ヌメオロジー丸亀の

2015年07月11日

日記(長いのでよまなくていいのですが備忘録的に。)

今日は固有名詞を沢山出すのでクローズドで書きます。
 先々週はMのHさんが、先週はNさんがいらっしゃいました。私は彼女たちをそれぞれ、市内観光船にのせました。二人とも昨年の10月からそれぞれモスクワとミンスクに留学。もうすぐ留学生活も終わるそうです。
 10か月留学したお二人はたくましくなってましたが、特に私はミンスク帰りのAちゃんのロシア語力の上達っぷりにはっとしました。なにをどうやったらAちゃんみたいに喋れるようになるんだろう。。と彼女に教えてもらったКУХНЯというえっちなドラマをYoutubeで観ながら考えています。
 Aちゃんはヨーロッパ人にルームメイトに沢山卵や牛乳を奪われるうちに(「ちょっと貸して、明日買ってくるから」、といいつつ彼女たちは一気に4つ卵を奪っていって、決して買ってきてくれたためしがないそう)たくましくなったのか?ミンスクに日本人が少ないからそうなのか? いやいや彼女の生活を聞いたら(よく勉強する日の例:)朝6時ぐらいにおきて勉強して授業にいってスタローバヤでランチをたべて昼寝してまた勉強して(または本を読むかクーフニャを見るか)そして0時に寝ようとしたら、ヨーロッパ人のルームメイトが突然友達を連れてきて断りもなく映画鑑賞会をはじめて寝られない、、とまあそんな生活だったそうです。
 今日は私、宿題で、"говорите по-русски"のママ作文を書いてもって言ったら、先生にものすごく褒められました。でもほんとにハブローニナの本文のまんま写しただけで、相変わらずРとЛはつづりを間違えるし、ВとБも間違えるし、Уは脱字しているし、とあんまり東京に居たころと変わっていません。褒めてくれたけど授業後にその誤字脱字を先生にも指摘されて、ああほんとうにプロになりたいのならこういうところを一つ一つぜんぶ見直した方がいいなあ、とボロボロの『標準ロシア語入門』を引っ張り出しています。コントラバスを昔弾いていたのですが、音大に入りたいならボウイングと音階を基礎の基礎からやり直しなさい、というのとおんなじですね。
 今週は風邪をひいて、しかし私は薬をほとんど飲まないのでほんとうに授業に行くのもやっとなのですが(OLの時は嫌々抗生物質を飲んでいた、今は在庫が少ないので飲むのがもったいない)、とりあえず授業は休まないようにしています。私のルームメイトは日本人大学生(21)で、彼女は「若かりし青春の一ページとして」海外生活を体験しに来ているので、毎月1週間はロシア外に旅行に出かけています。 
 そんな若者の留学生活がうらやましい気もしますが、私も20歳前後のころにヨーロッパをふらふらした経験があるのと、今自分が見聞を広めることと自分の今後の人生設計がイコールにならない気がしているので、今はただただ淡々と、まいにち授業に行って、地味に宿題をして、結局まだどこにも遠出しない生活をしています。ただ淡々と。
 私が米原万里さんに憧れすぎてキリル文字を始めたのは2005年ごろだったと思います。その冬訪れた香港で読めもしないのにオックスフォードの英露辞典を買いました。でもロシア語は難しいし、彼女は帰国子女だから、通訳になるには難しいよ、と当時大学のマサタカ神に言われて、結局本格的?に勉強をはじめたのは2010年のMに通い始めたころだったと思います。当時は交通事故の後遺症で鉛筆をもつのもやっとでした。でも若かったのに自分に制限をかけすぎていたなあと思います。
 このあいだ、留学エージェントのOさんがペテルブルグにいらっしゃり、ちょっといいことをおっしゃいました。「たしかに米原さんは帰国子女ですが、若くしてお亡くなりになったので、勉強を辞めなければ彼女を超えられる可能性はあるわけです。」超えるとか越えないとか、そうじゃなくて、私にとって旧ソ連は遠いあこがれで、T先生みたいに綺麗な婦人になりたい、K先生みたいに「仕事がたのしくてたのしくて仕方ない」といえる40代になりたくて、埋立地でコンプライアンスとかあるべき姿とかがんじがらめのOL生活で、脱サラしました。会社の同年代の男の子たちには私が一人でウズベキスタンに行っただなんて、とても言えない空間でした。語学のプロになりたいけれど、なにより私が見たかったのはもっと遠くて、米原さんが見てきたような複眼的な世界だったのだと思います。
