最近ふらふらとしていたら私の分までお弁当を作ってきてくれた。
だから私は二限が終わった後、コーヒーとカフェオレを買って持っていった。
こういうのって、すごくいいねと
お弁当をたべて、コーヒーを飲んで、ひなたぼっこをして、たばこを吸う
フランス語の本の読書会をする
私のほうはetreから勉強しなおすレヴェル、なのに
その場で教えるからかまわないって。
ふたりで図書館の地下で、本を探す
好きな小説があるから今度プレゼントするよ
英語の本の翻訳くらべをする

ここにいる覚悟をしてよかった。
と今は思う。

けれどその人にとっては
最近私がつらそうだからとか
一緒に本を読んだらなにか得られそうとか
そういう諸々の計算的意識をはるかに超えて
ただお弁当を作ろうと思うからそうしている
みたいなのがよくわかる。
だからある時期を越えて、
そのひとに対して私は必要以上に恐縮したりありがとうを言い過ぎるのはやめた
たべてもらえるひとがいるのは幸せ。とそういってまた煙草をくわえるから
だからとても居心地がいい
たまには私もお弁当をつくっていけばいいだけのことだ。

そういうひとがいることを
そういうかたちで存在を認めてくれる人がいたことを
そのひとにとっては「存在」という実体と名称そのものが意識の外なのかもしれないけれど
しあわせすぎてこわくてかなしい
けれどとてもすごいことだとおもう