2016年12月

深呼吸の仕方というのをむかし、スポーツをやっているひとに教えてもらった。祖父が死んだとき、泣きながら電話したら運転中の電話越しに教えてくれた。
先週師匠と話していてわかったのが、深呼吸をおろそかにしている人、多い。
そのうちにオラクルカードの扱い方と深呼吸をする会をやろうと思う

風の人とビールを飲む。

「昔はね、自分もクリスマスはこうあるべき、みたいなの、あったのね。

でも今年はなんにも考えてない。

クリスマス、誰と過ごすの?っていろんなひとに、

聞かれるけれど、

どこにいるかもまだ決めていない。」

「去年のクリスマスは、わたしビルニュスにいて、クリスマス市をみて、小さなホテルにとまって、そこにはとびっきり美人で感じのいいフロントのおねえさんがいて、物乞いのお兄ちゃんが、お金をたのむかわりに、わたしのためにしあわせを祈ってくれた。

母のために琥珀のネックレスを、露店で探して。それで19時になったら、ミサにいった。すっごく美しいの。

お店は18時ぐらいでぜんぶしまっちゃうから、キオスクでコーヒーとホットドッグを買って帰った。誰とも過ごさなくてもものすごく楽しかった。

それで来週、「知らない人と話す会」に行こうと思ったんですけど、応募条件が「去年のクリスマスに寂しかった人」なんですよね。

わたし、去年はビルニュスにいて全然寂しくなかったから、もうそういう俎板に、おさまらなくて。

もし来週にその会にいったら、ビルニュスとはいったいどこなのか、なぜクリスマスにわざわざそんなところにいったのか。そういうところから話をしなければならない。そこがどんなに美しくて、物乞いの人がわたしのために幸せをいのってくれたところまで、きっと時間内に話がいきつかない。それってやだな。って。」


※ビルニュス。Vilnius。リトアニア共和国の首都。ロシア語も通じる。

なんだか最近、ファスナーばっかり修理している気がする

この間もダウンコートのファスナーを縫い直した。

324円で買ったポーチのファスナーが壊れたので130円でファスナーを買ってきて、縫う。

買い直すより可愛くなった。

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「いつぶりだっけ。」

「6月に、みんなで、うちにいらして以来?」

「そうそう、最近会ってないなあとは思ってたんだ。」

この人の記憶に時折わたしが出てくるなんてちょっとオドロキである。

あの日は、あのあと、河沿いを歩いて帰ったんだ

6月の24時のネヴァ河沿い。

寒いに決まっているのだけれど、

この人は通らなくても帰れるところを、わざわざそういうところを通って帰っていく。

大きいビールと、小さいビールを頼む。

ビールが運ばれてきた。

大きいのが彼のコースターへ、小さいのが私のコースターへ、置かれた。

あの店員さん、間違わなかったね。

大きいビールがあなたの方に置かれなかった、といってくすくす笑った。



そのひと:「(ハルカ、)結婚した?」

わたし:「してない」

そのひと:「タケがね、良く会うんだけど、そうなんじゃないか、って。」

以前からこのひとすごいと思うのは、そういう他人の再生産によるグレーな噂話を、

次いつ会えるかわからないのに次に会うときまでそっととっておいて、

変に噂話として必要以上に再生産したり、チャットで中途半端にきいたりせず、

次いつ会えるかわからなかったけれどそれでもちゃんとやってきた二人きりの時に、

わたしの目を見て、わだかまりなくさらっときいてくれるところ。

はじめてあったときから、わたしの像はこの人の中の、けっこうしっかりした位置に住んでいるようで、それは仲間かとか恋愛感情かとかそういうのとはまた違った位相で、どうでもよくない相手だからきちんときいてくれるんだとおもう。

私はその人を「苗字+サン」、と呼ぶのだけれど

その人はわたしのことを「あなた」と呼ぶ。


でもこれをロシア語に訳したら、

たぶん、вы (あなた)ではなくты(君)なんだとおもう。

さて風の人が不思議な形をした自転車でひゅうっとタリーズ前に現れた日、

わたしたちはビールをのみ、

お会計の伝票をもらう

あ!

と大きな声を出す

お金をおろしてくるのを忘れたといって、彼は小さなお札入れを見せてくれた。いつも手ぶらで現れるので、最小限のものしか持ち歩いていない。

お代は3000円ぐらい。

もちろん私が払っても構わないのだけれど

カードでいいですか、と店の人に言っていたので

このままお会計は殿方にお任せすることにする

結局私からは1000円ぐらいしかもらわなかった。

仕事の話を伺うために、はじめて緑のコーヒーショップで会ったときも、

私が気づかないうちにお会計を済ませてくださっていた。



彼のお店は日曜日まで、出店しているという

タイミングが合えばお店見に行きます、と言って、その日は別れた。

2日後の日曜日の午後、夜まで時間があったので、私は彼のお店へ行った。

その日のお店は露店だった

彼はどこからか電源をひいており、電気ポットを持ってきていて

お茶、飲む?

