外国語

2017年07月15日

優しい先生

同時通訳のO先生の授業に行っている
自己紹介のときに
わたしはミールの出身です、といったら
「ああ、アズマ先生ね」と仰った。
アズマ先生ご夫妻はそんなに有名なのだ。
それ以降、私には厳しい気がするのはきっと気のせいではないと思う。

いや厳しいというのも失礼な話というか違うのだけれども、
今日も指摘をされた。
「エルとエルの発音、時々ひっくり返りますね、意識してみてください」
そうなのです。つづりも間違えてしまう。
多喜子先生はあんなに怒ってくださったのに、
今となっては指摘してくださるのはO先生だけである残酷さ。


O先生は優しい。ほんとうに優しい。
「単語帳の単語を”何度か”練習してくださいね」
「発音がきれいに言えると、楽しいでしょう」
「何度も何度も、聞いてください。もういやっ!っていうくらい、聞いてください」
このお言葉を多喜子先生だったらこうはおっしゃらない。と思いながら一番前でいつも聞く。




coloro at 23:24|Permalink

プーンちゃん


大学3回生になるころに、室内楽のサークルを辞めた。
その頃までつき合っていた人は
なぜか凄い勢いで私の事を口説いてきたのだけれども
どうも私は彼の事が好きでなくて
わたしはその頃高校時代の親友を電車の事故で亡くし
すごく情緒不安定だった
そのあと私がフラれて、
わかれたあとすぐに、
その人は同じサークル内の同学年の女の子とつき合いだしていた。
なんだかそういう狭い世界で人間関係がごちゃごちゃすることも、
そういう狭い視野の男も、もうほんとうほんとうに、気持ち悪くていやだった。
早く遠い世界にいきたかった。


大学の委員会みたいなのがやっている、
日本語を教える(?)ボランティアをすることにした。
外国の友達がほしかった。
別科の学生と毎週同じ時限に会って、雑談をしたり、日本語別科の宿題の手伝いをしたりする。
前期と後期に1年間やって、延べ5人ぐらいの留学生を紹介された。
いまでも交友があるのは2人いる。
その時の一人がタイの留学生の、プーンちゃん。
チュラロンコーン大学の学部を出て、こちらの院に入るために、きていた。彼女はそういう秀才の雰囲気をすこしも見せないのだけれども、たぶん相当努力家で優秀なひとなんだと思う。

4月、その委員会の部屋にいったら、
韓国の男性一人、韓国の女性が一人、
プーンちゃん、わたし、タクヤくん
という5人でグループが組まれていた

2,3回はこの5人で会っていたのだけれども
プーンちゃんが全然ついていけてなくて、
いつもニコニコしているだけだった。プーンちゃんは純粋で、笑顔がステキで、美人だった。
一人称の事を「わたくしは」といつも言った。


1か月後ぐらいに委員会の人(といってもこれも学生)に言われた
グループを、わけましょうか

韓国の男性一人、韓国の女性が一人と、経済学部のタクヤくん
プーンちゃんと、わたし。
それで、グループはふたつにわかれた。

タクヤくんはその日授業か就活のと都合できてなくて、
その夜電話があって、委員会の人になんていわれたの?と
きかれたので私はそのように答えた。
それっきりタクヤくんには会っていない。
1年後ぐらいにカノジョらしき人と手をつないて東門の前を歩いているのを見かけた。

グループをわけたあと、正門から喫茶店に私と二人で向かうプーンちゃんはなんだか嬉しそうだった。
それから私は毎週プーンちゃんにあうようになった。



当時(グループを分けた韓国人留学生たちと比べて)
彼女はなんであんなにも日本語がしゃべれなかったんだろうとおもっていたのだけれども、
自分がロシア語を勉強するようになったいまならわかる。


(2005/夏)

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2017年06月01日

日記/タイ語 審姐餮豎惺

2006年の春学期(だったと思う)にタイ語の学校に行っていた

受講生は変な人たちだった。
唯一わたしだけ、大学生で、あとは学校をもう卒業した人か、社会人の人だった。
その学校は中卒以上だったら、だれでも入れた。

日本人の男性の先生は国立大学の先生で、東南アジア人みたいな風貌をしていた。真っ黒な顔をしていた。
ネイティブの先生は女性で、だんなさんは日本人らしく、苗字に「桃栗三年柿八年」のどれかの字が入っていた。

