カテゴリ: 海外生活

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夕暮れのヴォルゴグラードのバス停にて。モフモフの毛皮の帽子。


11月のヴォルゴグラード。雪は降っていないけれど、とにかく寒い。

南に行くほど、こういう正統的な毛皮の帽子をかぶっていらっしゃる。

この土地はマイナス20℃でも雪が降らないそうだ。

並木道の木々が霜で真っ白になって、そしてまた枯れ木にもどって、また真っ白になって、そして枯れ木に戻って。

そのあとやっと、冬がくるんだ。とタクシーのお兄さんが、いった。

ロシアにはтехнологический перерыв という恐ろしい制度があり、その間20分間建物に入れない。


ユスーポフ宮殿(モイカ宮殿): Дворец Юсуповых на Мойке 

http://yusupov-palace.ru/


※テフノロギーチェスキー・ピリリーフ。宮殿とチケット売り場は別の場所にあり、チケット売り場が営業時間中に「システム休止」と称して20分程閉まること。その間チケット売り場の建物内に入れない。

周辺にカフェもふらっと入れるお店もなく、20分間は耐え難かった。

さて、今日の外気温は何度でしょう。


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サンクトペテルブルグに住んでいる。

今年の11月のサンクトペテルブルグはあっという間に氷点下15℃、日により吹雪となっている。

ちょっと近所まで買い物に出たとき、なんだか今日はあったかいなあ、とふと道路の気温表示を見たら、マイナス5℃だったりする。

私は神奈川県の育ちで、こちらロシアに住む前はこの氷点下の都市生活ってどんなものかとっても心配だった。

駐在の方や留学生の方のブログも読ませてもらったが、そもそもロシア生活をしている日本人の数も少ない。

ほんとうは毛皮とか持っていると良いのかもしれないけれど、短期滞在なのでそんなものを買う余裕はない。買っても、最近の東京の冬には暑すぎる。

今日は冬を2回(〜氷点下28℃)まで経験している私が着ていた服(女性)を書いておこうと思う。留学、駐在、旅行などで短期〜数年滞在の方の準備に役に立ちますように。

何を持っていくか、何を着るか、というのは先に留学したロシア語の戦友M嬢、N嬢、M姉、ロシア語の恩師でだんな様がサンクトペテルブルグ出身の愛先生、知人あつみさんなど、いろんな女性達から教わった。

指先、つま先、あたま、婦人科系をとにかく冷やさないように。


ーーー

もくじ

+5℃〜−5℃ :手袋、帽子、耳あて、カイロ、ハラマキ、薬、湯たんぽ

−5℃〜−15℃ : コート

−15℃〜−20℃:くつした、ソフトコンタクトレンズ、マフラー、ブーツ

−20℃〜−28℃:「はるか、散歩に出かけましょう。」

ーーー

+5℃〜−5℃
手袋

動かしやすさという点で断然革製がおすすめ。ラムまたは豚、中にフリース地。

モンベル社の2,500円ぐらいの、雪山で細かい作業(カメラを操作したり)ができるものもよかった。

指なし手袋の場合はかならず上からかぶせるミトンを持っていくこと

日本で良いものを無理して買って行かなくても、とりあえず持っているものを持っていく。だいたいサンクトペテルブルグやモスクワは地下鉄の駅前、駅前の地下通り、観光地で沢山出店が出ていて、美しい毛糸のミトンや革製の良いものを1,000円〜3,000円位で売っている。私はエストニアのタリンのクリスマス市で8ユーロ位で買った。

帽子

毛糸製。かならず耳まで隠れるもの。ロシアだけじゃなくヨーロッパはとにかく風が冷たい。

登山用としておでこと耳部分にファーがついたものが売っているが-25℃の地にがっつり行くとかでなければそこまでのものでなくてもいいと思う。

耳あて

帽子の上からするのであればよいのだが、耳あてだけだと無意味。頭が割れるように寒くなる。

カイロ

ロシアにカイロはほぼ売っていない。あるらしいというブログ記事を読んだことはあるのだが売っているのを見たことがない。使い捨てカイロを大量に持ち込む。またはオイル式の「ハクキンカイロ」を持ち込んで、オイルを現地で調達する。

