2012年05月

Мの前、故祖父のお弟子さんに挨拶をしてきました。40年ほど前、彼がヨイショと数学科から切り離して別の学問として立ち上げた某大の某学科、いまや研究室全体で学生が60人とな。すごい人気に、彼が遺していった繁栄を感じました。がんばろ。

ec220e26.jpg四月、土曜出勤して五時まで働いた日、桜は満開、靖国で一杯飲んで〜というユーワクをふりきってмに走るわたしをめぐり、なんで大人になっても勉強しているのか、という旨のことをきかれました(単純な疑問)。
彼は「両親も兄弟も自分も高卒で、大学に行ったり就職しても勉強しつづけることに興味をもたなかった」とな。
私の姉妹両親祖父母、とひとりひとり遡っていった末、そういう血でそういう環境だったんだね、と彼は結論づけてそこそこ納得していたみたいです。
あたしはながいじかんかけて積みかさねて築いていった、うちの祖父みたいになりたいだけなのです。みちはとても遠い。

このあいだ、10年越しの記憶を果たしに、てけてけ出かけました。結局、かなわなかったけれど、意外に覚えているじぶんにびっくり。地球にぽこっと生えてきて、つみかさねてつくってきたもの、地上から上に伸びて見える部分の自分、ちょっとピンクっぽい茶色に染めてもらった髪。反面、目に見えない記憶とか、現実に会ってくれるひとのつながりとか、記すに足りない行為のつみかさねで自分は光合成をしているのだと思いました。かぜにふかれてもしなやかにたなびくひとになれるよう、根っこを張る一年にしなければ、と思います。いまはただ、ひとにあわない仕事なので、そういうことを考える余裕がちょっとある。

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