某自動車会社の人。学校のある駅前に、そのひとの会社はあった。
「ヤマダ」という名前の人で、
全部子音+母音アの音がつくひとだったので
初級で母音と子音をおぼえているわたしたちには
その人の名前はよく見本で黒板にかかれた。

よくわたしにセクハラのメールをよこしていた。(なんで自分のメールアドレスをその人に教えたのかももう思い出せない)
「○○さん(まともなクラスメイト)と俺と、どっちがいいのぉ〜?」ってメールの最後にかいてあった。このひとはタイに出張にいくたびにこういう態度をタイの女の子たちにするのだろうか、そうしたらなんだかいやだなあ。とおもった。

なんだかちょっと気持ちを病んで、
休職中か求職中か、なにかのひと。20代の後半ぐらいか30ぐらい。
当時21か22歳だったわたしにはその年齢がとても大人に見えたけれども
一番としが近くでまともにみえる人だった。
この学校に申し込むと、附属の大学の図書館が使えるので便利だ。と、
授業は18時からなのだけれども、もう16時ぐらいにはいらしているのをキャンパスでみかけた。
そういう事情はしっていたけれども、
おとななのにこの時間に学校にいるのはなんだか奇妙に映った。

もうひとり、まともなそうなひとがいた。社会人の男性。

あとはいつも「真っ黒」なスーツをきた、顔色の悪い人。
葬儀屋。そのともだちの金のネックレス、ちょっと普通のサラリーマンはしないだろう、じゃらっとしたものをしたおじさん。ふたりはいつもセットですわる。 
(2006春)

coloro at 12:30|Permalink

日記/タイ語のクラス◆審姐餮豎惺

日記。
語学の社会人クラスに毎回、黒い長めの髪をしていて
ほとんど毎回、真っ白なYシャツに真っ黒のスーツ上下を着てくるおじさんがいる。
たいていネクタイははずしている。今日は青色のシャツだったが。
ちょっと顔色が悪いけれどわりとにこやか。私みたいな小娘にもちゃんとあいさつをしてくれる。
小さな二人席の隣に座る、友達のおじさんはピンクのYシャツに金(茶)髪。
ふたりは妙なアンバランス。
向かいの席の山田君(推定30)の話に出てきて知ったが、
前者の彼は葬儀サービスの方らしい。そこで私はなるほど。と思い、なぜかトルストイの『人にはたくさんの土地が必要か』で日が沈むまで歩き続けた彼(パナトーム、だっけ。そんな感じの名前の彼)が前夜にみた夢を思い出した。ゼミ合宿で勉強していた資本主義と葬儀産業の知識ではなく。

コンビニでトイレを借りたらコクローチちゃんがいた。
私のサンダルの足にまとわりつくので足に上らないように無言でひょいひょいとよける。
さささっと和式のトイレを上って、TOTOの陶器のふちのところに乗ったと思ったら
6本の足をすべらせてあれよあれよというまに水流にのまれていった。
私が殺したわけではないがなんとなく、いやとても哀しい。

(2006/7/11)

coloro at 12:30|Permalink

2017年05月29日

恩師と


ロシア語の恩師とお茶をご一緒した。
いろんな話をしたけれども、用件(?)はどうもわたしも次出版される本の中に登場人物として出るのでよろしく。という趣旨だったようだ。
『えっ わたしもでるんですか?』
『もちろんですとも、覚悟しておいてね。』
カトリクン、ハルカサンとカタカナで出すそうだ。
私たちがあの幻の学校の、最後の証人だそう。
先生の連載はこちら
http://www.gendaishokan.co.jp