ハクキンカイロというのはオートバイ乗りの友人に教えてもらったもので、ジッポライター等のオイルを入れて、ライターで火をつけるもの。ちょっとオイル臭いけれど安定して何時間もあったかい。

オイルはこれも地下鉄のキオスクや、お酒、タバコを専門的に売っている店で、ジッポオイルにこだわらなければだいたい1缶180ルーブル位で買える。

なおハクキンカイロは通常ライターと同じ扱いで、飛行機の預入荷物に乗せられない。日系の航空会社はホボ無理で没収される場合もある。未使用品を持っていくか、バラして中綿まで抜いていく(中綿を抜いたらどうやって入れ直すか、というのはyoutubeに誰かが載せてくれている)。自己責任で。ロシアの長距離列車はとりあえず現在のところ荷物検査が厳しくないので持ち込めた。

ハラマキ

毛糸のパンツ、絹のパンツ、あるいはハラマキ。+5℃以下になると女の子の場合、婦人科系を冷やしたり、気温の変化で腰をひねったり、膀胱炎とかヂになりやすくなるのでハラマキだけじゃなくて重ねられる(ブルマみたいな)パンツももっていく。カンガルーパンツというのもある。お腹や背中部分に、カイロを入れるポッケがある。



上に書いたような症状はある日突然なるので心配なら薬も持っていく。身体を冷やすこともそうだが、食べ過ぎると(特にパスタなど小麦系)なりやすくようだ。

メンソレータム、馬油、痔の薬、膀胱炎の薬、貼るカイロ、バンテリンなど

湯たんぽ
そういえばロシアで売っているのを私は見たことがない。ドイツ製のゴム湯たんぽを持参して真夏以外は7月も9月もずっと入れていた。



−5℃〜−15℃
子どもはスキーウエアのようなものを着せられている。

小さい子どもは全身ツナギのタイプを着ており、ちょっと成長すると上下別のものをきていて、それがちょっぴりオトナの証。

つららが凍りだす。屋根から落ちてくる雪やつららにも注意。

コート

ロシアのご婦人たちはソビエト時代の一張羅の毛皮をずっと着ている。美しい。しかしいつクリーニングにだしているのか不明で、気温が上がるとバスや地下鉄は毛皮と汗のにおいでもわっと臭くなる。

ダウンコートであれば東京の冬に着ているものでもまだ大丈夫かもしれない。エディーバウアーなどのちょっといいブランド。現地で買うなら中にきちんとダウンかフェザーの入った、ちょっと良いダウンコートを買う。ロシアで買ったダウンを見せてもらうと前のファスナーが二重になっており、防寒の役目となっている。いずれにせよ太ももまたはひざ上までの長さがあり、フードがあり、必ずきちんと前のファスナーが閉まるもの。10月のウクライナ(氷点下)で数日、ファスナーの壊れたコートを着ていたのだが、閉まらないと冗談抜きに死にかねない。

知人に聞いた話では日本人女性が以前氷点下の土地で暮らしていた場合、寒すぎて卵巣を手術したり、流産なども増えるということだ。やっぱりお腹と婦人科系を冷やしちゃいけない、といっていた。

モンベル社の登山用のズボン下、又は厚い綿タイツ。上からジーンズを履く。アウターは綿のタートルネックに厚目のトレーナー地か厚いカーディガン。風が寒い日は、厚手のワンピースを上からかぶる。

問題はロシアの部屋内はどこもあたたかいので、外出先でコートを脱いだ時もできるだけエレガントでいなければならないこと。

女性はみなオシャレなので子どもならともかく、いい年した女性がスキーウエア―とか日常的に着てると浮く、と愛先生が仰っていた。注釈をすると愛先生はいつもオシャレでべっぴんである。スキーウエアを着ている人もいるし別にそれでスタローバヤ(食堂)など行っても別に白い目で見られたりしないけれど、それはほんとうにスキーに行くとか子供と遊ぶ、とかなのだろう。コンサートに行くならぜひオシャレに。

帽子の上に、ダウンコートのフードをかぶる。または厚手のスカーフやマフラーでおでこと耳に空気が入らないように覆い、さらにコートのフードをかぶる。ロシアでダウンコートを買うと、フードにはモコモコの毛皮がついていて、道行く女性たちは皆ライオン丸となる。

