カテゴリ:旅行 > スコピエ




なんだかもう本当に、変な町でした、スコピエ、マケドニアの首都。

スコピエの空港はあたらしくてキレイだった。
町は貧しさの種類がまたロシアや、トルコとは違う。
この町は子どもの物乞いが多い。
孤児らしき子が橋の上に絨毯を引いてど真ん中に寝そべっている。気が向いたら太鼓をたたきだして、ごはんのためのお金を集める。
普通ってなんでしょう。貧しさってなんでしょう。

カリーニングラードではたくさんの人が、ひざから下を切断していた。
車いすなんてないから、ひざの下を丸太で支えて、歩く。駅前に立つ。
かみさまはどうして不幸や貧しさ、病気をみんなに平等にあたえないんだろう。

スコピエの美術館にいった。
東京・上野の西洋美術館はじめ、大きな国の大きな街の大きな美術館はいろんな国・いろんな時代の出身の作家の作品がおいてあって、
視点のベクトルが混在していて、
たまに行っても私は縦横無尽のいろんなエネルギーを感じ、どっと疲れることがある。

旅行先の小さめの美術館で作家を現地出身者に限定していると、
時代が違うとはいえある程度ベクトルが同じ方向を向いているので、
その空間に存在しているのも楽で、展示物もするり、とはいってくる。
そもそも美術館というものの自分の中での位置づけが今までよくわからかったけれど、
この未知なる国の人たちが世界観をどうとらえているかというのを知る意味で面白かった。
この1年で相当な数のイコンを見てきた。
がむしゃら、という表現が適切か。
先々週のウクライナ・キエフの美術館で14世紀のイコンをみたあたりから、
イコンを見るということについて、自分の中でちょっと腑におちてきた気がする。
写真はスコピエの空港行きのシャトルバス停留所、土産物屋。



(2016.10)

0cd96b87














なんだかもう本当に、変な町でした、スコピエ、マケドニアの首都。

スコピエの空港はあたらしくてキレイだった。
町は貧しさの種類がまたロシアや、トルコとは違う。
この町は子どもの物乞いが多い。
孤児らしき子が橋の上に絨毯を引いてど真ん中に寝そべっている。気が向いたら太鼓をたたきだして、ごはんのためのお金を集める。
普通ってなんでしょう。貧しさってなんでしょう。

カリーニングラードではたくさんの人が、ひざから下を切断していた。
車いすなんてないから、ひざの下を丸太で支えて、歩く。駅前に立つ。
かみさまはどうして不幸や貧しさ、病気をみんなに平等にあたえないんだろう。

スコピエの美術館にいった。
東京・上野の西洋美術館はじめ、大きな国の大きな街の大きな美術館はいろんな国・いろんな時代の出身の作家の作品がおいてあって、
視点のベクトルが混在していて、
たまに行っても私は縦横無尽のいろんなエネルギーを感じ、どっと疲れることがある。

旅行先の小さめの美術館で作家を現地出身者に限定していると、
時代が違うとはいえある程度ベクトルが同じ方向を向いているので、
その空間に存在しているのも楽で、展示物もするり、とはいってくる。
そもそも美術館というものの自分の中での位置づけが今までよくわからかったけれど、
この未知なる国の人たちが世界観をどうとらえているかというのを知る意味で面白かった。
この1年で相当な数のイコンを見てきた。
がむしゃら、という表現が適切か。
先々週のウクライナ・キエフの美術館で14世紀のイコンをみたあたりから、
イコンを見るということについて、自分の中でちょっと腑におちてきた気がする。
写真はスコピエの空港行きのシャトルバス停留所、土産物屋。(2016.10)


picture_pc_ca01c23450e99460c6d273398a0a00d3










マケドニア・首都スコピエ。
なんとなくずっと行きたくて
朝5時に同居人を叩き起こしてタクシーの乗り方を教わってタクシー呼んでもらい、
サバイバル・トルコ・タクシー用語をノートに書き、トルコのイスタンブールから日帰り。


世界にはマケドニアという国があって、マケドニア人がいるということ、
マケドニアの通貨があり、国旗があり、文字がある。
なにがよいのかよくわからないものがぐちゃぐちゃしている何屋なのかよくわからないお店、
食べ物屋さん、
市内にあるたくさんの銅像。
マケドニア語の表記はロシア語に近いものがある。
キリル文字が読めて、イコンや銅像に興味があれば面白い町だと思う。
パン屋でなんとなく買った、カッテージチーズを練りこんだパイがおいしかった。
某所の建物の管理のおじさんに
「きみは美しい」と髪を撫でられ頬を触られる。
ひいいいっ。
恐怖!!!
っと思って、帰路便は21時発だったのだけど、
明るいうちに帰路の空港に戻った。
もし私がそのおじさんと同じ国の宗教の信者だったら、
彼は女の私に指一本触れないだろう。
よく女性の海外一人旅で異教徒であればどうあつかってもかまわないという扱いをされたという被害報告やら痴漢被害の報告を聞くけど、
あれは(非常にオブラートに包んで好意的に書くと、)
人権という概念とか違う国の人間が世界に存在していることを知らないこと、考えたこともない、という場合もある。
だから距離の取り方をしらない場合もあるし、
同じ国の女性であったらそういうことをされたら嫌だとわかっているのに、
知らない世界の人間もそういうことをされたら嫌がるという発想がそもそも脳内にない(思考停止している)、
そんな事例もあるんだろうと思う。
それとも日本人の私がなれていないだけで、
触れるのが愛情表現なのだろうか。
ちなみにロシア人の男性の音楽家たちは、
私が一緒に写真を頼むと普通は(相当海外公演になれている人でないと)アジア人の私には指一本触れない。
スコピエの空港はあたらしくてキレイだった。
町は貧しさの種類がまたロシアや、トルコとは違う。
この町は子どもの物乞いが多い。
孤児らしき子が橋の上に絨毯を引いてど真ん中に寝そべっている。気が向いたら太鼓をたたきだす。
美術館にいった。
東京・上野の西洋美術館はじめ、大きな国の大きな街の大きな美術館はいろんな国・いろんな時代の出身の作家の作品がおいてあって、
視点のベクトルが混在していて、
たまに行っても私は縦横無尽のいろんなエネルギーを感じ、どっと疲れることがある。
旅行先の小さめの美術館で作家を現地出身者に限定していると、
時代が違うとはいえある程度ベクトルが同じ方向を向いているので、
その空間に存在しているのも楽で、展示物もするり、とはいってくる。
そもそも美術館というものの自分の中での位置づけが今までよくわからかったけれど、
この未知なる国の人たちが世界観をどうとらえているかというのを知る意味で面白かった。
この1年で結構な数のイコンを見てきた。がむしゃら、という表現が適切か。
先々週のキエフの美術館で14世紀イコンをみたあたりから、
イコンを見るということについて、自分の中でちょっと腑におちてきた気がする。
写真は空港行きのシャトルバス停留所、土産物屋

↑このページのトップヘ