2018年10月

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なんだかもう本当に、変な町でした、スコピエ、マケドニアの首都。

スコピエの空港はあたらしくてキレイだった。
町は貧しさの種類がまたロシアや、トルコとは違う。
この町は子どもの物乞いが多い。
孤児らしき子が橋の上に絨毯を引いてど真ん中に寝そべっている。気が向いたら太鼓をたたきだして、ごはんのためのお金を集める。
普通ってなんでしょう。貧しさってなんでしょう。

カリーニングラードではたくさんの人が、ひざから下を切断していた。
車いすなんてないから、ひざの下を丸太で支えて、歩く。駅前に立つ。
かみさまはどうして不幸や貧しさ、病気をみんなに平等にあたえないんだろう。

スコピエの美術館にいった。
東京・上野の西洋美術館はじめ、大きな国の大きな街の大きな美術館はいろんな国・いろんな時代の出身の作家の作品がおいてあって、
視点のベクトルが混在していて、
たまに行っても私は縦横無尽のいろんなエネルギーを感じ、どっと疲れることがある。

旅行先の小さめの美術館で作家を現地出身者に限定していると、
時代が違うとはいえある程度ベクトルが同じ方向を向いているので、
その空間に存在しているのも楽で、展示物もするり、とはいってくる。
そもそも美術館というものの自分の中での位置づけが今までよくわからかったけれど、
この未知なる国の人たちが世界観をどうとらえているかというのを知る意味で面白かった。
この1年で相当な数のイコンを見てきた。
がむしゃら、という表現が適切か。
先々週のウクライナ・キエフの美術館で14世紀のイコンをみたあたりから、
イコンを見るということについて、自分の中でちょっと腑におちてきた気がする。
写真はスコピエの空港行きのシャトルバス停留所、土産物屋。(2016.10)

ちょっと耳を疑うぐらいひどいことをいわれたけれど、
それだけひどいことをわたしはその人か、
あるいは過去誰かに、わたしは言ったのだと思う。
おもえば30年、ずっとそういう生き方をしてきた。
車線変更をして、まだたった、1年強。
道の車線変更ができることは7,8年前から知っていた。
自分の中は泥だらけだった。
その勇気をもって、車線変更ができただけ、わたしは幸せなのである。
はやくその行き先がみえたらいいのに。
早く蓮華の花に、なりたい。
おくすりとおさけで自分のなかのダイヤモンドを曇らせて生きるのではなく、
まれな才能をもったあのひとが光り輝くひとになれるよう、
せめてもっと無垢な愛をさしあげたかった。

明日はりーちゃんの命日で、
今日か明後日かうろおぼえだったけれども、
ブログの記録をたどったら7日だった
今日は試験の後に時間があったので思い立ってお墓参りに行く
番号を入力すると、
りろりろりー。
という音楽とともに、お墓が現れる。

お供えは早生のみかんと、私が試験中に食べていたチョコレート。
赤いバラとかもっていけばよかったかな。
しかしお供えは(室内のお墓の仕組み上)墓前にのこせない。

少し私の近況報告など。
彼女の写真は20歳のまま、彼女の美しさはかわらない。
あちらで元気にしていますか。
供養を出そうかしら。
生きていればこそお付き合いしたり、幸せな気持ちをいただいたり、
修業したり、できる。

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家族で食事をする
『コンヤクのときに自由ヶ丘の中華料理屋でコンブとか釣り書きとか、交換した』
と母がいった

何回会って結婚することにしたの、と聞いたら
もう覚えていない、と父が言った

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