カテゴリ: ロシア語

私の外国語の師匠たちは日本語ネイティブの方もいらっしゃるのですが、日本語ネイティブなのになんでこんなに美しい発音ができるんだろうというぐらいキレイな発音で、ステキな声で、私の全存在を愛してくれてるんじゃないかっていうくらいいつもめっちゃ褒めてくださる。ちゃんと答えると赤ちゃんが初めて歩いた!っていうくらいものすごい勢いで喜んで、私を褒めてくれる。格変化を間違わなかったら赤ちゃんの私を「たかいたかい」してくれるくらいの勢いで私を抱き上げんばかりに褒めてくれる。私の師匠は背がお高いから、もし「たかいたかい」をしてもらったらきっと見晴しがいいだろう。
それで、先生にもご存知のこととご存知でないことがあって。「先生は何でも知っているわけではありません、先生は勉強方法を知っているだけです」ってミールの閉校間際、K先生の出張の代講に来てくださった黒田先生も仰っていた。
「僕の方が少し始めるのが早かっただけだから、ハルカサンは僕にとっては生徒というより同じ志を持つ仲間みたいなもの。」(K先生)
それで「ことば」をめぐってわさわさと雑談しているのがこれまた楽しくて。もう本当に、幸せな日々。

机の周りに立てる、防音のために遮音材と遮音シートを買いました。というわけで夜のレッスンや発音練習もがんばります!

きょうはとても基本的なロシア語の格を間違えて、
この先30年続けますと宣言した、
30年たったら師匠のようになれるかどうかはわからないけれども、
辞めたらその可能性すらもなくなるので私には辞めないことしかできない。
人生はやっぱり一方通行。

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将棋の橋本崇載八段が好きで、ペテルブルグにいたときには特によく彼の動画など見ていた。しばらく彼のお写真を携帯の待受にしていたくらい好きなのだけれども、ほとばしる彼氏感に私のほうが耐えきれず、もとの待受に戻した。


https://cakes.mu/posts/11276

そういえばロシア語を勉強するのが辛くて苦しかった。

それはほんのちょっとロシアに関わる仕事をしている今でもそうで、ロシア関係の私の同世代といえば優秀な方が大勢いらして、

あとロシアではないけれど、将棋の渡辺明三冠は私と同世代で、世代が近すぎて、20歳前後の頃流行ったBlogを今も続けていらっしゃるのがすごく親近感。

こうした優秀な人材が世の中には存在しているのに私のようなモノリンガルの人間がヒイヒイ言いながら外国語を勉強する意味みたいなのを最近悩んでいた。

なにせネイティブじゃなくても私よりよっぽど外国語が出来る人間がうじゃうじゃいるのだ。



この橋本八段の記事を読んで思い出したけれども、

私のロシア語の恩師K先生も、通訳のプロになられてから10年以上ずっと辛かったと仰っていたし、今でも辞めようかと思うこともあるとおっしゃっていたけれども、その一方で、その方は仕事が楽しくて仕方ないという笑顔をされるのが、20代だった当時ドメスティックな会社に勤めていた自分にはもう本当に憧れだった。(この恩師K先生の笑顔は本当に素晴らしすぎて、ペテルブルグにいた頃一時期PCの壁紙にしていたくらいで、ルームメイトに彼氏?と聞かれたことがある。)

自分は思い出せる限りずっと、悩みながらロシア語を勉強していた。

最初の入門テキスト『標準ロシア語入門』(白水社)を一通り丸暗記したら、ロシア語を続けるかまた考えようと思っていた。でも本当に全然覚えられなくて、それを5回ぐらい繰り返してもらって、お世話になっていた代々木のロシア語の私塾・ミールロシア語研究所が閉校した。

多喜子先生やK先生が熱心に面倒をみてくださったからこそ勉強していたタイプだった私はその後茫然自失としたあまりに、OLを辞めて、彷徨ったあまりにペテルブルグでしばらく人生の夏休みみたいにぼんやりと過ごした。

それであまりロシア語ができるようになったわけでもなく帰国してきて、なんとなくロシア語や語学、ことばに関わる仕事をフリーランスだったりライターだったり、非常勤を掛け持ちしたりしつつ、ロシア語とロシア語圏に関わる人たちと沢山会えるようになって、なんとなく、自分がずっと興味があったところに夢が叶いつつあり多少関われるようになってきて、味方してくださる方、ご飯をごちそうしてくださって話を聞いてくださる諸先輩方、ロシア語を協力したいと申し出てくださる恩師たち、そういう人に囲まれるようになって、それでやっと心の安定を保てるようになった。

20代のころは絶対潰れない種類の企業に勤めていて、毎月手取り10何万かの固定給を安定的にいただいていて、年に2回のボーナスをいただいて、でもそこには自分の心の安寧はどこにもなかったように思う。
この頃は今思えば自分の30余年の人生で一番辛かった。息をするためだけに生きていて、息絶え絶えで、生きてるだけで精一杯だった。

私はこの過程でたくさんの大人たちに助けられてきたので、いまはなるべく機会があれば若い方に声をかけるようにしている。

それでこの禍の中、協力してくださる方が現れて、再びもう一度『標準ロシア語入門』を見直してみた。

「ミールロシア語研究所」が2013年に閉校してこの7年ほど、私がいろんな意味で彷徨っていた間にまた苦しんでいたぼんやりとしたロシア語をめぐる疑問がそこに全部書いてあった。