ロシア人女性は日本人女性と寒さに対する皮の耐性が全然違うと思われるので、彼女たちのようにジーンズ一枚や薄いストッキングにスカートで出かけると風邪をひく。友人で一冬に3回膀胱炎になった人もいる。トイレもがまんしないこと。聖堂など観光地で一見観光客に貸し出していなくても聞けばかしてくれることもある。寒いもんねえ、と。

ブーツにはモコモコの中敷きをいれる。あるいはフェルト製のものが、道端や駅前に御祖母ちゃんが座って売っている。道路からの雪の寒さを阻止するのと、ブーツが濡れてきた場合時間稼ぎをするため。つま先が冷えると動けなくなる。

携帯も持たず、カフェやバス停から遠く離れたルートを歩かないほうがいい。雪が突然吹雪になったり、あるいは風の冷たさで手や首元を冷やしてしまい、体温が突然下がると冗談ではなく命の危険を感じる。



−15℃〜−20℃
モンベル社のダウンコート。友人男性もモンベルのコートを持っていたのだが、「この1段上の厚さを買ってしまうとエベレスト登山用となり、見た目がタンクみたいになる」一歩手前の厚さのものを買っていた。スキーウエア―や、あるいは持っているダウンコートの下にユニクロのウルトラダウンなどを重ねるか。−20℃の中央アジアに出張されていたロシア語の恩師K先生(男性)が「いつものコートを着ていた」と仰っていてえ!?ほんとうに?と疑った記憶がある。

手袋を外していると数分で手が凍てついてくる。私はコレを基準に今日は−10℃以上なのか、以下なのか判断している。
携帯の操作が長い時間できない。むしろ携帯やモバイルルーターは冷えすぎると動かなくなってくる。外出ルートは事前に調べておくこと。カメラも冷やさないこと。鞄にぽうんと入れておくと寒さにやられるのでコートの胸元に押し込んでいた。

くつした

五本指靴下に普通またはモコモコの靴下を重ねる。五本指靴下はもちろんロシアにはうっていない。これもロシアは地下鉄の駅前で可愛くて立派な毛糸の靴下をいっぱい売っている。

ソフトのコンタクトレンズ

ソフトのコンタクトレンズを持っていく。ソフトの保存液は薬局で買える。自分の度数を知っておけば駅や高級スーパーで自動販売機、コンタクトレンズ専門店で使い捨てのものが売っている。

眼鏡でもいいのだが、道から突然バスに乗ったりすると曇って何も見えなくなる。ツルが突然緩むので眼鏡用ドライバーがほしい。

ハードレンズの保存液は売っていない。ハードレンズも時々着用していたが、外出先のカフェなどで目を洗いたいときに水道水が濁っている場合がある(少なくとも飲用水ではない)のでロシアにおいてハードはそもそも向いていない、という結論に達した。

マフラー

ヨレヨレしたものではなく、幅広で、鼻と耳を覆うことのできるしっかりした形のものをもっていく。大判のスカーフも、おでこや耳、首を覆ったり、教会(ロシア正教)に入るときに髪を覆ったりできるので、持っていると便利。

ブーツ

ジーンズの上からふくらはぎまですっぽり覆われるもの(タイツを重ね履きするかもしれない可能性も考えてサイズを選ぶ)。店に行って革のブーツのサイズを決めると、おばちゃんが力に任せてふくらはぎ部分をひきのばしてくれるらしい。

もしくはくるぶしと内側にボアのついた、スノーブーツ。

二つはいていたけれど、一つはサンクトペテルブルグ市内各地にOKЕЙというホームセンター兼スーパーがあって、そこで「-15℃まで耐えられます」というごついのを買った。裏はもちろんごつごつしているもの。

もう一つは日本で5000円ぐらいで買ったUnited Colors of Benetton。

くるぶしにボアがついている。少し大きめのサイズを履く(厚い靴下をはくため)。

−20℃〜−28℃ 
1月頭にムルマンスクにオーロラを見に行ったときに、この気温となった。あるいは1月中旬のサンクトペテルブルグは−27℃となった。睫毛が凍る。手袋なしは3分位まで。

