その人とは、
地震のあった年、
サマルカンドからタシケントへの特急シャーク号で知り合った





彼はウズベク人の通訳ガイドだった。ウズベク語、日本語、英語、タジク語、その他色々話す。

当時わたしはボロボロでぐちゃぐちゃだった。
身体も怪我がなおらなくてつらかったし、
好きな人と別れてでも忘れられなくて、ぐちゃぐちゃだった。

そういう話を特急でして、

彼はわたしの日焼けしていない真っ白な肌の色、
当時(若さで)すべすべだった二の腕を眺めて、

「(別れた男は)バカだなあああああああ。
本当に、バカだなああああああ。」

と日本語で、いった。

その彼が、どうも出張で同じ街にいるらしい。


彼は日本語が上手い。

連絡はロシア語をキリル 文字ではなくローマ字で打つのでチャット画面はぐちゃぐちゃになるのだが、
きのう、
わたしたちは日程が合わなくて、会えなくて、すれ違った図。

最後に会ったのは多分5年前なのだけれど、
まあまた、そのうち、会えるでしょう。