話の中で先生は『僕は(あの学校のおかげで)外国語の勉強方法がわかってしまったんですね。』と仰った。


ちなみにわたしもどうしてそんなに(ロシア語の)発音いいんですか、
と外国語学校のほうで毎週聞かれるのだけれども、
これはペテルブルクに住んでいたからは全く関係なくて、代々木の語学学校Mにかよっていたからです。と答えている。
そうしたらそれはどこにあるのですか、と聞かれるのでこのMはもうありません、と必ず答える。


代々木の語学学校Mの教授法は聞かれれば別に隠すことでもないのでいくらでも答えるのだけれども、普通はの回答をすると妙に納得するのでそれ以上わたしもわざわざ話さない。


ちなみに最近、諸事情で毎週自分のロシア語を録音するという恐ろしい作業をやっているのだけれども、自分のウダレーニエが弱すぎでかなしくなる。

(2017/05/29)

coloro at 22:49|Permalink

2017年01月27日

ずっとずっと、そうしたかった。わたしにとっての外国語のこと。

わたしが東京にいる理由。
というのを最近よく考える。

そのひとはもうすぐ発つ、
と言っていた。
成田空港のHPをみると、
モスクワ経由ローマ行きとあったので、
この便のことだとおもう。

不思議な形の自転車に乗って、
「じゃあまた、そのうちに。」
といって、わたしたちは別れた。

たぶん来月の今頃にはまた連絡をくださるとおもう。
あるいはわたしから連絡すると思う。
「東京、まだちょっと、くるしい。」
「でも、ここに住むんでしょ。」
このひとはじぶんの場所はじぶんできめていいということをいつもおもいださせてくれる。

わたしが東京にいる理由。
というのを最近よく考える。
わたしはおいしいお魚が食べられないと生きていけないと思う。
実家があること、家族がいること。

便利が半分、不都合半分。
どこにいてもそうだろう。

最近、日本語と外国語両方を勉強しなければならない。と痛いほどに思う。

先日、先輩Tさんにとある文書のファックスを「これ読める?」と見せられたのだけれど、わたしそういうの一切読んだことがなくて、全然わからなくて、
どうしようかと思った。
訳してくれたのだけれど、聞いてみたら内容はとっても簡単だった。
別の試験直後の話で、
わたしは頭の中が日本史になっていて、その分野の装飾とか手紙で使われる表現を知らなかっただけみたいだ。

それで家に帰って、その日は死んだように眠り、
数日後図書館でその分野についてのテキストを取り寄せた(それは区立図書館とはまた別の、保存庫というところにあった)。

ケンタッキーでウーロン茶をのみながらそれを昨日ぱらぱらひっくり返してみたら、
語学の才能云々ではなくその表現を知っているからないか、ただそれだけである、ということがわかった。
恋い焦がれていた外国語はわたしにも平等に開かれている。

なお外国語、とりわけロシア語の勉強をつづける意味みたいなのを最近かんがえていたのだけれど、
でもやっぱり私のツイッターの半分以上はロシア語またはロシア(語)、
外国語の関係者のつぶやきで、
そして兄さんが、「日本語だけで情報を取って生きるのはもはや危険」というのを以前友人の女子大学生に話していたのを思い出して、
そしてやっぱり帰国後のわたしをささえてくれているのはロシアで知り合った友人たちと、
その美しくて豊穣な視点で、続ける意味とかそういう悠長で高尚な次元ではなく生命危機という意味で海外の視点をとって生きないと危険という、
そもそもの話を、思い出した。
英語はわたしじゃなくてもたくさんのひとがやっている(いろいろあって仕事でもたぶん使うのでやらなければならないのだけれど)。
日本はアメリカ文化圏のなかなので黙っていてもアメリカよりになる。というのを20歳のころの香港行きのキャセイパシフィックで、読んだのを思いだした。
忘れもしない、米原万里さんの本。
英語とロシア語と日本語しかわかんないなんてじぶんはなんて視野が狭いんだとおもう(それでもあんまりわかんないけど)。

師匠とメールをした。
語学の師匠ではなく、わたしを巫女に育ててくれた方である。
「ロシア語はあなたに必要、と云いますか…あなたに求められているものだと思います。」

