ことば

2011年12月30日

たまには

7f3d7719.jpgたまには何かかいてみます。今年の8月は4年ぶりに、沢山海の外に出てきました。月の半分は外にいっぱい行ってきました。ほんとうにたのしかった。日本語でも英語でもない場所で世界をのぞかせてもらうのが、こんなに楽しいだなんでしりませんでした。私をウズベキスタンまで飛ぶ勇気をくださったk先生、わたしを連れて行ってくれたHさん、出会った皆さん、ほんとうにほんとうにみなさんありがとうございました。お勤めして、サラリーガールして、4年目。事故で4年の半分はたいして動けなかったけれど、最近になってやっとちょっとずつ融通が利くようになり、いろんな物件を動かして、そしてちょっとずつ苦しくなってきました。恩師S先生はよく私に巫女の素質がある、とおっしゃっていましたが、妙な勘ばっかりするどくて見えるようで何も見えない、勘なんてなんにもやくにたたない自分。4年前、鈴木先生が、生徒1人しかいない文化人類学の授業で、卒業間際、「家族の崩壊、企業による地球の破壊、人間の生き方としてこれでいいのか」っておっしゃていました。一年前の夏、
わたしのかわいいおじいちゃんが病院でしわしわになって死んでいって、真っ黒な服を着た一族に見送られて、そのあとすぐにS先生と行ったバリで、金のハリボテに乗せられた美しいお葬式を見て、沢山の沢山の裸足で目をキラキラさせて走り回るかわいい子供たちに囲まれて、バリの王族に嫁いだ日本人の女性に会いました。当時好きだったひとのことをすこし。死後に「おじいちゃんは病院で苦しかったかもしれないから、かわいそうだなんていったら失礼だ、ひとがしんだらつよくならなきゃ」って言われて、でも彼は運転しながら電話越しに泣くあたしに深呼吸の仕方を教えてくれて、私の誕生日は4月末なのに、3年近くにいたのにそれすら覚えてなくて、3月の地震直後に今度次いつあえるかわかんないから誕生日、といって去り際にネックレスの箱ををぽっけに押し込んでくれて、言葉が足りなくて超不器用で、でも凄くただしくものをみる彼が大好きだったけれど、地震があってから毎週東北にほぼ徹夜状態で飛んでいく彼を理解できず、お金を全部そっちに使う彼を理解できず、ちゃんと
おうちをつくりたくて、家をつくりたくて、こどもうみたくて、彼はみんなを元気にするために命を懸けて、夜中まで仕事をしているのに、ちっとも理解せずにそういう自分の欲を優先した自分がもう最悪で仕方なかった。会期の終わりにあわてて見に行った米原万里展で「人はコミュニケーションを求めてやまない動物だから」って書いてあって、由比ヶ浜で一人で見た空がすっごい綺麗で、なんだか悲しい気分で結婚式に行ったらちゃんと話ができる友達が何人かできて、ああ、それでよかったのかな、って思った。結局、私、日本語もほとんどしゃべらないものの、やっぱりそれでよかったのかな、って。ことば、こみゅにけーしょん、家と家族。出版から離れていくことになるかもしれないけれど、どこで誰とどう生きても、あたしはそこから離れては生きられないのだと思う。もうすこし自由に、もうすこしやわらかく、もうすこししなやかに。かなうならかたつむりの中に入って生きられればどんなに楽かと思うけれど、ことばって生きてるし、ことばをつむいだ思想ってひとのいのちを動か
すから。みんなありがとう。


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2008年12月24日

クッキーモンスター

珈琲の粉(大さじ1)
砂糖 60〜80g
小麦粉 100グラム
卵 中1個
バター 100グラム
バニラオイル 3滴
あれば胡桃とか てきとう

バターからどんどんまぜていく 最後にごむべらで小麦粉をまぜる
→150度(ファン付きの場合)で焼く。15分くらい。
30〜40個くらいできる。わーい。


で、これをお弁当箱につめてもっていったら
何人集まるかわからなかったからクッキーにしようとおもって
結局二人だったので、ちょっとずつ小出しにしていたら
ぱくぱくぱくぱく
喋りながらこれおいしいね、
って食べてくれて、
ああ、よかった。



