小さいころに
といっても小学校中学年ぐらいまで
朝晩祈っていた

ふとんのなかで結構真剣に祈っていた。
おじいちゃんおばあちゃんかみさまごせんぞさま
そのほかのかたがたにあてて。

そうしていた頃の自分が幸せという感情だったのかは覚えていないけれど
わたしは両親姉妹にまもられていて、
そして世界は小さくて平和だった


やがて、大人になって、
そうしてもそうしなくても、
天災はおこるということを知った
人のちからではどうしようもない流行病、疫病や戦争もたくさんあることを知った

親はやがて老いるということもわかってきた
じぶんもやがていつか老いるということもわかってきた

おんなじようなひとに振り回されて
おんなじような感情を握りしめた
若い時代はもうすぐおわる。
幸せってなんだろう。
美しいってなんだろう。

5,6月は感情的に苦しい月だった。
もう誰とも、
特に家族と、
わたしは喧嘩をしたくないし、
誰にもきつい言葉を言われたくないし
いいたくない。


恩師が教員を辞めて、
故郷に帰っていった。
20代前半の自分を精神的に支えてくれたかたで、
文化人類学の大先輩である。
帰る前、東京でお目にかかったヒマラヤ鍋を囲む会で
仰った
わたしは修行を再開しますよ
お祖父様が修行者で御本人も高野山で、大学時代に出家しそうになったことがあるという

旧ソ連圏をひたすらあるいて、たくさんの教会を見てきた
台湾、香港、バリ、京都、そのほかたくさんの寺社をみてきた
ポーランド・クラコフの教会でも、スロヴァキアの首都ブラチスラバでも、
リトアニアの首都ビルニュスでも、
週末に、あるいは一日のおわりに、あるいはクリスマスの日に、
あたりまえのように教会に行く人たちがうらやましかった。
小さいころからそういうふうに生きたかった。

信仰を背負うこと、
かみさまとともに生きる選択を拒絶しているのは、
あんがい自分自身かもしれない。