勉強するのは辛いのだけれども、3歳の頃から『世界!ふしぎ発見』を見て『なるほどザ・ワールド』を見ていた自分、強烈に外国と外国語に憧れを持っている自分が、30代になった今また外国とは一切無縁のドメスティック企業にお勤めできるかといえば、それはやはり否で、そういう意味で勉強するしかなくて、人生はやっぱり一方通行のように思う。

自分はぼんやりしているあまりに、ロシア語の格変化の体系をぼんやりと理解するのに10年かかったように思う。



昨日はロシア語を勉強している人たちが四人集まってくれた。ロシア語とロシア語圏をめぐる世界の話をすごく一生懸命、楽しそうにしてくれた。

ロシアとロシア語圏に関わってきた彼らの言語体験の話が沢山あって、それはどれも優劣つけ難く、その中には私のロシア語とロシア語圏をめぐる大切な思い出もたくさん存在した。

どれも素晴らしくて、私が憧れる大先輩方みたいに超一流になれなくても、私と同世代の超一流の人たちみたいになれなくても、

私達はすでに豊かな言語体験を生きていて、それでよいのだという結論になった。カワイイみんな全員にベローチェのソフトクリームをごちそうしてあげればよかった。

というわけでもしまたロシア語を続けるか悩むようなことがあったら、『パスポート露和辞典』(白水社)の単語を全部覚えてから、また続けるか決めればいっか、と思った。苦笑。

ロシア語とロシア語圏をめぐる世界の話ができることがあんなに嬉しそうな方たちを私は何年も見ていなかったように思う。

友人が迎えに来てくれて、プリンを食べながら、私が答えのない世界の住人だった頃の記憶の話を聞いてくれた。

彼が迎えに行ってくれて、仕事を終えた若い子たちが集まってくれた。若い子たちはすごく喜んで自分の言語体験をたくさん話してくれた。

だからもうちょっと、がんばろっと。

楽しい時間が永久に続けばいいのに。



PS・

なお、PCの壁紙にしていた私の恩師はあまりに素敵すぎて、会うと必ず私のことを褒めてくれる。そしておっしゃる。「必ず世代交代はあるから、そして誰にも負けない分野を一つ作るといいよ、この調子でいけば大丈夫!」

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深夜に繰り広げられるロシア関係者たちのオンライン通話(それぞれ翻訳とか仕事とか飲酒とか作業とかご飯を食べながら誰かが喋る)でモスクワの車窓中継。モスクワのガソリンスタンド、スーパーマーケット、封鎖された公園、車道を歩く人、濃厚接触どころか寮には一棟に一人の普通以下の接触。
翻訳しながら参加する仲間。
突然帰れと言われて帰ってきた仲間、帰国便がなくなってもサンクトとモスクワに残る仲間達。

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このあいだ、とある業界の先輩方と昼ゴハンを食べた時に、基本割り勘だったのだけど、

とある、60代ぐらいの大先輩が私の分を出してくださると申し出てくれて、(彼は仕事でひとつ私に借りがあったし、私が仕事を色々掛け持ちしているということを話したので、私の財政状況を、心配してくれたんだとおもう)、お金を出すついでにセクハラ未遂の発言をぽろっとされて、

(たぶん、お金を出してくれることの照れ隠しでそういったんだと思うんだけど)、

隣に座っていた弁護士の先生が横から、その方にたいして、

「いやいや、黙ってお金を出すで、いいんですよ」とたしなめてくれて、

そういう風のように現れて私を助けてくれる人が目の前にさあって現れて、

本当にうれしかった。

そういう人がいるコミュニティに定期的にメンバーとして参加できることのなんとありがたいことか。

それで、昨日、

同じような状況が私の目の前で起こって、私の隣の人に、そういう矢が向いていて、私は隣に座っていたので、

チョットチョット、と自分が先日あの弁護士さんにそうしてもらっていたように、私と同年代の話者に、たしなめればよかったのだけれども、そういうことができなかった。思っていても口に出せる反射神経と話術があるかは大違い。ごめんね。

その隣の人、聡明でかっこよくて、知り合ったときからきっと彼女さんとかパートナーさんとかもういそうな感じだったけど、そういうことは関係なく、長くお友達になりたかったひとだった。

来てくれて、ありがとう。選んでくれた、金柑と蜂蜜のアーモンドがとってもおいしかった。





ロシア語の授業のあと、隣の席の男の子に、「ボクの職場、ロシア語勉強してるの、ボクだけなんです」って、元隠れミールの身にとって初々しすぎる相談をされた。
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新学期、どうしても学校や仕事に行きたくない方、こっそり連絡ください。喫茶ハルカでおいしいものをたべましょう。


昔どうしてもどうしても仕事に行きたくない日があって、仕事に行くつもりで家を出てきたはいいけど、どうしてもやっぱり仕事に行きたくなくて、
母校の図書館にこもって地下倉庫からチェブラーシカ(ロシア語)のDVDを出してもらって、
図書館のAVコーナーに籠ってみていた日がありました。
はじめてみたロシアアニメ(人形劇)に衝撃を受けて、
あとワニのゲーナーの歌に「с днём рождения(お誕生日おめでとう)」の巻き舌のすごさに衝撃をうけて、
結局チェブラーシカに人生を預けたわけではないけれど、
その年そのまま仕事を辞めました。


そのサボった日はまじめに仕事にいくよりよっぽど今に影響を与えているわけです。


先日作者のウスペンスキー氏の訃報が流れましたが、チェブラーシカそっくりで衝撃をうけました。

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