記憶にあるかぎりわたしは三歳頃から「あいうえお」
の練習をしていて、
洗濯物をほす母の邪魔をして『あいうえお、やろう』と
文字の絵本をもっていった
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言葉っていうのは、人間っていうのは非常におもしろい
ぜったいに抽象的な人間っていうのはいないんですね
必ずどっかの国に生まれて
どこかの言葉で世界を認知したり人々とコミュニケーションしていくわけですよね
抽象的な人類の言葉ってないんです
それぞれみんな違うところで育つのに
違う言葉でしゃべりながらお互いわかりあえるっていうのは
人間っていうのは非常に類的存在、同じ種なんだなとおもいます
(米原万里)
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ほんとうに、母のおかげで、
日本語が理解できて、
操れてほんとうによかったとおもう
よくわからない外国語、よく操れないロシア語でロシアでくらす、
わたしをとりまくロシア語での世界認知の不安定さが、
わたしの知っているほかの言語においてもそうだったとしたら、
日本語でもそんな不安定だったら、
わたしは不安すぎて孤独死してしまうとおもう。
家に帰ったらプッチモニの動画をみてひといきつく今日このごろ
というわけで
フランスにいた小学生のめりりんが
日本語の本ばかりをよみたがっていた理由がわたしなりにわかったわけです
今日の通学路。
冴えるわけだ。

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