 こっちは良くも悪くも隙間が多いです。スーパーのレジ付近や、大学の教科書コーナーに、ノートやペンをおいておけば絶対売れるのに、絶対置いてありません。ノートやペンは、文房具屋さんに行かないとないのです。スタローバヤで10ルーブル(向こうのおつりが)足りなければ、あっさりオマケしてもらえることもあるし、あるいは逆もしかり、向こうのおつりが足りなければ10ルーブル余計にとられることもあります。今日授業の合間にコーヒーを買おうと自動販売機にお金をいれたら、ウンともスンとも言わなくて、返金ボタンを押しても全く反応がなくて、購入ボタンをおしても反応はなく、結局私のお金は自動販売機に食べられてしまいました。これ2回目なのですが、といって大学に気の利いた売店があるわけでもないので、自販機使っちゃうんですよね。。
 いまは大学の準備学部のようなところに居ます。外国人学生用のロシア語センター。クラスメイトは今は5人。4人中国人で、1人わたし。9月は19人居たそうですが今は7月なので、多くが帰国しました。最後まで毎日きちんと授業に出た子たちは、ТРКИ-1にしっかり一発で合格していました。ロシア語をはじめてたった10か月です。
 私はちょうどこちらの勉強で行き詰ってる感があって「あなたもТРКИ-1を受けてみなよ」と周りに言われたりして道を見失っていました。でもこの試験、難しいんです。記述も読解も会話も。。受かると有利なの?いやでも私は試験に受かることより格変化を綺麗に話せるようになりたいけどそのための労力と試験代と、、。ぐるぐる。思えばセコい思考ですね。
 ほかの生徒の発音を聞くと、中国語っぽいロシア語、韓国語にしか聞こえないロシア語(韓国の大学でロシア文学専攻)、ウダレーニエがどこかさっぱりわからない日本語っぽいロシア語(日本の大学でもロシア語専攻)を話す子がたくさんいます。ミールの生徒でいられたことはもちろん、命がけで発音練習をしてくださる道上先生の生徒でいられた20歳の時代は、思えばほんとうに幸せな事でした。私の発音、ひどくひどくどなたかになおしてほしいのですが、今はもう、≪だれも直してくれません≫(先生はウダレーニエを時々直してくださいますが)。至極当然なのですが、自分のかつての学習環境が恵まれて過ぎていたので、残酷にすら感じます。たまに自分で録音して聞きなおして、その酷さにぞっとしながら発音矯正します。
 Aちゃんの来訪は私の気分的にもちょうどよいタイミングでした。
 こちらに2月に引っ越してきてしばらく、K先生の講演会での言葉に苦しめられてました。「語学のプロを目指すなら20代のうちに決意したほうがいい、なぜならとても時間がかかるから。」もちろん先生は若者を苦しめるために発したわけではなく、語学は時間がかかるもの、ということが仰りたかっただけなのは百も承知なのですが、わたし31歳で、ぼんやりしたまま20代を過ごしてしまったなあ、今から語学のプロを目指したとして、結婚やら出産やらいろいろ間に合うのかしら、と。
 上記の話をAちゃんにしたら、「そういった言説は私も聞いたことがある。『文学を志すなら13歳までに読んだ本の量で決まる』と言われたことがあって、自分も苦んだことがある。」と。23歳のちゃんはAちゃんは去り際にいいました「人と比べないことですね。」と。そうそう、あと、K先生のおっしゃる通り、勉強をやめないこと、ですね。
 サンクトペテルブルグからモスクワに夜行列車で行くというので、私はマスコーフスキーバクザールまでAちゃんを見送りに行きました。23時のバクザールの掲示板は「ヴォルゴグラード行き」とか書いてあって、萌えます。
 いまはもう鉛筆ちゃんと持てるので、また明日もつづりの練習しようっと。明日起きたらもう少し、風邪もよくなっているはず。髪切りたいけど風邪を引いて美容院用語を調べてないのでまだ行っていません。おやすみなさい。Lさん、風邪で返事してないのですがメール読みました。ほんとうにおめでとうございます!よかった、ほんとうによかった。あなたが日本にきて、はじめてできた友達がわたしだなんて、ほんとうに光栄です!

coloro at 03:30│Comments(0)

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