2017年05月

2017年05月31日

大丈夫だと思う。

親が入院している。

予防のための入院と手術というか。
自分でそういう選択をして、入院して、そういう手術をした。その選択は本人のためだけではなくおそらくわたしと家族のためでもある。5時間近くの手術。その後の集中治療室。 愛のなせる技である。

家族ではない人には一人だけ、そのことを言った。
そういうことになって、不安。と。

『手術が終わった(^^)v』

と経過も1行書いた。
その人は特に私に何か気の利いたコメントをする人ではない。読んでいるかもあやしい。

格闘家の世界チャンピオンが、いっていた。
怪我の痛みを和らげるには意識をそこにもっていかないこと。
不安にフォーカスしすぎて握りしめないこと。

つまり私の細々した近況報告をメッセージで読んでくれていたとして、
覚えているかどうか怪しいぐらいのほうがわたしもラクで。

多分普通の友達にこれを話したら、
大丈夫? と言ってくれると思うけれど、
何か美味しいものを食べさせてくれるわけでもなく代わりに病院に行くわけでもないなら、なにも言ってくれないでいつも通り接してくれるほうがいい。

上の人、この間会ったとき わたしの好きなお菓子を一つ、
わざわざつけてくれた。Клюква, в сахарной пудре.
ツルコケモモの砂糖がけ。


きのう、手術だった。
最先端の心臓外科専門病院。手術の映像を5分ほど家族は見学できる。


手術は成功した。
経過も大丈夫だとおもう。

でも手術後、集中治療室にいって、
管だらけのむくんだ親を見て、なんとも言えない感情になった。
そこまでできるのは愛のなせる技である。
昨日は不安から長女と三女(わたし)で姉妹喧嘩をした。

わたしは主に母と姉に、大丈夫、って言う役である。
歳をとると 起きてもないことを思い巡らせて不安になりがちなものである。


恐れから逃げるにはまいにち電車を乗り継いで、父の顔を見に行くしかない。
ああ、疲れた。

帰ったらツルコケモモの箱、あけちゃおうっと。
集中治療室から出てきたら、ひまわりをもって行こう。

coloro at 00:21|Permalink日記 

2017年05月29日

恩師と


ロシア語の恩師とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。
『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』
カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私たちがあの幻の学校の、最後の証人だそう。
先生の連載はこちら
http://www.gendaishokan.co.jp


話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、
と外国語学校のほうで毎週聞かれるのだけれども、
これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。

(2017/05/29)

coloro at 22:49|Permalinkミール | ロシア語

新緑のベンチ


『(つきあっていた彼のこと、)全然好きじゃなかったことに気づいてしまった。だから別れた。』

友人Aとあった時に、彼女はそんな事を言っていた。


私の好きな人(わたしはこの人を「風の人」、と呼んでいる)はものすごく忙しい人である。
ロシア関係の仕事で知り合ったのだけれども、
仕事でホボ日本にいない。彼はフリーランスなので自分でそういう選択をしていてそういうふうに生きている。

一昨日、彼と共通の友達2人に会った時に、口を揃えて言われた。

(人としてはすごくいいひとだし魅力的な人だけれども、パートナーとするのは)『つかれるよ』と。

共通の友人2 人ともその人のことが大好きだとおもっていたから(もちろん人としてて大好きなんだと思う)その発言はわたしにとってとても意外で、ちょっと面白かった。

『ちいさな子どもがハルカにいたとして、一生懸命育てている所で、旦那さんはほぼ海外にいる。とてもつらいと思う。』

カーチャは言った。
ちなみに日露通訳のカーチャには子供が2人いて、旦那さんは年の半分以上仕事で海外にいらっしゃる。カーチャのご実家が近くにあって、カーチャが通訳の仕事で家をあける場合はお母様かお父様が小さな子供の世話にやってくるそうだ。