とおっしゃった。

昨年、ロシアから帰国した直後、わたしは2週間ほど、
実家の自分の部屋を掃除していた。
巨大なゴミ袋4つ分ぐらいは捨てたとおもう。
大学時代のゼミのレジュメも処分した。
10年見返さなかったから今後もほとんど見ないだろうとおもうから。
尊敬する教授の生き方、思考と、記憶は全て頭の中にある。
20代前半の時に使っていた手帳が出てきて、パラパラとめくって見ると、
わたしはずっとずっと、言葉を扱っていきたい、
できれば外国語も扱って生きたい、ということが書いてあった。
ずっとずっと、言葉で食べていきたくて、でもそうする自信がなくて、踏み出す勇気もなくて、才能がある気もなくて、20代の頃のわたしはずっと、悩んでいた。
その何年かぶんの手帳は捨ててしまったのだけれど、
それが確認できただけで掃除をした意味というのはあるようだ。とっておけばよかったかなあ。

でも言葉で生きたい、というメモは私の手帳の中に、本当に当然のように、
まるで手帳の表紙とか紙に印刷された模様のように、書きちらされていた。

その人はいつもと同じく、
風のように去っていった。
庭の梅が咲いた。
写真を撮って、その人に送ろうと思う。
Весна пришла. (春が、来ました。)

coloro at 01:32|Permalink

2016年10月05日

しかも世界の言語はこれだけじゃない。

・フランス語とドイツ語をちゃんと勉強しておけばよかったと最近思うことが多い。しかも世界の言語はこれだけじゃない。
・なんでわかんないのかわかんなかったんだけれど自分のглагол+что.чего.чему....が雑なんだとやっとわかった 
与格複数だからまた別の意味に変わってた。
・あとトルコの人にメールをしたら、全然違う人からマレーシアに来ないかと連絡が来た。
やっぱり誰かわたしに魔法をかけた?
・ケーキ屋のおにいちゃんに韓国人とか中国人に間違ってゴメンね、って謝られた。日本人からすればわかるけど、ロシア人からすれば普通わかんないから別に構わない。
・走って出かけたけど渋滞で負けた。2勝2敗。(あまりチケット)
・ワサビの話を読んだけれど私はこの国で外国人であることの差別的発言をされたことは一度しかない。ロシア語ができないことによる粗雑な扱いはそこそこあるが相手はソビエトのおばちゃんだから怒っても落ち込んでも仕方ない。あるいは自分の発音が悪い。
・とはいいつつ京大のS君は警官にカツアゲにあった(見た目がアゼルバイジャン系で車に連れ込まれたらしい)
・グルジア人とアルメニア人とアゼルバイジャン人は互いの違いがわかるのだろうか。わかるんだろうな、たぶん。

coloro at 11:53|Permalink

2016年08月24日

外国語。わかるとわからないのはざま

今日はことばをめぐるエッセイ。
もくじ
■親戚の外国語:ロシア語とポーランド語
■なんとなくわかりあう:ロシア語とモルドバ語
■わからないけどわかりあう:ロシア語、英語、ポーランド語のちゃんぽん
■ことばへの潔癖さ:日本語と英語

■親戚の外国語
ロシア語が多少わかる。意を決してロシア語の勉強を始めて結構な年数がたっているのだけれどそのわりにはわからない。
わたしのロシア語の恩師は非常に情熱的で美しく、そしてときに激しいので私はときに泣きながら、語学学校に通っていた。そういう激しい記憶があるので、外国語の学習って人によっては楽しいものかもしれないけれど(小学生の時に通っていた英会話スクールはとてもたのしかった)、わたしの場合、ロシア語に対しては、美しくて苦しい思い出が多い。いまもとても苦しい。通訳、翻訳のたまごのような仕事を時々するのでよく英語と勘違いされるのだが、ロシア語である。最近なんとなく、これを何かしら仕事のきっかけにできるような光が見えてきたような気もするし、その一方でタマゴどころか自分のロシア語についてまだ未確認生命体のような気もするし、やっぱり道は果てしなくとおい。