ズボン下またはタイツ+ジーンズ+モンベル社の登山用ダウンズボン。ハラマキ。冬山用の厚い肌着をきたり、ユニクロのウルトラライトのダウンベストの上からダウンコートを着る。手袋はスキー用のが望ましい。旅行者で外で順番待ちをしている人などは鼻と口を覆うスキー用のマスクなどをしている人もいる。カップルは大抵抱き合って順番待ちをする。タイツ+ジーンズで、ハラマキもカイロも入れずに出歩いていた友人はさすがに風邪をひいていた。

用がなければ一人でウロウロ散策に出歩かない方が良い。誰かと一緒か、あるいは危なくなったらすぐに通りがかりの近くの人に言うこと。この際誰でもいい。

家にいてもセントラルヒーティングがまわっているハズではあるのにとにかく寒くて、家の中でもダウンを着て、湯たんぽを抱えて生きていた。寮だと壁に体や頭をくっつけて寝てはいけないという。凍る。そうでなくても隙間風が強いので目張りをする。

暖房器具をホームセンターで買うならオイルヒーター。オイルが機械の中にあらかじめ入っていて、電気をつけるとオイルが熱くなるもの。日本みたいに温風が噴き出すタイプは売っていない。サンクトペテルブルグだと地下鉄の青線、пионерская駅前の巨大なホームセンター兼スーパー&シティーモールがある。メトロで行けて便利。

知人Aさんの2人のお嬢さんたちは、この時期大きなペットボトル(飲用水5リットル入りとか)にお湯をいれて、毛布をかけて、”こたつごっこ”をしているという。

1月も下旬になり、−15℃位になったころ、友人のロシア人の男の子からメールをもらった。

「はるか、いちばん寒い季節が過ぎました。散歩に出かけましょう。」

サンクトペテルブルグ国立大学付近、エルミタージュ美術館前の宮殿橋を渡ったところに「クンストカメラ」Кунсткамераという博物館がある。

そこにどうしてもホルマリン漬けのヒトの奇形児標本を見に行かなければならないというミッションがあり、今日吹雪が止んだので無事に遂行できてちょっとほっとした。

ロシア最古の博物館で、18世紀頭にピョートル大帝がつくったという。


奇形児たちは奇形だからではなくおそらく首をちょん切られてホルマリン付けにされたことによる苦悶の表情で、博物館自体は撮影自由なのだがとても撮れなかった。(遠くからなんとなく雰囲気だけ撮らせてもらったそのホルマリン漬け胎児たちと、鮭の標本)。

この博物館の存在は去年の早い時期にルームメイトに教えてもらって知っていたし、通学路だったのだけれど今に至るまで行く機会がなかった。でも先日K兄の記事を読んで、ここに人間と動物の標本があると知って以来どうしても来なければいけないような気がしていた。

博物館という存在自体はほんとうに小さいころから母が上野の国立科学博物館に熱心に連れて行ってくれていた。常設展はもちろん、『楼蘭の美女』(ミイラ)、『人体の不思議展』、夏休み中に開催されたものはほぼ行っていると思う。

だから私はそのへんのオンナノコよりも所謂博物館のキモチワルイもの(と言ったら標本やミイラたちに失礼なのだが)にたいしてかなり耐性がある方だと思う。

1階をさああっと眺め、2階のその部屋まで到達し、ホルマリン漬けの顔たちの苦悶の顔をひとつひとつ、慰めてゆくうちに、ああ、だからどうしても来なければならなかったのか。と納得した。むしろ顔すらもない標本もあった。

あるいはからだ一つに頭がふたつ、あたまふたつがつながっていたり、からだふたつがくっついていたり。

ベトちゃんドクちゃんみたいなたくさんの子たちが産まれ、彼らは声も上げずホルマリン漬けにされていったんだろう。ベトちゃんドクちゃんはむしろ切り離せただけよかったのかもしれないし、あるいは手塚治虫氏(の『ブラック・ジャック』だったと思う)の漫画にあったようにそれすらも医学のエゴかもしれない。

それにしてもこの極北のサンクトペテルブルグによくもまあ、あんなに、バリの祭祀の面や中国の蛸や中央アジアの秤やらイスラムの本やら、イランのくさりかたびらやら、日本の雛人形やら、そろえたものである。