先日、私は、
とある大企業に勤めている、30代の男性を紹介してもらった。
週5日働いて、残りの1,2日は必ず休みがあって,9時から5時の仕事で、お給料もそこそこあるだろうひとで、タバコもギャンブルもしなさそうで、感情的にも安定しているだろう人。

笑顔の爽やかな、すごくいい人だった。こういう人とご縁があれば子供を3人ぐらいうみそだてて、穏やかな家庭を作れるんだろうと思う。

わたしは3人兄弟だ。自分もそうなりたいと思っている。子供をいつか3人うむつもりでいる。
わたしのおばあちゃんには孫が10人いた。自分もそうなるつもりでいる。
でもそのいつか、はそろそろそういう事を考えないと子供3人って自動的に出来る訳ではないっていうことがだんだんと現実味を帯びてきた。


そのお見合い(?)の方はもう一度会ってみたいと思っているのだけれども、
実家がゴタゴタしていて今そういう新しいご縁を作るエネルギーが今じぶんにあんまりない。

『ロシア語喋れるんですね、ていうことは英語もしゃべれるんですか?一体何か国語喋れるんですか?』

この彼に罪はない。
ただし、わたしは一人でウズベキスタンとか、しかも首都ではなく夜行でいかないといけないブハラとか、行っちゃうような女である。


それを土曜日にお目にかかった、空の仕事をしている男性の先輩に話したら、
『価値観の問題ですよね』、といつも冷静で優しいその方は仰った。
価値観がおんなじぐらいの人と一緒になった方が楽だし楽しい。変な人なら同じぐらい変な人と一緒になった方がうまくいく。と最近ニュースに出ている、とあるカップルの事例を出して仰った。


昨日、『辛いとか、くるしいのほうが多くになればやめればいい。』と言われた。


昨日、NHKスペシャルを見ていた。
普段全くテレビをみないのだけれども、なんとなくつけたら、普通のニュースでは報道されない、PKOの南スーダン派遣の話をやっていた。民族紛争のなかで死を覚悟し家族に遺書をかく隊員たち。
仕事で離れ離れになる家族っていっぱいいる。



その風の人とは10日間の日程の日本滞在中、
結果として5分、二人で会う時間ができた。

頼んでいた事とは別に、わたしの好きなロシアでしか買えないお菓子も、わざわざとっておいて、おまけでつけてくれていた。わたしにあげるのではなく彼が自分で店でうってしまった方が高く売れるのに。
多分、この人なりのキモチの表現なんだと思う。

いつものようにタリーズで待ってて、
自分用にアイスコーヒーを買って、待っていた。
自転車でひゅうっとやって来て、わたしたちは駅まえの大きな垂れ桜のわかばの下の石のベンチに座った。ほっ。と垂れ桜の緑をふたりで見上げる。
そうしてざわざわばばっ。と近況を話して、聞かれて、又自転車で去って行った。12時半までの間に3件用事があるんですって。

私自身の感覚には、わかばのまぶしさが、残った。
ちょっと冷房が効きすぎていて薄暗いコーヒー屋の店内で会うよりも、それは美しい記憶になる。
一瞬しか会えなかったざわざわと、5月のわかばのまぶしさ。価値観の合うこの人と会うのがいつも楽しいかどうかは置いておいて(だって一ヶ月に5分しか会えない)、
すくなくともいつも美しい記憶がのこる。

coloro at 14:01|Permalink日記 

恩師と


ロシア語の恩師、黒田龍之助先生とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。

『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』

カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私があの幻の学校の、最後の証人だそう。

先生の連載はこちら

http://www.gendaishokan.co.jp



話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、と毎週聞かれるのだけれども、これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。



coloro at 00:22|Permalink

2017年05月28日

そんなふうに怒ってみたい。

兄が一時帰国中である。
兄と言っても実の兄ではなくて、サンクトペテルブルク生活でとても良くしてもらった日本人の友人。
2週間近く日本にいるのに以前のようになぜか二人であってくれないので怪しいとおもっていたら