ポーランドにいた。ポーランドの町の人はポーランド語を話すのだけど、なんとなくロシア語に似ている。
「夏」「くつ」「映画」「通り」「キノコ」「いいですよ」「ダメです」というのがロシア語そっくりの音だ。つづりを見てもわかる。名所旧跡の観光というより、町の文字をぼんやり眺めて萌えているうちに一日が過ぎてしまう。
コンビニみたいな店で店員さんが「ドアを閉めてください」とか叫んでいたりすると、もうそっくりで、ポーランド語が分からなくても理解できる。
ワルシャワの鉄道駅の構内アナウンスで「不審なものがありましたら係員にお知らせください、よい旅を!」とかポーランド語で言っていると、これもなんとなくわかった。

■なんとなくわかりあう
友人のカーチャ(ロシア人女性)がモルドバにバカンスに行っていた。Airbnbで家を借りて、彼女の家族、彼女の友達家族、合計6人で数週間過ごしたそう。
滞在中、彼女はよく、現地の人に町で道をきかれたという。病院はどこですか、とか。病院は彼女の滞在先の隣だったから、彼女も答えられる質問だった。

もちろん彼女もモルドバの言葉はわからないのだけれど、病院という単語はなんとなくわかるらしいのでカーチャはロシア語で答える。そうすると、なんとなく、音が似ているので、モルドバ人の相手の人も理解し、その場が解決するそうだ。
ポーランドの町の若い人は英語がわかる人が多い。年配の方はロシア語がわかる人が多いようだ。ホステルのフロントのお姉さんはとてもとても親切なひとだった。しかしポーランド語話者であり、ロシア語も英語もあまりわからない様子だったけれど、わからないなりに彼女は多少ロシア語も英語もわかるので、なんとかなった。

■わからないけどわかりあう
さて私は英語も苦手だ。通訳のタマゴを名乗っておきながら、苦手だ、と何も堂々と叫ばなくてもいいのだけれど、ロシア語を数日しゃべっていると英語が喋れなくなり、その逆もしかり。ロシア語だけ何日も読んでいればロシア語が喋れなくなり、喋っていると読めなくなる。単純に修業が足りないんだと思う。
先日、記事の執筆の関係で、某雑誌のロシア語版の記事を訳してだしたら、ついでに英語版もチェックして頂戴、と上司に言われた。しかしとても上司には言えなかったのだが、その日の私はnowとhowの違いすらわからないレベルだった。だって形が似てるじゃない。東京の地下鉄で先日、人様のTシャツにeveryone って書いてあって、エブリオネってなんだっけ、と数十分悩んだ。その後英語の記事を必死に読んで、(おそらく無事に)納品した。後日知ったことだがその上司も英語を相当努力して勉強していたので、下手に愚痴らなくてほんとうによかった。
ポーランドでの話に戻る。この町ではなにかを話さないと生きていけないので、英語とロシア語ちゃんぽんの怪しい言葉をしゃべる。
なんとなく、通じる。そしてわからないなりに、いろいろ親切にしてもらえて、わからないなりに、なんとかなる。
ポーランドの田舎町で友達がバス車内で私を待っていてくれて、でも満席だからバスは発車しそうで、私たちが引き剥がされそうになったときも、運転手さんに「友達が待っているんです!!」とロシア語で叫んだらなんとか入れてもらえた。
ポーランドの田舎町で私が怪しい言葉をしゃべっても、店の店員さんはだれも動じない。親切になんとかしてくれる。自分が意を決してロシア語か英語でえいっと口をひらいてはじめて、キミ英語しゃべれる?と聞かれたり、英語のできる店員さんを、わざわざつれてきたり、してもらえるのだ。コミュニケーションの勇気をさぼってはいけない。
そういうわけでその町で私はノートパソコンを買ったりと、旅先にしては結構大きな買い物もしたし、どっぷりすごしていたのだけれど、トラブルは何も起こらなかった。居心地がよすぎる。