Кунсткамера  http://www.kunstkamera.ru/

住所 Санкт-Петербург, Университетская наб., 3

英語住所 University Embankment, 3, Sankt-Peterburg, 199034

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サンクトペテルブルクに住んでいる。

30年近く東京ほか日本の大都市で生きてきたので

その便利さに気づかないのだけれど

海外にいると、

ちょっと信じられないことが起きる

外国人のクラスメイトが自分の町のいいところ、わるいところの紹介スピーチで、

こういうことを言ったりする

「水道の蛇口から、砂まじりの水が出る。」

「自分の生まれた町は、テロや暴動が頻繁にある。」

「水道の水は、飲めない。」

家に帰る途中、ネヴァ河沿いを

天気が良いのでバスに乗らずに歩いて帰ったら、

寒すぎて、命の危険を感じる。

ちょっと間違えるとほんとうに死にかねないので、

カフェもバス停からも離れたルートを歩かない方が良い。

きのう、ロシアの同じ町に住む友人が言っていた

「吹雪で家までたどりつけず、家の手前のカフェに避難した」

きのう私は風邪で家にずっといたので、気づかなかったのだけれど、

町の中心部まで書類を取りに行かねばならないのだけれど

家から出て50メートルで、彼の言う雪の凄さを思い知った。

雪が凄すぎて歩けない。

家から一番近いパン屋に行こうと思ったけれど、

前が見えない。

マイナス10℃近いので、アパートに入れ違いに帰ってきた住人に、

ドアをあけてあげるだけで、ものすごく感謝される。

雪はどんどん降る。

あしもとがわるいので下ばかりみていたのだけれど、

ふと、恩師愛先生の言葉を思い出した

『ロシアでは、屋根から落ちてきたつららが刺さって小さい女の子が亡くなりました、っていうかなしい報道が例年必ず出るから、だから下ばかり見てちゃ、ダメよ』

ぎょっとして上を向いたら、

屋根から豚の角煮のような形をした雪が、今にも崩れ落ちそうに垂れてきていた

突然の雪なので、まだ道路夫の屋根雪下ろし隊も稼働していない。

淡雪なので誰も傘をさしてはいない。

傘をさす雪とはまた違う

仕方なく、家の前のスーパーで、何があってもいいように、

2,3日分の食料を買って、戻る。

ハルカさん、書類を取りに来ないなあ、でもすごい雪だもんなあ、って

事務所の人もわかってるだろう。

こんな日はじたばたしても仕方がない。

部屋の掃除をしたり、

これを書いたり、

お茶を淹れて、飴をなめる。



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一部の方へお知らせ

FBの名前を変えました
みんながわかるローマ字にしちゃうとお年頃なので結婚したのかしらとか、変に気を使われるので”黒田先生の授業後の飲み会通知スタイル”に、とりあえずキリル文字にしました
これをよんでくださっているみなさま、いつも本当にありがとうございます

ーーー
その他大勢のギャラリーは先日の私の投稿の気球のわかりやすくリア充な投稿にしか反応せず(気球を自慢したかったというよりどのくらいの”お友達”が私のページをみているのか気になったというのもあります,調査結果お友達の数×10%以上)、

かきたいこと、伝えたいこと(さいきんもう傷つくばかりなので無料とか不特定で出すのやめました)や
有料記事には「一切」スルーするその姿勢に(それなら全部の記事をスルーするかどっちかにしてほしいというのもきっと投稿する以上、私のわがままなのでしょう)
まえまえから思っていましたなんだかもうSNSにウンザリしていて
もうFacebook辞めようと思っていたのですが
辞める前に切るなり刺すなり割り切るなりすればいいんですが
わたし人魚姫みたいな性格なんでそれができないんですね(20代はこういう泡になればいいという性格のおかげで大変でした)

messenger だけ残せないみたいで
資格の情報もミールのネットワークもK先生、M先生、諸先輩方のご活躍のお姿もとってもとっても私にとって大事なので今日のところ思いとどまっています。

いまのところ宣伝につかおうとおもいなおしたので残してあります。までもこれ読んでる方は私他の連絡先存じ上げてるので辞めてもやっぱり問題ないな、、、。
飛べないキキになっていますが、私は元気です。

