ミール

2017年07月15日

優しい先生

同時通訳のO先生の授業に行っている
自己紹介のときに
わたしはミールの出身です、といったら
「ああ、アズマ先生ね」と仰った。
アズマ先生ご夫妻はそんなに有名なのだ。
それ以降、私には厳しい気がするのはきっと気のせいではないと思う。

いや厳しいというのも失礼な話というか違うのだけれども、
今日も指摘をされた。
「エルとエルの発音、時々ひっくり返りますね、意識してみてください」
そうなのです。つづりも間違えてしまう。
多喜子先生はあんなに怒ってくださったのに、
今となっては指摘してくださるのはO先生だけである残酷さ。


O先生は優しい。ほんとうに優しい。
「単語帳の単語を”何度か”練習してくださいね」
「発音がきれいに言えると、楽しいでしょう」
「何度も何度も、聞いてください。もういやっ!っていうくらい、聞いてください」
このお言葉を多喜子先生だったらこうはおっしゃらない。と思いながら一番前でいつも聞く。




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2017年06月25日

多喜子先生

予習ができていなくても構いません、
とにかく授業にいらして、という多喜子先生のお言葉を思い出して、
とりあえず授業のある駅まで行った。

やっぱりどうにかせねばならなくて、
開始前一時間でなんとか予習というか体裁を整える。
息も絶え絶えながら、なんとかなった。

多分先生からみたらつぎはぎだろうけど。

多喜子先生はやっぱりすごい。



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2017年06月07日

その席は、ずっと続けてきたあなたのために、空けてある。



先月、ロシア語の恩師・多喜子先生に電話をした。

「(ロシア語の仕事の)チャンスをつかむためには、勉強をつづけることですよ!!」と多喜子先生はいつもの美しい声で、おっしゃった。

「あなたは大丈夫だとおもっていたんだけれど、時々変なことをいいだすから。」と多喜子先生はおつづけになった。

変なこと、というのは将来を悩みすぎるあまりロシア語の勉強をやめてしまおうかという趣旨の発言を、過去わたしが口走っていた、という意味だ。今もそう思うけれど休みつつサボりつつ、結局ロシア語との縁は辞めない方向になっている。というか、もう、旧ソ連圏の美しさをしってしまって、辞められない。





占いの先輩に会ってきた。この道30年の大ベテランである。

先輩の鑑定はオトメである。

オトメですね、と言ったら、「だって私、占いで旦那をいとめたんだもの」とおっしゃった。

「占いで人間を救うことはできない。」とわたしの占いの師匠が書いてあるのだけれど、占いを上手に利用すれば幸せを作れる人もいる。




現在私は松戸の対面鑑定の店舗に占い師として時々入っている。

そもそも私は、この店のボスがかかわっているチャット占いのアプリに、2015年から、細々と、時々消えそうになりながら、でもずうっと、やめずに、続けてきた。

ロシアで生活していたころも、ずっと、日本時間の未明に、ひとりひっそりとオンラインにしていたし、旅先の旧ソ連圏いろんなところをフラフラしながらも、ポーランドのクラコフのホステルとか、ラトビアの首都リガの深夜のバスの待合所でビルニュス行きのバスを待つ間とか、そこでもずっとパソコンやタブレットをひらいて、細々と、このチャットアプリで、鑑定をしていた。





チャットアプリのボスが、2年後、松戸で占いの対面鑑定所を開くことになった。対面鑑定所のお店がオープンして3ヵ月後のある日、私はボスにメールをした。

「対面鑑定って、短期とか、単発でもいいですか?」

松戸ってうちから決して近くはないし、ロシア語の仕事もしているので、続けられる自信がなかった。

そうしたらボスはあっさり返事をくれた。

「OKですよ」

そういうわけで5月から、時々対面鑑定のお店に、鑑定士として、お世話になることにした。店はたのしい。





今日、上述の、占いの大先輩に会いに行った。占い師歴30年の大先輩である。彼女はボスのK氏とも、この会社のチャットアプリとも、関係のない場所で活動されているのだけれども、彼女と話していて、わかったこと。

わたしのボスは、今まで彼とつながりをもって活躍してきた若い占い師たちが成長できる場、活動できる場をつくるために、(ときには占い業界の大先輩の面々のエントリーも断って)、対面鑑定所の店舗の席を、まだ経験年数の若い占い師のわたしたちのために空けてくれていた、ということだ。