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2006年10月22日

つかれた。

崩壊。
からだも。目に見えないそれも。
タカがはずれた、というのはこういうことを言うのでしょう。
自分でも自分の思考がわけわかりません。
目に見えないものなので修理するのには時間がかかるよ、
とキイロイトリの修理屋さんがめがねのおくで言いました。
だそうです。
時間をかけねばならないのはわかるのですが
ちょっと疲れました。
はやくこれをすっとばして90歳くらいのおばあちゃんになりたいです。
でもこれを修復するなり乗り越えるなりしないと、あたしは罰としてかわいいおばあちゃんになれません。
ごめんなさい。
ここに来てまたゆくひとに告げることば。
ひととひとは弧をえがいて交わりやがてまた彗星のようにどこかへ流れてゆきます。
そのかなしみを伝えようと、
あたしのなかのよいものも、きたないものも、ぜんぶぜんぶうけとめようとしてくれたその人にカードを作ってみました。
諳んじて久しい住所を記し、いつもの鳥の切手を貼って、
明日ポストに入れるつもりです。
しかし心身弱りきっているらしいそのひとに、そのことばまで届くかどうか、もうわかりません。
だいじなところばかり言葉が足りなくて、ごめんなさい。



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2006年04月07日

手とペンの話

右手にペンを持っていると安心する。
それがボールペンではなくインクのであるならなおさら。
出かけるときは書くものを一本でもかばんに入れておかないと、どきどきして仕方がない。
先日試験の日に筆箱を忘れて、100円雑貨屋で買った三本百円の黒色、
これが意外にも気持ちよい。
自分で自分の限界を設定することは容易にできるし、文章なんてもう書けないわって思うことも簡単だけど、
ペンを持つと安心してしまう自分がいて、
なんでもいい。聞いている音楽とかラジオから流れだした言葉とか、ふと思い出したことばのまとまりとか、
そういうのを分厚いノートに書いておいて、そうしてぱたんと閉じたとき
あたしはじぶんが安堵していることに気付く。
じぶんの言葉ではなかったけれど、そこにじぶんが刻みつけたというその行為に。

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2006年03月01日

猫が鳴く

春がそこまで来た
秋から冬に代わったらずっとそのままだと思っていたのに
この間まで根っこが出ないと嘆いていたはずなのに、きちんと花が咲いてしまった
10年後も20年後も、私はそんなことを言っているのかもしれない
1ヶ月ほど、外国に行ってくる
日本から逃げたかったから
日常の自分への煩わしさから逃げたかったから、あらゆるすべてから逃げたかったから。
でもどうしようもないほどにあらゆる言葉が話せなくて、
こんな状態のあたしは果たして一人になって大丈夫なのだろうか。なってしまうのだろうか。
手を触れられただけで泣いてしまう私は、それまでどれだけ支えてもらっていたのかすっかり忘れてしまっていた。
九官鳥
閑古鳥
鳥が啼く
猫が鳴く。



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2005年07月23日

非日常的空間の中に書く日常的空間

日記。

ウサギが描けない。
べつに悩みじゃないけどね。
ここのところ喫茶店で鉛筆を持つと
ウサギのイラストばっかり描いている
唇はイプシロン(ε)
オレンジ系艶出しグロスでパワー全開、みたいな。

バスで寝過ごし
帰り道に地元の盆踊りをふらふらとして
家に帰ってきたら本棚(天井近くまである)からハードカバーの本がばっさばっさ落ちていて、机に積んであったジェンダーの本とか差異と民族、系のタイトルの本がばさばさと床に散乱していて、何かと思った

バナナワニ園 に行きたい

そういえば昨日買い物をした。
お店のお姉さんが私のことを覚えてくれていたのが嬉しくて、
化粧水とかつっついて二人でキャッキャ遊んだ。
買ったものは
美容液とか化粧水とかっていうカテゴリーに入るんだろうけど
そういう単語使いたくない
なんか生活感出る気がする
恋人の前では歯ブラシとかトイレットペーパーとかの買い物したくないのと一緒
ならばなんて書けばいいのか
「湯あがりにつけるやつ」。笑