1.4日。テミルカーノフさんのためにイスタンブールからもどったようなもので、カーチヤもO兄もきてないので出待ちとかなにもせずに帰るつもりだったけど
領事館のKさんに遭遇したのでこき使って写真を撮ってもらった。
ロシア人ふう。テミルカーノフさんとも握手。モフモフ。
2.巫女の仕事はしばらく封印しようと思う。
3.ロシア語もできなくて泣きたい(あたりまえだ)
4.トルコ語でしゃべったらトルコ語で返事がきちゃってどうしようかとおもったのが約2週間で5回ぐらいあった。
5.タイマッサージにいった。いい仕事をしてもらったのでチップをだした。こっぷんかー。といってた。カワイイ。

ロシアのサンクトペテルブルグの空港から、タクシーに乗った。

携帯アプリでタクシーを予約すると、運転手さんから、待ち合わせ場所を確認する電話が入る。

ロシアではタクシーの運転手さんや、道路工夫の人などに移民の人が多いのけれど、移民の人が話すロシア語は、彼らの母語である中央アジアの言語などの独特の訛りがあって、日本語訛りのロシア語を話す私にとっては聞き取りにくいことがある。

電話でロシア語の発音のとてもきれいな人だったので、ロシア人かと思ったらカザフスタン人だという。ロシアに来て36年、だそう。日本人の女の子は初めて乗せた、となぜか喜ぶその人。

タクシーの運転手さんが中央アジア人だった場合(ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス出身など)、

必ず聞かれるのが「年齢」「結婚しているのか」「子どもはいるのか」。

セクハラという概念は全くなく、20歳ぐらいで結婚して(親が決める場合も多いようだ)子どもを沢山もうける彼らは、まるで今日の天気を話すようなノリで、必ず聞く。

タクシーの運転手さんだけではなく、マルシュルートカ(乗り合いタクシー。バスのような経路があり自由に乗降できる)の運転手さんにも聞かれる。

ここで気を付けたいのは、自分自身の事実がどうであれ、偶然タクシーで出会った中央アジア人と交際するつもり、中央アジアに嫁に行くつもりがなければ絶対に「結婚している」と答えること。場合によっては猛プッシュ、大変なことになる。お相手が独身だったりバツイチで彼女募集中だったりすると、携帯番号を教えない限り、普通にタクシーから降ろしてもらえなくなる。中途半端に彼氏がいるとかいう回答もだめだ。

「彼氏はロシアに居るの?」

ここでさらに正直に日本に居る、とか答えてしまうと、「ロシアにいないならさ、俺と付き合ってみようよ」となる。これは私が可愛いからというよりも、日本人女性が彼らよりも全体的に色白で、年齢より若く可愛らしく見えるためらしい。

私も年齢を聞かれたので正直に答えたら、10歳ぐらい若く見えた、と言われた。これも私が年より飛びぬけて若くみえるのではなく、彼らが日本人を見慣れていないためである。

そして今日も話題に挙がったが、日本の製品(車、テレビ、コンピューター)はやっぱり品質がよくて、彼らにとっての憧れの国らしい。

そういうわけで、今日もいつものごとく私は年齢と既婚か未婚か、そして子どもの有無を聞かれる。

「結婚しているか?」

「だー。」(ハイ)

「コドモはいるか?」

「まだいない」

「Дети надо!!」子どもはいなきゃね、というわけだ。

彼の言うコドモ、というのは複数形である。

じゃああなたには何人子どもがいるの、ときいたら、

「6人。3人男で、3人女だ。」だそうな。

彼夫婦と、子4人がクバルチーラ(ロシア式アパート)に一緒に住んでいて、残り2人が別のところで独立して生活している。

「お嬢さんは、おいくつ?」

「一番上が27歳でね、一番下が1歳8か月。」

!?!?