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2017年05月29日

恩師と


ロシア語の恩師とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。
『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』
カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私たちがあの幻の学校の、最後の証人だそう。
先生の連載はこちら
http://www.gendaishokan.co.jp


話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、
と外国語学校のほうで毎週聞かれるのだけれども、
これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。

(2017/05/29)

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2017年02月05日

「隠れミール」じゃなくなった日

ミールロシア語研究所、というところでロシア語の勉強をしていた。

ミール(МИР)というのはロシア語で、世界とか、平和とか、そういう意味である。

もう5年ぐらい前の話だ。

OL時代、研究社の『露和辞典』ををいれて、

そうしたら1時間以上の通勤には重すぎるので、

リュックサックで会社に通っていた。

リュックサックで会社に来るOLなんてその会社でわたしぐらいのものだった。

辞書もロシア語の教科書も、会社の人に、みられたくなかった。





ロシア語の授業には、OLの仕事後、週に2回、通っていた。

ロシア語の授業の予習も、会社近くに始業より早めにいって、近くのロッテリアで、こっそり勉強した。

こういうわたしに、ロシア語の仲間は、

「隠れキリシタン」ならぬ、「隠れミール」だね。

といった。





あるとき、会社の数人の仲間に、

実はロシア語を勉強して居まして。

といったのだけれど、

「会社員なのに外国語をべんきょうしてなんになるの?」

無垢なひと、悪気がない人ほど、そういった。





占い師の先輩にいわれたことがあるのだが、

わたしはほかの女の子より、同じ事をしていても目立ちやすい星周りらしく、

社員の人と違うことをして、

上司や会社の仲間から、排除の理由になるのが怖かった。

それでなくとも占いができるぐらい勘のするどい人間である。

”魔女狩り”にあっても困る。

会社を辞めるならわたしが自分でタイミングを決めて、辞めたい。





今週、徳永晴美先生のロシア語の本を新たに買って、読んでいたのだけれど、

なんとなく、ブックカバーをつけたくなって、

閉店間際の文房具屋にかけこんで、包装紙を買ってきた。



もうね、「隠れミール」じゃなくなったから、

「会社員なのに外国語をべんきょうしてなんになるの?」

なんていうひとはいないわけで、

わたしが人前でナニ語の本を読んでいようが自由なんですけどね。

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2016年11月16日

2010年代:ミールロシア語研究所の記録

筆者:

横浜生まれ。2010年4月からミールロシア語研究所・東多喜子先生の入門科へ。3歳のころからTBSテレビ「世界ふしぎ発見」を見て育つ。大学時代に米原万里さんの随筆に出合い、ロシア語を通じた世界の捉え方に衝撃を受ける。出版社に就職し、世界への憧れを持ったまま悶々としていたある日、黒田龍之助先生の講演会で「代々木の語学学校 M」の存在を知る。

会社でクタクタなった後に代々木に行くのはつらい。けれど多喜子所長はいつも輝くばかりに美しい。2013年春に閉校したミールロシア語研究所との日常、多喜子先生とのやりとりのいくつかを書いてみたいと思います。

※文中、「所長」は多喜子先生のことを指します。

2010/3 はじまり

日曜日の12時。ご昼食かしら、と一瞬思うが電話をしてみる。ひがしさんですか、と訊いたら、アズマです、とお答えになった。入学金として幾ら、入門科として半期で幾ら、テキストは白水社の「標準ロシア語入門」を使います。とりあえず来週の見学にいらしてください、とばばっと仰る。

そして見学、41課、時間の言い方。

私のロシア語歴は、NHKラジオロシア語の5月号まで。読まされる。読めない。

帰り際に発音をほめていただいた。何語も続いたことのない私がこのスパルタンな学校に通えるのだろうかと悩む。先生の指には大ぶりの指輪、とろけるような白い貝。ショートカットの御髪に大きなイヤリングが似合っていらっしゃる。髪も肌も美しい先生。こんな大人になりたい。

2010/4 開校日

昼間、仕事で代々木に寄ったのでMの3階に上がってみる。真っ暗で誰もいない。授業は夕方6時20分から。営業先から会社に戻る途中、悩みに悩んで夕方4時に、多喜子先生のお宅に電話をしてみる。