兄の彼女(金髪ロシア美女)は、
女友達と二人で会ったことがばれると本気でおこるので毎回大げんかになるらしい。だから二人では会えない。

ということが昨日判明した。言わなきゃいいのに正直に言ってしまうんですって。

だから昨日、兄と、日本に仕事で一時滞在中のカーチャと、私たちは3人で会った。埼玉まで行った。

私もそういうふうに男にたいして怒ってみたい。

といったら隣にいたカーチャに止められた。
それははるかちゃんらしくない。って。

『(自分の彼女もロシア人で、)毎日愛してやるって言ってやらないと、怒るんですよ。』
モスクワの赤の広場で呟いたたけくんの発言は未だに印象的。

coloro at 00:23|Permalink日記 

2017年05月20日

僕らが道端で泣いて、日本のまちをもっとすみよくしましょう

サンクトペテルブルク時代の友人Sがちょうど一時帰国をしており、呼び出した
その日わたしは美女のA先輩と食事をしており、ちょうど同じ駅に住んでいるSくんを呼び出した。同じ専門分野なので美女の先輩AさんとSくんはすっかり意気投合した。

イタリア料理屋に集まった三人の共通点は、皆ロシアに滞在経験があり、サンクトペテルブルクが好きだ、ということだ。

美女のA先輩は仰った。

ロシアのまちで、女の人同士が殴りあっているのを見たことがあるわ。

女の人って、なんのために殴り合うんだろうか。男を取り合って殴り合うのだろうか。取り合う対象の男はそんなにいい男なんだろうか。
わたしは女同士で殴りあったことがないので謎は深まるばかりである。男を取りあったこともないけれど。

友人Sくんもいった
サンクトペテルブルクで、女性が大声を上げて泣いているのをよく見かけますよね。

よね、と同意を求められたのだけれども、

サンクトペテルブルクの街に住んでいたけれど、わたしは女性が大声を上げて泣いているのを見たことがない。

日本のまちとか駅とかでも女性が時々泣いているけれど、だいたいベンチに座って、体を折りたたんで、しくしく。という感じで泣いているので、通りすがりの他人としては慰めようがない。日本のまちは、窮屈で苦しくて、大声をあげてなきにくいのだ。
わかりやすく大声でわんわん、あるいはボロボロないてくれている方がハンカチとかちりがみのだしようがある。

やっぱりSくんはロシアに3年半も住んでいるから、たった1年9ヶ月しかいなかったわたしとは経験値が違うのであろうか

S 君はその後、飲み屋で酔っ払いのおじさんに絡まれて『ナイフでお互いの手のひらを切って血と血を手のひらで混ぜあわせて兄弟の契りを交わす』未遂事件とか、その他諸々さすがの色々な出来事の話をした。
明日またペテルブルクに帰ってしまうSくんの壮行会。ということで会はお開きになった。

解散後、Sくんは駅まで送ってくれた。というか同じ方向だった。
最近どうですか、と色々聞いてくれる。ちなみにSくんは記憶力がいいので私がポロポロ話した愚痴を色々覚えてくれている。

はるかさんの懸案だったあの件はどうなりましたか、と聞かれて、わたしは不覚にもぽろっと泣いてしまった。傍目には別れ話をしているカップルみたいな構図になってしまった。
鞄からハンカチを取り出してほろっと泣く。なんかごめん、別れ話みたいな構図になっちゃって。駅の前なので目の前には客まちのタクシーがとまっている。

Sくんは言った。
僕らがこの道端で泣いて、日本のまちをもっとすみよくしましょう。

coloro at 00:19|Permalinkロシア語 

2017年05月18日

察知


女友達のご懐妊を夢で見た。
彼女が里帰り出産する夢だった。
ほどなくしてご本人から連絡をもらって、メールに、実は子どもが生まれるよ、と書いてあった。
メールにかかれる前に知っていた。


penguin.さんの奥さんのご懐妊を夏に察知した。
誰に言われるでもなく
ただなんとなく、そう思っていた。
同級生だった彼にはもう13年ぐらいあっていない。
優柔不断なのでもう会わないと思う。