■ことばへの潔癖さ
友人のロシア人女性、サーシャが5月に日本に旅行に行った。彼女は日本語を勉強していて、ひらがながよめて、日本語であいさつができる。
元気に楽しく日本で2週間過ごして、帰ってきた後、感想をきいたら、こんなことをいっていた。
「日本の人は、英語で道を聞くと、指をさして、ぱっと、逃げてしまう。日本語できくと、手をとって、わかる場所までわざわざつれていってくれた」
思うに日本の人って、自分もふくめ、外国語にたいして、ちょっと潔癖すぎるかもしれない。彼女が英語できいても、指をさせるぐらいに質問が理解できるなら、手をとってつれていってあげたらいいのに。
英語ぐらいできなければ。
というフレーズを時々聞くが、私にはこれがとても暴力的に聞こえる。語族の違う言語を、もともとマルチリンガルでもない日本人がそんなに簡単に身に着けられるはずない。自腹で本を買ったり、自分で地道に単語を覚えたり、まいにち地道にラジオ講座を聞いたり、ブツブツ発音して、たくさんの時間を投じる必要がある。
ぜんぶわからないけれどちょっとわかる、というのも楽しい。そして通じあえる。それでもいいじゃないか。できない自分を責めてばかりいたが、そういう自分も、ポーランドのおかげで、ちょっと許せるようになったかもしれない。

coloro at 21:44|Permalink

2016年05月23日

12年くらい前に

12年くらい前に
サイマルアカデミーの翻訳に通っていて(英語)
商業翻訳の成瀬先生が
英語翻訳を仕事にするというのは10,20年かかるもので
突然この業界に入って仕事したいというのは、入団してすぐ劇団四季の舞台にあがりたいというようなもの
みなさんあと20年生きても今の私より若いわけですから
この調子で頑張ってくださいね
とあたたかくおっしゃった
ほんとうに美しい訳文を書く方だった
久しぶりに会いたいなあ

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22日

満月の頭痛がいたくて昼寝から目覚めたら、
(Forbesの訳文を)さっそく明日掲載します。というメールが届いていた。
ほえーっ。


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coloro at 19:34|Permalink

2016年03月03日

いったい何年勉強してるんだ

いったい何年勉強してるんだ(6年ですよ)
といわれて絶望的な気分でかえってきたら
バスにオリガ先生がいて、わたしたちは一緒に帰った
あなたは発音もとてもいいしわたしたちだけのときはそんなに綺麗にしゃべるし文法もあってるのに
どうして授業中は黙っているの、今日のあいつは厳しいって有名なんだからなんにも気にしなくていいのよ、語族の全く異なる外国語を勉強することがどれだけストレスで時間がかかることかわたしはわかるわ、と、といわれた。バスで泣いた。
わたしだったら日本にすむなんてкошмарだもの、と。←笑
もし通訳になれるなら、この苦しさがあと10年続くのだろうか。
オリガ先生はニーチェの格言を引用した。
He who has a why to live for can bear almost any how.
どうやら、やめちゃだめらしい。

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coloro at 11:11|Permalink

2006年07月11日

日記。

日記。
語学の社会人クラスに毎回、黒い長めの髪をしていて
ほとんど毎回、真っ白なYシャツに真っ黒のスーツ上下を着てくるおじさんがいる。
たいていネクタイははずしている。今日は青色のシャツだったが。
ちょっと顔色が悪いけれどわりとにこやか。私みたいな小娘にもちゃんとあいさつをしてくれる。
小さな二人席の隣に座る、友達のおじさんはピンクのYシャツに金(茶)髪。
ふたりは妙なアンバランス。
向かいの席の山田君(推定30)の話に出てきて知ったが、
前者の彼は葬儀サービスの方らしい。そこで私はなるほど。と思い、なぜかトルストイの『人にはたくさんの土地が必要か』で日が沈むまで歩き続けた彼(パナトーム、だっけ。そんな感じの名前の彼)が前夜にみた夢を思い出した。ゼミ合宿で勉強していた資本主義と葬儀産業の知識ではなく。

コンビニでトイレを借りたらコクローチちゃんがいた。
私のサンダルの足にまとわりつくので足に上らないように無言でひょいひょいとよける。
さささっと和式のトイレを上って、TOTOの陶器のふちのところに乗ったと思ったら
6本の足をすべらせてあれよあれよというまに水流にのまれていった。
私が殺したわけではないがなんとなく、いやとても哀しい。



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