知らない人のブログとかで
「夏休みにしたいこと」
を書き出すのがびみょうに流行。
遠くに行くのもいいけれど
夏は○○と○×と××(←すべて海外の地名)にいってきます、
って複数の羅列自慢気に書かれるとちょっと醒める
(私がひがんでいるから勝手にそう見えるのだろうか)。
私もそうだけどね。

遠くに行くだけの財力と行動力を語るのじゃなくて
(飛行機乗るんだから金も体力もいるのあたりまえじゃん)

そこで得たなにか、とか
時間が止まったときの話、とか
過ごした時間の感覚、とか

そういうのに飢えているな、とおもう
目的地とか何日間行くか、ってとても二次的なもので。

と他人を批判しているようだけど
白状するとどこにいっても何も変わらない、
何の感覚も得られないような自分がすごく怖くて、
何も変わらないのは逆に言えば
どこに行っても元気であたしらしくがんばれる
ということなんだろうけれど(byS)
でもあれだけ一人でフラフラいたのに
なんもわからなくて
続けるべきか、辞めるべきか。
続けるにしても今はその時期じゃない
まーだまだ。

♪あーぶく立った煮え立った...

旅行先で会う日本人の男子学生に
今やっていることを
「旅」
と表現されると、
なんか嫌悪感を覚える。

それちがうでしょう。って
ことばに与えるイメージの問題かしら
うーん
まとまらん

あ、また地震




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2005年06月16日

どうくつ。

pic


わたしのことばは、
順正にしか通じない。         
    (江国香織『冷静と情熱のあいだ』)



その感覚を知ってしまった日から
だれにも言葉の伝わらない空白の5年間を
ひとりでどれだけ必死にいきてきたか。
しかし一個の人間が日々違う人間に生まれ変わるのと
二人として同じ人間はこの世界に存在しないという事実、
私は5年前と同じ感覚が欲しいのではない。
そうして自分が一人で生きてきたことを認めてくれる人に会いたかった。
やっと、「そういう感覚の存在」をわかってくれるひとがいた。
ひとりで大変だったね、もうだいじょうぶ、って言ってもらいたかった。
けれど私には、つきおとすことしかできなかったらしい。



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2005年04月12日

二限休講。

友達とお昼を食べた。ちゃんとしゃべったの久々だったんだけど。やさしさについて。曰く、「優しさってもっと尊ばれてもいいんじゃないかな」 今朝の地下鉄、隣のカップル(?)。法科大学院生らしい。六法の話とか、お昼どうする?夕ご飯どうする?とか。 ひとつだけ空いた席に男の子の方がさらりと座った。一応ことばで聞く、ただそれだけでも優しさって伝わるんじゃないかなぁ、横の私は思ったりする。そういうために言葉は在ってほしい。 どちらが座るかっていうのは彼らの勝手だしひょっとしたら彼らの間で暗黙の了承とか目配せとか、私の聞こえないところでの会話とか、あったのかも。だからべつに座った彼を非難しているわけではない。 そういう光景の一部を偶然みかけて、私のなかで何かが動いた。膨大な六法を読み解く情報処理能力がなくたって、ひとは幸せになれる。ただそれだけの話かもしれないけれど。

coloro at 11:51|PermalinkComments(0)

2005年02月24日

lim: X→0/X→∞/X→?

すきとかそういうことばでいえなくても


いっしょにいてほわーっとできる、
つたえたいことがぽむっといえる、
それだけで満足でした。

気持ちのベクトルが『 → ← 』だと多分うまくいかない。
矢印と矢印の間に何かを生み出そうとするのはムリ。
あたしは臆病だから。

形にしようとしなくていいらしい。
本やドラマのなかで見聞きする恋愛は
いっぱんてきに思われてる
「正しいコイのかたち」なのかもしれないけど、
所詮他人のコイだから。

でもひょっとすると、
周りのじょうほうに惑わされず私が私らしくいることって
型にはまった恋愛をムリしてやることよりも
むずかしいことなのかも。
それでもそうしたいんだけどね。

coloro at 03:29|PermalinkComments(0)