昨秋に、
共通の友達の博士にわたしの勝手なこの勘を言ったら、
たしかにやつに子どもができたかもしれないけど、
あいつはそういう事を自分からわざわざ言わないやつだ。
といった。
まわりはわかっているのである。
「子どもできた?」って本人に今月、messengerで聞いても答えない。
昔からそういうやつだった。

ひょんなところできょう答え合わせができて
それはやっぱり当たっていた。
かわいい御嬢さんが産まれていた。


自分に関係の無い人のことなんだから
もう会わない人なんだから
察知なんてしなくていいのに、じぶん。
じぶんのことで察知したい。
そういう自分が時にうらめしいので、
うっかりオメデトウをいいわすれる。

それにしても、なんでそう思ったんだろう。
そんなにこどものエネルギーって強いんだろうか。

coloro at 14:10|Permalink日記 

2017年05月09日

タシケント

わたしにとってのはじめての旧ソ連はウズベキスタン(タシケント、ブハラ、サマルカンド)で、お腹壊してもうそれはそれは大変だった。


と言う話を今日職場でしたら、
きっと市場で色々食べたのでしょう、と82−86年にタシケントに住んでいらした先輩がおっしゃったのだけれども、

(82年というのはゴルバチョフの前の前のまえの書記長(つまりブレジネフ)がなくなった年だとその人は表現した。さらにそのタシケントにいたときはチェルノブイリの大混乱で、なにがなんだかわからなかった、と)

それはヌレギヌでほんとうになにもたべてない段階で大変だった。

やっぱり真夏の灼熱のなか突然夜行でブハラまでいったのがいけなかったのかしら。

というか86年にタシケントに住んでいた大先輩Tさん(日本人女性)の過去がもっと知りたい。
SSSR時代。



2017年05月05日

カリーニングラード

昨年の4月頃から、お肉がまったく、食べられなくなった。それまで、昨年の3月位までは、ばくばく食べていた。

昨年の4月の頭に、ちょっとロシア国内で旅行する必要があって(ロシアというのは面白いところで、滞在登録で書類上のトラブルが起こると、違う土地に一度飛んで、登録をリセットしたりする)、なんとなく、世界の琥珀の大産地「カリーニングラード」に行った。ロシアの飛び地である。カリーニングラードの中央市場はそれまで行ったどこよりも「部品」と血飛沫が大きかったせいかもしれない。血だらけのぶたさんの顔面とか、毛をむしられた生のウサギの前身とか、売っていた。

写真は勿論とれなかった。撮ろうとすると売り子のおねえさんたちが大声で怒った。

その後おにくが全く食べられなくなった。一生分のお肉を食べてしまったような錯覚に陥って、機内食のハムサンドのハムすらつまみ出していた。

肉の塊がぶらさがっているような、大きな市場に行かなくなって、白いプラスチックのパック詰めのお肉がスーパーでかえる国に戻って、数か月して、お肉がまた食べられるようになった。

だいたい食べられなかった期間は半年ぐらいだろうか。

日本のとあるところに「と殺ワークショップ」なるものがあって、生きている鳥をしめて食べるというワークショップがあるらしい。ワークショップの題材となる鶏さん、解剖実験に使われるカエルさん。




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カリーニングラードに飛ぶ図。


以下はカリーニングラードの写真



















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琥珀博物館で売っている琥珀。

琥珀の大産地カリーニングラードで買うより、バルト三国の各首都の琥珀店かクリスマス市で買う方が質が良いものが手に入る。













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脂身のたっぷりついた豚肉。サーロという豚の脂身の塩漬け料理を作る。


















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じゃがいも。


















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