「やはり今期お世話になりたい」

「ああ、きてくださるの、発音からやります、お待ちしております。」

電話は一分で終わった。

2010/6 クラスメイト

クラスは6時20分から。普通の会社勤めだったら来られるかこられないかぎりぎりの時間帯なのに、なぜか大人の男性が多い。なぜか皆さん体格がいい。そしてなぜかジャージ姿とか、初夏だからかハーフパンツ姿の人までいる。正直怪しい。よくよく聞いてみると、自衛隊や、省庁の方も多いとのことで納得。たまに絶対自分の仕事内容を言わない(職務上言えない?)方もいる。入門科のはずなのに、なぜか皆ものすごくできる。なぜ?

大先輩のTさん(現在モスクワ赴任中)が、自作の動詞の活用表を下さった。うれしい。飲みに行きましょう、と香取先生や私を誘ってくださって、いろいろとお仕事の話をしてくださる。

2010/7 男性、中性、女性。

ロシア語には性がある。私は女性。だから自分の話をしていて動詞の過去形の性を間違えると、「あなた女の子!」といわれる。

2010/9 仕事後のM

仕事の担当エリアは神奈川県で、直帰にして厚木や相模原から代々木に舞い戻る。7時半。予習も全然できていない。このままじゃ単語のテストなんて全然かけない。でも行かなきゃ来週もっとわかんなくなる。最後の10分、顔を出したら、先生は「いらしてくださって本当にうれしい、とにかく休まないでいらしてください」と仰った。

2011/3 

金曜日の午後、大きな地震があった。翌週そのまま出勤する。多喜子先生からお電話をいただく。職場のデスクで携帯にでる。

「今日は授業はなしとします。来週はやるつもりでおりますが、何かあったら連絡をいたします」たしかこんなことを仰っていた気がする。



2011/8 ウズベキスタン

ウズベキスタンに一人で行ってみた。ロシア語であいさつをすると、いろんな人が声をかけてくれた。タシケントからブハラまでの夜行列車、ものすごく熱い。多喜子所長と香取先生がいらっしゃらなければ、絶対ここまで来られなかった。



2011/9/13 職場の飲み会

職場の先輩の送別会にて。ウズベキスタンに一人で行った、と話したら、「ウズベキスタンってどこ?てゆうか会社員なのにロシア語勉強して一体何になりたいの?」と、言われる。以降職場では、ロシア語勉強していることは、あまり大声で言わないことにする。

2011/9/26 味方

ふたたび職場の飲み会。隣の席に、長崎生まれの同期が座っている。この人はいつもものごとをまっすぐ捉えてくれるひと。こっそり、実はロシア語を勉強している、実はウズベキスタンに一人で行ってみた、と言ったら、ほんとうに期待を裏切らず、あたたかい言葉で肯定してくれて、お礼に司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』が日露戦争のころのこと書いている、と紹介してくれた。うれしい。

2011/10 Наука

神保町のНаукаに行った。ハヴローニナのテキストが早く見てみたいと思って尋ねるも、品切れ。入荷したら電話を下さった。「10冊入荷したのですが、10冊ともほしいと仰るお客様がおりまして…。」「それ、Mの東先生ですか?わたしそこの生徒です!」そういうわけで、多喜子先生から後日、いただく。

2011/10/15 土 ゆっくりつづける

ふたたび43課。だましだましだけどひととおり終わりまできてうれしい。半年前はさっぱり意味がわからなかった関係代名詞の書き換えがちょっとわかって嬉しい。対格と造格の関係がちょっとわかってうれしい。

2011/10/19 水 発音

М。いまもむかしも、多喜子先生は発音に容赦がない。夜9時半、くたくたになったころ、多喜子先生が誰よりも元気に発音を直してくださる。声に出すことがこんなに大変とは思わなかった。

帰り際、「営業つらいです、仕事辞めたいです」と所長に愚痴ると、「仕事があるだけ幸せなのよ!ちゃんとロシア語が出来るようになったら仕事辞めてもいいわよ」、とはっぱをかけられる。

2011/11/9(水)  Дождь идёт уже давно.

