったというだけで、
相手がいる双方向的な会話という点では、まだまだ。

相手に自分の感情を話すときは、それなりにうけとめてもらわないと私は消化不良になってしまう子なので

相手の感情も話してもらうときは、うけとめて、いちどおなかまでいれて、そうして返事したいから、
じかんがかかったり、
翻訳して私の言葉になおした結果、
早く返事しなきゃ、って焦ってしまって、わたしからうまれた返事を、
相手がわかるように翻訳しないまま、私の言葉で話してしまって、

はやく!はやく!へんじがほしいよ!

って相手は消化不良に陥ります

きっと利発で行動力があって正直なひとなんだろうとおもいます

もうちょっと翻訳スピードがはやくできますように

たとえば、フランス語の音声の上に英語の通訳をかぶせたニュースの音声は、
どちらも中途半端にしかわからないから、結局英語かフランス語両方の音を拾おうと耳があたふたしてしまって、結局情報がなんもつたわらない
ということが多々ありますが

たとえば、そのひとが英語の話者で、私がフランス語の話者だとして、
英語でもらった質問を、私は英語からフランス語に自分の中で訳して(たまに故意または無過失に曲解して訳したりもするけど)、出てきた返事を私は返事を焦るあまりフランス語のまま返しているけど、
返事は英語にしなきゃ相手には伝わらない

たとえて言うならそういう状態だからうまく伝わらなくて、
お相手はほしい返事がこなくて、
苛々させているのだと思ったりします

結局ほしがっていたこたえは出せたのかしら
あんな返事でみちたりた気分になってくれたのかな

と後悔したりするけれど

二度と戻らない時間をつかって話している以上、
かなしいことばは控えめに、うれしいことばは出し惜しみせず、もっともっと出そう

ってそう、おもいます



かなしいことばを言うときは、
このひとすっごく追い詰められてて、甘えたいんだ
というただそれだけのことが、
最近、わかった。

↑このページのトップヘ