カテゴリ: 祖父母

祖母は食事とかおやつのたびに、台所にある神棚にお供えをしていた。神道の神棚だとおもう。
離れて暮らしていたわたしがおやつを持っていくと、
かみ(神)さんにあげよう、といってそれをきれいなお皿にいれて、背を伸ばして、神棚の上に乗せた。
祖母は今の私より背が低かったと思うから、よくあの神棚に届いたとおもう。

今週は色んな不安が過った。
一緒に居た連れは、
毎日、小さな不安の山をこえるたびに、
ああよかった、と言うけれども次の瞬間に〇〇になったら嫌だねえ、と口にした。彼らが一番の当事者なので、次なる不安が次々と襲ってくるのだ。

神様、どうかお願いします。と特別なことを唱える前に、
かみ(神)さん、いつもありがとう。
と言っていたっけ。と思って

昨日の帰りに買って来たスコーンをお皿にいれて、神棚にあげてみる。

祖父の統計学の研究室のお弟子さんであるJ先生(現、国立大の学部長)から忘年会のお知らせを頂く。
祖父の死後もう何年も経つのに皆さん毎年必ず集まる。今年は祖父の生誕100周年で、第1期生の先生がたが米寿を迎えられる。
衝撃的なことに、名簿になぜか私だけ「様」がついていた。
毎年このおじいちゃんばかりの忘年会に私が白いワンピースでお邪魔するとなぜかこの小娘のために申し訳ないほどお茶やら給仕やらしてくださるJ先生(64)。
偉い人なのに恐縮するほどに腰が低い。
私は皆さんの統計学やアクチュアリーや数理の論文やこの一年の仕事を伺い、祖父が当時何をしてきていま自分にどんなベクトルが生きているかを確認する。
来年もちゃんと生きようとおもう。
私にもわかるように皆さん上手に話してくださるので文系と理系の区分けはナンセンスだとも思うけれど、
それも基礎的な研究があってこそ。
ちなみにJ先生の親御さんがお悔やみにくださった尾鷲の蜜柑は最高に美味しかった。みかん。量もおいしさもすごすぎて、結局何の接点もなかった私の勤め先の方にも配り。死んでもなお人様に富をわけるおじいちゃんはすごい。と身内ながら内心感心する。

日記
六本木のタリーズから空を眺める
話題はヨガについて
ビルは高い
空は低い
ずっとくもり
世界中が曇りなわけじゃないから、
まあ、いっか



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1日
日記
昨日は勤め先が期末で
頼りにしてた大先輩がいっぱい辞めてゆかれました。
入社以来、ほんとうに可愛がっていただきました。
辞めるひとたちで一つ会社ができるだろうというくらい
いろんな技術をもったひとたちが
定年繰り上げだったり、かたたたきだったり
土曜日、朝、
電車で揺られて
学者だったおじいちゃんの遺言をふと思い出していたところに、
となりの席に付箋紙だらけの『Duo』(英単語)を一生懸命見る可愛い女子高生がいる。かわいい。
どんな時代がくるかわからないよね、と一昨日おでんやでいわれたばっかりだけど、
学者だったおじいちゃんのいうとおり、勉強しなきゃなあ。
人格も実体もないハコ(企業)にふりまわされずに
やわらかく生きたいなー。
魔女の血、絵描きの血、じゃないけど
そんな血はわたしにもあるのかしら?

うちのおじいと同じだけ生きるとして

あと25,000日

1日一冊本を読むとして
あと25,000冊

あれっ、これだけ!?


あの図書館の蔵書は一生かかっても読み切れない(´д`)


だからこそ

選ばねばならない

哲学があらねばならぬ

ことばのおもみ
いのちの重み

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