多喜子先生に明日の天気を聞かれた。授業にいくまえ、月にカサがかかっていたから、


「завтра будет плохая погода.」 と答えてみたけれどどうかしら。

いつも笑顔の自衛隊市ヶ谷のS氏、9時20分に授業が終わると、では「私は戻って仕事なので、、、」と再び笑顔で市ヶ谷に戻って行かれる。

私も級友M嬢も帽子をかぶっていて、多喜子先生は「いいわねそれ」、と仰る。帰りにお互いかぶせっこする。多喜子先生は恥ずかしがっていらしたけれど、所長の帽子姿はかなり男前。新発見。

2011/11

久々の授業

咳が止まらず、2週間ほど授業を休んだ。昼間、仕事で三浦市→葉山町→横浜市→川崎市→М…。私は化粧も落ちてくたくたなのに、多喜子先生は今日も艶やかで御髪も美しい。

繰り返すたび、初級のテキストはほんとうに奥深いと思う。いろいろなところがリンクしていて。

帰りがけ、「病気をしてはいけません、恋をしなさい」と多喜子先生に怒られる。

2011/11/23(水) 日記

入門はあたらしい方がいらした。予科はM姉と自衛隊市ヶ谷のS氏と、といつものメンバーも揃ってきて、すこしほっとする。一年前はちんぷんかんぷんだった後半の授業。逆訳が意外と言えてびっくりした。所長は昨日も乙女だった。

クラスメイトがハヴローニナの古いテキストのテープと本文をCDに起こして、焼いてきてくださった。とってもありがたい。Tさん、Mさん、ありがとうございます!

2012/1/22

М2年目。ついに教科書の裏表紙がべりっと破れた…。

2012/2(水) 授業後

最近、身の振り方に悩むんです、といったら、

「あなたまた恋しているの!?」とおっしゃる所長。

だんなさまのことをプリパダパーチェリ、とおっしゃる所長

悩むと動けなくなるのよね、とおっしゃる所長(私も動けなくなる)。

半分ぐらい遅刻していっても、オーチンラーダと言ってくださる所長、

辞めるなら早く辞めなさい、でも必ず世界が広がるから、と仰る所長、授業後、大学生の級友たちが帰ったあと、ちょっと残って所長にぽろぽろと雑談をすると、

「たくさん恋をしてたくさん失恋してしあわせになりなさい、いのちみじかし恋せよ乙女」とピュアな眼差しで真剣におっしゃる所長。授業のときと同じ真剣さで。

ふらふらした興味の持ち方をする自分が嫌いだったけれど、ゆるゆると、来週も行こう。いつかまた、中央アジアに行くぞ。ほんとうに、どうやったら所長のような気品は身につくのかしら。

級友М姉から、モスクワの写真はがきをお土産にいただいた。すごくすごく、本当に嬉しかった。ありがとう!

2012/3 授業後

級友M嬢が恋の話をした。多喜子先生は目を輝かせる。

「このクラスの娘たちはみんな恋多き娘だから楽しいわあ」、とおっしゃる先生。

あれ?みんな?わたしも? いつのまに仲間入り?

「恋をするっていうのはね、純粋になるということだとおもうの。」

2012/7 モスクワ生まれのピアニスト

ルーカス・ゲニューシャスさん(モスクワ生まれ、22歳)のピアノリサイタルに行った。

ショパンとラフマニノフと。ちょっとシャイでちょっと男性脳が強そうで故にちょっと不器用そうで、そしてとても努力家な印象。ブラボーというのが苦手な日本のお客さん、小さなホールが大きな拍手でだんだんとあたたまってきて、アンコールは四曲。

帰りに楽屋で、女性が列をつくっていたので私も行ってみた。

みんな英語でぺらっ、って喋ってルーカスさんは流暢な英語で答えていたけど、わたしは『ハルカです、Я очень рада видеть вас』、っていったら、ナニカお返事をロシア語でとても早口でくださって、サインもканечно!!!とくださって、пожалуйста、ってくださった。もっとちゃんと所長のテキストを練習していたら、もっといろいろいえたのだろうに。嬉しい。ほんとに嬉しい。帰りに「До свидания」、って言ってくださった。やっぱり一言だけだけど、ロシア語で喋ってよかった。昔、大学時代の恩師が「相手にストレスを与える言葉、発音、話し方をしてはいけない」とおっしゃっていたのがとてもよくわかった。何語を選ぶかも然り。しあわせ。