タクシーの運転手の彼は54歳だそうだ。

私の聞き間違えかと思ったけれど、

聞きなおしたら、やっぱり1歳8か月らしい。

そういえばタクシーのトランクにスーツケースを入れた時、乳幼児用の椅子があった。てっきり孫用かと思った・・。では奥様はいくつなんだろう、もし後妻だったりしたら聞いたら失礼かしら、と恐る恐る奥様の年齢を聞いたら、奥様は47歳とのこと。どうやら後妻でもなさそうだ。

彼の末娘の名前は「月の光」という意味をもち、長男は「希望」という意味だそうだ。彼自身は11人兄弟。

彼のお母様が81歳で、お父様は既に他界。5人の姉妹、6人の兄弟。たった一人で11人も産んだお母様といい、45歳にして6人目の御子を産んだ彼の奥様といい、女は偉大である。

54歳の彼は、月の収入が34,000ルーブルらしい。今日のレートで約55,000円。

54歳にして1歳8か月の御子を育てる彼に、チップをいつもより多めに渡して、私はタクシーを降りた。




トルコ、イスタンブールの夕暮れ。

道路から海が見えたので海のところまで行こうと思ったんだけれど、
建物がいりくんでいて、たどりつけなかった。

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コートだけじゃなくていろんなものが壊れて
電球かいにいったり、壊れたベッドを移動させたり、洗濯したり、つけかえたり、穴の開いたものを縫ったり、あれをこっちに、これをあっちに。
あと数千円したイヤホンの断線をつないでみたら、あっさりできて自分の器用さに感心した。ライターだけでできた、見た目はともかく。
非公開情報だけれど姉はイスタンブールに居り、
明日から姉のところにいく。荷造りしなきゃ。
私の勘だけどテロはおこらないとおもう。
ウクライナとロシアの間はまだ直行便が飛んでいないのだけれど、
イスタンブールとロシアの間はターキッシュエアの直行便がある。
ハマムがあるから水着を持っておいで。といわれているのだけれど、
私持ってなくて、
そうすると姉の(ビキニコレクター)を拝借することになるんだろうか。あら恐ろしい。

めんどくさい話。(めんどくさいので読まなくていい)
O兄とガイドの仕事の情報交換。というか愚痴を聞く。
日本人観光客と現地ガイドをくっつけるサイトがあり
私も時々そこから仕事をとるのだけれど
団塊世代がよくサイト上で不特定多数の現地在住日本人に対して観光ガイドのコンペっぽいことをして(たいていロシア語は一切喋れない)
こちらは見積もりを作ってプランを作って調整して
直前で
やっぱりやめます
というのが結構多いらしい。
だいたいそういう場合、
「やめます」ではなくもう若干条件の良さそう(にみえる)相手に乗り換えている(のがシステム上こちらからはわかる)。
ちなみに日本人観光客が行きたい観光先はだいたい決まっているので、
案内するレベル的に大差はないと思う。
しかしこの街の日本人はだいたい知り合いか、
お互いに存在は認識しているので、乗り換えた先が誰で、
これついての情報はダレが一番詳しいというのはお互いわかっている。
別に仲は悪くないしお互い尊重し合っているので他の人に頼むこと、乗り換えることそのものは特に問題ない。
お客さんの方もニーズが色々あるので、
女性、子供連れだからガイドは女性がいいとか(そういう意味では私にけっこう指名が入る)、
夜遅い到着便だから日本人男性のガイドが安心とか、
色々ある。
このへんは仲間同士でお互い補いあって生息しているので、
あ、そうなんだ。という感じ。
問題は情報を取るだけ取って、
予定をあけているのに数日前に突然キャンセル、というやつ。
ちなみに私はフィンランドのヘルシンキからの日帰りサンクトペテルブルグ行きのフェリーについて、若い世代では他よりも微妙に詳しい。
私は書いてある文章を読めばなんとなくどういう人かどうかはだいたいわかるので
(OL時代に社内も社外もめんどくさい人がいっぱいいたので嗅覚が発達した)
一応私のプロフィールを読んでくれているという人にしか反応しないか、
怪しい相手は蹴り飛ばしてしまうので早い段階で決着がつくのだけれど、
O兄は変な所で真面目なので対応するらしい。
そういうことが何度も何度もあって、日本の癌はやっぱり団塊世代であると息巻いていた。
ここに住んでいる日本人はみんなロシアが大好きで、
いろんなものを犠牲にしてロシア語を勉強して住んでいて、
観光できているひとたちにちょっとでもロシアを好きになって帰ってもらいたいから一生懸命プランをつくるのに、
その好意に乗っかるだけで何も払わないで去っていく。
情報がほしいなら旧ソ専門の旅行会社にいってもらいたい。って。
あんまりこういうこと書かないようにしてるのだけど、にほんじんってなんでこんなにめんどくさいんだろう・・。

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