と沸かしてくれた。手袋がないと寒い青空市場である。

砂糖もミルクもないんだけどね、と紙コップに入れた濃い目のブラックティーを渡してくれる

それを飲みながら、彼のお店に荷物をおいたまま、ほかの露店のお店をぐるっとまわって戻ってくると、

今度は「ワイン、飲む?」

といって、私に下を指さす。

足元の小さな絨毯の上には、ほとんど飲み切ってしまった750mlの赤ワインボトル。

いただきます、というと、

どこからかまた透明のコップを出してきてくれて、

ハイ、と注いでくれた。

ちなみに彼は私がお酒を弱いことを、知っている。通りがかりの客人にチャイを出して、お酒をすすめて。どこかで経験したことあるなあ、なんだっけ、とおもったら、これ、アルメニアの人のおもてなしである。

アルメニアの人っぽいですね、っといったら、

そうだっけ、そうかもね、と。彼もエレバンに仕入れに先日いっていたので、そういうおもてなしを受けた経験があるのだ

以前話していた孔雀石の指輪を、フラジールと書かれたスーツケースから探し出してきて、はめさせてくれる

それで、先に書いた十字架のネックレスのディスプレイを見たら

ちょっと泣きそうになった

これも値段を聞いたら、ちょっと信じられない数字を言った

安いですね、と言ったら、あんまり高くしても売れないからね、と。

つけてあげようか。ちょっと下向いて。

僕のところ、鏡ないからさ、隣のお店の鏡借りて見て。

それで隣のお店の鏡を見てたら、隣の主人がやってきた。

すみません、勝手に鏡、借りてます。

そういったら隣の主人も「ああ、どうぞどうぞ」

とあっさり言った。

そういう関係が、ちゃんと、風の人と、出来ているらしい

風の人は仕入れたものを、他人の鑑定には出さずに、自分でその土地の博物館と美術館と文献を、しらみつぶしにあたって、仕入れ時の言と、売るときの説明を、一致させている

そういうわけで、ビザンチンの十字架と、ガラスビーズのネックレスを、買った

安いとは言っても、このビーズと十字架が経てきた年月に対して安いという意味であり、もちろんお小遣いで買える値段ではない。

万一飽きて転売したくなっても、これは風の人でなければ売れるものでもない

それでもやっぱり買いたい、と思うのは、その品物が気に入ったのはもちろんだけれど、はじめて会ったときから風の人は私の遠い憧れで、この人に風の人を続けてほしい、と思うから


仕事後だったらあいている、
昨日から明日まで高島屋に出店してるから、
一度荷物を家においてかえって、
22時近くになると思う、と言って、
風の人は自転車で駅前のタリーズに現れた。
初夏にうちまでピアスをもってきてくれたときも、22時近くだった。あのときは白夜が近くて、明るかった。あのときはロシアで、ここは東京。
ロシアも東京でも、彼とは家が近い。育った土地も同じ。
だから彼はいつもうちの近くまで来てくれる。
初夏に会ったときと同じ、革の黒いジャケット。
不思議な形をした自転車をとめて、鍵をかけて、久しぶり、と言われたとたん、私はわんわん泣いた。
どうしたの、一体どうしたのさ、と右の肩でわたしを抱えた
なにかあった?
東京、くるしい。
革の黒いジャケットの胸のなかで、私はわんわん泣いた。
泣ける人がこんなに近くに、いた。

昔さ、一人で外国を色々旅行していて、旅先の紙幣をちょっとずつ残して集めていたのね。でも今思うと無駄な事したな、って。思い出をとっておくより、どんどん行った方がよっぽど楽しい。だから最近は、残してしまうより、使いきってしまうか、乞食にあげちゃう。かつて貯めたお札もね、今は旅行じゃなくて仕事としてどんどんいくから、そこで使っちゃうんだけれど。
7,8年前ぐらいのウクライナの1グリブナ札がね、もう使えないの。なんだこれは、って、むしろとても珍しがられて喜ばれた。リトアニアの紙幣も、次使おうとおもったら、ユーロに変わってた。

昼に連絡をしたら、その日の夜に突然会えることになった。彼はいつもごちそうしてくださるか、多めに払ってくれるので、お土産になにを持っていこう、と昼間に駅前を逡巡していた。伊勢屋の若旦那に甘くないお菓子を聞いて、悩む。落雁、ゼリー系、豆餅。
結局、豆餅をかった。この店はねりきりがとても美しいのだけれど、彼は甘いものを食べない。
豆餅?へええ。この近くの店のなの?
と彼は袋をめずらしそうに眺めた。そう、待ち合わせした場所の、隣の隣ぐらいの和菓子屋さん。
明日、食べるよ。
私がロシアで使い残した21ルーブルを、ひきとってもらった。来週また、ロシアに戻るという。

ベルギーのビールと和歌山のビールをごちそうになり、カードで払ってくれて、帰り、ドアを開けてくれて、またね、と言って、店の前で別れた
おヨメに行った21ルーブル。幸せになあれ。

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オカネモチになりたい。
と言ったらO兄は「なるしかないね。」と言った。
そんな馬鹿なこと言ってないで〜しなさい
なんてことは言わず、
「方法を間違えると難しい。特に日本自体が逆風なので。」ですって。彼の凄い所である。

東京辛くて脳が破裂しそう
ちょうど帰国中の風の人に会えることになった
風をいれてもらう
「私wifi 持ってなくて、もし反応なければ電話ください」
「了解。俺は逆にwifiしかないから、番号はない。笑」

とある人に電話をかけた
10年ぶりだった

電話番号の控えがみあたらなくて
最後の頼みの綱、「自分の記憶」を辿る

この番号だっけ、
と心当たりのある番号をたたいてみるのだけれど

「この番号は現在使われておりません」

機械音がつめたくこたえる

何度か番号を叩くうちに、指と記憶が一致する


ああ、これだ
根拠のない確信
週末何度かならしてみたのだけれど
呼び出し音がなるだけで

誰も出なかった
家族で旅行にでかけているのだろうか


さっきお昼を食べた後、もう一度かけた
美しい声の女性が出てきた

声の主は20歳の時になくなった親友のお母様である

ねえねえ
ちょっとだけ近況を聴かせて
わたしもハルカさんに会いたいわ

ラブロマンスは!?
それとも結婚の報告!?

母娘揃ってカワイイのだ

そうして1月になったら食事をしようと約束をした
あれから12年。

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