2012/7/4 水 授業へ走る

職場から代々木へ走る。最近は辞書を忘れても、本日の教材を忘れて叱られるのがわかっていても、予習できてなくても(!)、今日の作文の宿題を忘れて慌てて地下鉄で書いても(ボロボロ)、駅のお蕎麦を食べて、所長に会いに行く。営業から事務に異動をして、格段に行きやすくなった。しかし思う。外回りだったころも、行けなかったのではなくて、行かなかったのではないか?体力的なこととかいろいろあるけれど。「水曜日は定時で帰ります!」と職場のまわりをちょっとずつ巻き込んで、味方をつくって、意識をそっちに向けて、協力してくださるかたが、ちょっとずつ増えてきた。感謝感謝。風が起こってきた。皆様いつもほんとうにありがとう。

2012/7/15 日 渋谷にて

昨年ウズベキスタンで知り合った通訳Sさんと東京で会う。もんじゃの隣の店で見つけたスーパービッグパフェ(3,950円)。ちょっとおもしろかったのが通訳さんのコメント。「3,950円って50ドルくらいでしょ、そしたら僕の国(ウズベキスタン)でトラックの荷台いっぱいのスイカをハルカも見たことあるでしょ、それでこの値段で100人分くらいのこのパフェができるのに。野菜と果物がいちばん安いんだよ。」渋谷のど真ん中、必要なのは想像力。





2012/7/24 日記(一年のおわりとはじまり)

いま私が使っている手帳『13の月の暦』(こよみ屋)上では、もうすぐ新年を迎える。グレゴリオ暦7月26日から新年が始まるらしく、明日、7月25日は『時間を外した日』とうたわれている。

周りに無理を言って、明日は会社の休みをとった。たぶん家事をして、ロシア語の勉強をして、ひょっとしたら海を見に行くかも、そして夜はМに行く。そんないつもの休日になるのだけど、なんだかいつもより、ワクワクする。この一年、自分に正直に生られたことについて、ちょっとほっとする。

相変わらず自分の生き方に迷うけれど、あと60年くらいは生きられるだろうと仮定して、人様と比べず傲らず、ハレの冠婚葬祭よりも、ケの日常を丁寧に前向きに生きることが一番大変、前向きに、基盤をつくるべく、根っこを張る一年にしなければと思う。めざせ所長。多喜子先生のように凛と生きたい。

2012/7 授業

最近、Мのスパルタン具合はイタリア語同時通訳の田丸公美子女史の高校時代の英語の授業のそれと甲乙つけがたいのでは、と内心思う(ちゃんと予習しておけばこんなに怯えなくてすむはず)。

放課後の所長に、愚痴や不安を、またいろいろ訊いていただいた。

「こんなに時間かけてロシア語を勉強してるのだから、何かに使ってやろうと、ちゃんとやらなきゃ、人生もったいないわよ!」「時間をかけなさい、あなたができないわけないんだから」「やめるなら早く辞めなさい、でも必ず世界が広がるから。魅力的なお友達もたくさんできたし、ウズベキスタンにも行けたでしょう。」

2012/8/4(土) ふたたび27課

В этом году весна пришла позно.

これをはじめて読んだとき、ロシア語ってほんとうに美しいと思った。

27課をやるのは5回目くらいだけれど、辞書をひきつつ、もういちど読み返すと、発見がいっぱいありすぎて、とても予科のテキストまで手を出す勇気がない。

2012/8/11(土)

きょうは30課!数字の言い方。練習問題の数字を1分で読む。「38,96,151,・・・」ストップウオッチも時計も鉛筆を忘れてしまった!でも授業に行く!

2012/8 灼熱の夏

М。きょうの例文を応用してみる(31課)。

Сколько сегодня градусов?

---Сегодня 30 градусов мороза! 

2012/9/15(土) 日記

職場で退職手続きをする担当になった。

「結婚して夫の赴任について違う都市へ行くので辞めます!」という方、意外に多い。

横浜の産院で生まれてほとんどここで育った私には、それがまだ想像ができない。

バリの王族に嫁いだ方とか、ウズベク人の方と結婚した人とか、そういう女性を何人か知っているけれど、自分が海外に嫁ぐとしたらちょっとした事件な気がする。

文化人類学を専攻していた学生時代、弊害も利点もある大家族をいろんな国で見てきて、煩わしいけど出来るだけ(仕事とか学問とか家や土地の問題がクリアできるなら)家族はもちゃもちゃと一緒に暮らすもの、という信念が自分にはあるような気がする。

昨年ウズベキスタンに行ったときに、砂漠地帯で放牧をしている人々をみた。特急でサマルカンドからタシケントに向かう夕方の車窓だったと思う。

ブハラ出身の通訳さんに、「砂漠で不便なのになぜ人は都市に出ないのか?」

と聞いたら、「故郷だからだよ!親も先祖もみんな生まれ育ったから。そんなこと言ったら、エジプトやリビアとかの砂漠地帯から、人が居なくなっちゃう!」

という解説をもらった。今思えばそんな問いをした自分が恥ずかしいけれど、未だに出身とか帰巣本能というかアイデンティティー的なことに興味があって人様にも唐突に聞いてしまう。

ロシアから日本に嫁いで、今は旦那さんの転勤にあわせて韓国で子育てをしている友人E嬢ほどのたおやかさでないにしても、言葉をまなんでもうすこしたおやかになりたい。知らない町で知らない言葉で生きることが大丈夫な自分をつくれたら、わたしの見る世界はもっともっと広がるんだろうなあ。

2012/9/22(土) 電話

夕方、多喜子所長に電話をかける。微熱が下がらないので休みたいと伝える。案の定ものすごく怒られる。「若い御嬢さんが!」と。いつもは一分ぐらいで終わる電話が、五分。先生も喉のお加減がよろしくないという。「予科にいい加減進みなさい」、と言われる。ああ、どうしよう。

2012/9/26(水) 着信

夕方、所長から私に携帯に、4度の着信をいただく。各々50秒ずつ。かけなおすと、案の定猛烈に叱られる。今日の授業が休みであること、土曜の範囲を案内していただく。迷っている暇はないみたいだ。そうか、今日の授業が休みなのを伝えるために、4度もお電話くださったのだ。

2012/10 日記

最近、(体調も日常もうまくいかなくて)いろんな活動をすこし休むことにした。Mもひと月ほど休んでいる。けれど、3歳ごろから「世界ふしぎ発見」をみて育ったこの身体、やはり世界への興味はつきない。日本語やカタコトの英語だけでも旅行はできるし、世界を自分なりに切り取って認識することはできるだろうけれど、やっぱり昨夏、サマルカンドに行ったとき、街なかでおじいちゃんに「Здравствуйте!」、といった時の反応の深さは、英語だけの時と全然ちがう。だってチャイを10杯くらい飲ませてくれたもの。あそこであのまま座っていたら永久にのませてくれたのではなかろうか。ウズベク語がしゃべれたら、もっと違ったんだろうなぁ。世界は英語だけじゃ切り取れない。そうだ、広いのだ。米原万里さんが『ガセネッタ&シモネッタ』で指摘していたかと思うけれど、日本もアメリカ文化圏。あんまりニッポンニッポンって我をはっちゃあ色々あんまりうまくいかないんじゃないかなあ。身体をゆるめて、英語以外もいろいろ勉強しようよ。みんながみんな一流の通訳になる必要ないんだから、ぱらぱらするだけでもいいじゃない。ということを自分にいってみる。やっぱりゆるゆる、ロシア語の勉強を続ける。

2012/10 電話 

Mを休んで一個月半。夕方、所長に電話をする。多喜子先生曰く、級友M嬢たちが次々とモスクワに留学してしまったため、私が落ち込んでいるのではとご心配されたとのこと。それについて落ち込んでいるわけではないけれど、自分の進路について悩んでいる、と白状した。

「なんにもしないで悩むのはダメです。努力をしていたら、チャンスが来た時につかめるから。悩みながら前に進みなさい。」

後日、「先生も私ぐらいの年の時、悩んだんですか」、と聞くと、「あたりまえです!」と仰った。この年になっても、いろいろ悩みは尽きませんよ、と。

2012/11/10(土)

体調がよくなった。香取先生の授業に行く。ひさびさの授業。穏やかな香取先生にお目にかかる。うれしい(しみじみ)。上述の所長の美しいお言葉を、香取先生と共有する。うれしい(しみじみ)。また来よう。

2013/1(水) 多喜子先生のお母様

年始にインドネシアに行ってきました、という話を私がしたら、自由会話の時間を設定してくださった。

誰といったの、どこに行ったの、何を食べたの、と級友に質問を出してもらって、私もぽろぽろと答える。

「インドネシアにね、私の母が昔行ってね、こうやって(腕を伸ばす仕草)、海の上で船から引っ張ってもらって飛ぶのね、なんていうのかしら水上スキーっていうのかしら、それに私の母が挑戦していたわ。そのときもう年だったと思うけれど、とても好奇心旺盛なひとだったから!」

2013/2

香取先生が中央アジアに2週間ご出張のため、2月は水曜日も土曜日も所長が授業をしてくださった。

「(なぜ先週は授業に来なかったの)」、という多喜子先生の詰問から始まる。

「(あたまが痛くて)」と言ったら、丁寧に直してくださる。

多喜子先生「(それで、それは病気だったの?あたまが痛いのはよくあることでしょ)」

私「いえ、実は親に見合いを勧められたのが嫌で泣いて人前に出られる顔ではなくて」

と正直に白状したら、

「(結婚そのものが嫌だったの?それともお相手の男性が気に入らなかったの?)」と容赦ない。

帰り際、「お見合い、私したことなかったから、私だったら100ぺんでもしてみたかったわ!」と。プリパダヴァーチェリに一途じゃなかったんですか、と訊いたら、「もちろん結婚してからは一途だったわよ」、と仰る。「頭が痛くても、泣き顔でも構いません、とにかく休まないでいらしてください!」

白い花のついた髪留めを褒めてくださった。先生の御髪が一番きれいですよ、と言っても、「からかってはいけません」ととりあってくださらない。

2013/2 遅刻

少し遅れてMにつく。

「(授業に遅れてごめんなさい)」と言うと、これも丁寧に直してくださる。

それで、予科の新しいテキストの5課を露訳する。やっと本文の露訳が終わって、9時半。本文の内容について質問をされて、10時。「ああ、もう時間がないわ!」と熱心に仰る所長。10時はつらいけれど、やっぱり好き。Mとの日常はつづく。





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2016年10月10日

ビザ

残日数を計算したらビザが11月末まである計算で
そしたら今年の冬はまた集まれるかな、ミールで。
たぶん幹事は私なんですけどね
脳内は多喜子先生のことばっかり
早く多喜子先生みたいに輝く淑女になりたい
今日の黒パンが美味しすぎて脳が揮発するかと思った

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2016年08月29日

大先輩

だって私、やるべき事がまだできてないから落ち込む段階じゃないもの(N谷さん)

続きを読む

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2016年08月26日

ひとめぼれ。OLを辞めたきっかけ

■成田空港のひとめぼれ
■アエロフロートに電話する
■死なない程度に息をする日々
■「私が惚れたんです!!!!!」
ーーー

OLを辞めたきっかけは成田空港での、夏の終わりのひとめぼれだった。
2年ほど前まで、OLだった。
おそらく絶対潰れない種類の会社に勤めていた。
先日ロシア語の恩師K先生にお目にかかったところ、「まさかハルカさんが会社を辞めるだなんて、おもっていなかった。」と言われた。「会社を辞めたい辞めたいと言っているのは知っていた。でも本当に辞めるなんて」と。
最近わかったのだがこの恩師はどうも私を実物以上に脳内美化してくださっているところがあり、当時私のことをだいぶコンサバティブな女の子だと思っていらしたような気がする。
ロシアに住んでいると、けっこう情熱的な日本人と知り合う。能動的に来ている人が多いので、もうほんとうに情熱的だったり、センスがよかったり、エネルギッシュだったりする。片想いのロシア美女を追って、会社員をやめて、移住したというひと。フィルハーモニーが好きすぎてロシアに移住してしまった、というひと。
みなさん情熱的だなあ、と感心していたけれど、思い出してみたら自分もきっかけは同じようなものだった。

■成田空港のひとめぼれ
二年前の夏、ちょうど今頃、会社の夏休みを9日間もらって、モスクワに飛んだ。
モスクワに住んでいたミホさんとシェレメチェボ空港で待ち合わせして、
そのままアルメニアの首都エレバンに飛ぼうといっていた。

成田空港でモスクワ行きのアエロフロートにチェックインする。
チェックインカウンターに並ぶ列のその前に40歳ぐらいの男性がいた。
カバンといい、シャツといい、なんだか味がある。

なんとなく声をかけたい気がして、
でも用もないのに声をかける自分は変な女なんじゃないかと思って(今思うと当時の自分も十分変な女だったのだが)、
声をかけそびれたまま、チェックイン。
同じモスクワ行きの飛行機で、二列前に座っていた。
約10時間後、モスクワについて、トランジットの手続きのカウンターで、
質問をするふりをして、やっと声をかけた。
そのままチューリッヒに飛んで、近代建築を見て回るそう。
自分は建築士である、と名乗った。建築士なんて、自分とは別世界、夢みたいな世界の人である。
彼はその日のうちにトランジットで、私はその日はモスクワ泊で、そこでそのまま別れた。
名刺ぐらいもらっておけばよかった。成田空港にいたぐらいだから東京の人かもしれない。そうしたらチューリッヒの話も、建築の話も、聞けたかもしれないのに。どんな人かもわからないのに、そもそも独身かどうかとかもわからないくせに、なぜだかわからないのだけれど、猛烈に後悔した。

■アエロフロートに電話する
アルメニアは美しかった。
その数日後モスクワに戻り、ミホさんに連れていってもらったバレエ「白鳥の湖」は美しすぎて、
幕が上がって一瞬にして涙が溢れた。
しかしやっぱり成田空港事件の後悔は抜けなくて、帰国しても二、三週間自分を責めたと思う。無駄だと分かっているのに、アエロフロートに電話までかけてしまった。そうする以外に閉じた自分を呪わない方法がなかった。あのステキな人のお名前は。アエロフロートの東京オフィスに、ロシア語で話したら、電話の向こうのロシア人のお兄さんは、笑うこともなく結構真剣に話を聞いてくれたのだが、もちろん顧客情報など出してくれるはずがない。
自分のいろんな感情をおし殺して、話してみたいと思った人に声もかけられず、まいにちまいにち、職場ですり鉢のように気を遣って、金魚鉢みたいな執務室で、死なない程度に息をしている自分を責めた。
あの頃は私の6年強のOL時代で一番、職場の人間関係に恵まれていたけれど、それでもいちばん話をしたい上司は薄暗い壁の向こうで、直属の先輩はいい人たちだったが、まいにち忙しかった。
半年後、会社をやめた。
会社の後輩がライスコロッケを抱えてウチまで会いに来てくれて、私が作ったビーフストロガノフをむしゃむしゃ食べながら、よく(安定した会社を)辞める勇気がありましたね、と言っていた。
なぜ安定した会社をやめたのか、他にも自分を動かした要因はその前年からその年にかけて怒涛のように沢山あったのだけれど、直接のきっかけは上述のとおり。

■「私が惚れたんです!!!!!」
私のロシア語の語学学校の恩師、タキコ先生は非常に美しい女性で、20歳上のご自身の恩師と結婚された。
旦那様は非常に雰囲気のある方だったそうで(語学学校の所長なのだけれど、私が学校に通い始めたころは既にお亡くなりになっていた)、タキコ先生はその後、ご自身のご結婚について、「私が惚れたんです!!!!!」とみずから周囲に言い切ったらしい。
先日、この学校の大先輩、第一線の通訳の女性にお目にかかった。
60代半ばだと思うのだが、美しい赤い口紅に、よく似合うハイヒールとミニスカートでいらっしゃる。なぜこの学校の関係者は美女ばかりなのだろうか。

渋谷でお昼をご馳走になりながら、なぜだか私は彼女に真剣に、「できちゃった結婚」を勧められた。語学の習得には終わりがないので、本当にプロを目指すなら、女が冷静に人生設計をしていると、婚期を逃すらしい。勉強はいつでもできます、と。外国語ってなんて恐ろしいんだろう。
そしてもう一つ、アドバイスをいただいた。
あなたはタキコ先生の弟子なんだから、自分が能動的に愛せる人と、一緒になりなさい。
あの日シェレメチェボ空港で、あのお兄さんに名刺をもらっていたら今の私はいないので、それで良かったのかもしれない。
感情を押し殺して生きている時間など、なかったのだ。

coloro at 21:42|Permalink

2016年07月19日

19日

19日
実家の大量の切手コレクションに2円切手がないので80円か90円か100円を組み合わせて貼る。
多喜子先生にも送る。
この子は郵便の値段すら知らないのかと心配されないか心配。


coloro at 17:42|Permalink